| "タンポポハウスのできるまで” 藤森照信著 朝日新聞社 |
【本文抜粋】 ・屋上緑化は超高層で有効か?アウト。ひょろ長いビルのてっぺんだけ緑化してもしょうがない。だいいち、高すぎてとんびのほか、誰も見ることができない。 ・どうも人は屋上まで上って庭を味わいたいとは思ってないらしい。もしかしたら屋上の庭に対し、本質的にヘンナモノという気持ちが無意識のうちにあるのかもしれない。人が庭を求めるのは、実は庭の下にある大地も含めて求めているのだとしたら、屋上庭園にとって事はやっかいである。 ・大工は仕事をしていて行き詰まると、なぜか腕を組んで考える。(中略)作業中は手と目と頭で三つの連携で考えているのだが、手がゆきづまると、手は腕を組むという形で一時退場の意思を目と頭に伝える。で、腕を組んで目と頭で知恵を絞る。 【感想】 もし今後家を建てるのなら自分の手で・・・その気持ちはいまだ消えない。設計から図面書き、資材手配、左官・大工仕事等々、楽しいことが山ほど転がっている。もちろん職人の手は借りるにしても、ぎりぎりのところまでは顔をつきあわせ、その一大イベントを楽しみまくりたいものだと考えている。お金を払って、楽しみを手放している今の生き方に矛盾を感じている人が増えてきていることは事実だと思う。 さてこの著者は”そのことを本能で気づき行動に移している人”と言わせてもらおう。土壁の質感の理想に近づけるために何ヶ月も試行錯誤の実験を繰り返す。”無駄なことなど何一つなくて、すべてが”ものづくりを楽しむこと”につながっている。自分の家なのだから”したいほーだい”すれば良いのである。その意思が、とぼけた人柄(失礼!)の中で見え隠れして人を惹きつける。 タイトルから今流行の屋上緑化をイメージするが、エコロジーの押し売り的な言葉はひとつもない。建築設計過程、現場、職人、資材、そして人間くささが私の選んだキーワードだ。 |
| ”風景を作る人 柳生博” 生和寛著 辰巳出版 |
【本文抜粋】 ・「木を植え替える時の秘訣は?」ある公開トークショーで聞いた。ボクが司会をしていた。翁は答えた。「木に気づかれないうちに完了する。」(略)木は夜に植え替える。 ・ロフトで寝ていた。ある朝、目が覚めたら、山火事かと思った。ウリハダカエデの紅葉だったんだな。蔓性植物が絡まる藪を越えてようやくたどり着いて、抱きついたよ。 【感想】 柳生博氏が八ヶ岳に遊び場を作っているという話はTVで聞きかじって知っていた。失礼ながら「所詮芸能人の道楽に違いない。」そう思っていた。 ある日、知人がこの本を大事そうに持ち出し、私に読んでごらんと勧めた。「自分にとってこの本はバイブルでもあり、すすめた友はみな共感してこの本を購入した」と彼は言う。半信半疑で手に取った私も、結局同じ穴のムジナとなったのだった。 本の中身は、柳生氏の風景の作り方に対する持論とその作庭群の紹介もろもろがメイン。で、なにが面白いかと言うと、柳生氏のある意味独創的ともいえる風景作りに対する考え方が、彼の個性に支えられてゆるぎないものになっているところ。「自分が美しいと思うのだから、これが正しい。」的な信念をもつことの大切さが伝わってくる。この本を読むと、飼いならされた都会の庭木とはしばし離れて、雑木林の中に身をおいてみたくなる。 |
| ”桜のいのち庭のこころ” 佐野藤右衛門著 草思社 |
【本文抜粋】 (イサム・ノグチが)「若い頃に考えていたことを今だしているだけや」と言うてね。発想というものは今考えたってできるもんとは違うというんですわ。若いときにいろいろなことを溜め込んだやつを吐き出すだけやというて。 ・年寄りが「小鳥が止まればつく」とよくいいますわな。かれそうな木になかなか止まりませんね。・・・「気配」というやつですかなあ。 ところが、今は灯篭に明かりを灯すんやなくて、電灯を入れますわなあ。電気を入れたら点いているだけなんですわ。しかしそれでは情景は出てきませんわなあ。蝋燭や油だと、明かりが揺れよる。ほのかに揺れるものから日本人はなにかをつかみ取ることが多かったのではないですやろか。 わしはよく「自然界が人間が決めた時間どおりに動いてくれるかい」というのやけどね。こうやって自然や四季を無視して過ごしていたら、動物的な本能が退化していきよるんですわ。 【感想】 経験をつんだものが経験のないものに伝えていく。だから人の上下がしっくりとくる。だから職人というものに憧れたのかもしれない。なんとなく安心して身を置ける。 今の電脳社会に取り残されたものが、若者に媚びる。当然、若者も経験の価値を知らずに育つ。父の威厳、上司の威厳はとうの昔に跡形もなく消えうせたのに、親方の威厳だけはかろうじて生き残っているように感じるのだ。 著者の話に「聞こう」と耳を傾ける人には「聞こえてくる」内容。私は「ふんふんふんふん」何度もうなずきながらページをめくった。 ・ |
| ”木 なまえかたちたくみ” 白州正子著 平凡社 |
【本文抜粋】 真に美しい風景というものは、一生に一度の出会いではないかと私は思っている。それはその日の天気と、時間と、こちらの心身の状態と、その他もろもろの偶然がぴたりと一致したとき、忽然と現れる。いわば神業のようなものだから、二度と望んでも得られる筈はなく、望むこと自体が冒涜のように思われる。 桜は花を見るだけではなく、材が硬いので、彫刻や版木の類に使われている。染料にも用いるが、花を持つ前に伐るのがいいそうで、その頃になると幹の内部が真紅に染まる。花へ行くための色素が蓄積されるからで、「花の命を貰うのだ」と、染織作家の志村ふくみさんは言われるが、むしろ「花の魂」と呼びたくなるような切ない話である。 目通りニ十尺、樹齢四百年に及びその老樹は、雷にでも打たれたのか、木の頂は丸くなり、荒々しい肌を蔦かづらでしめつけている。その力を跳ね返すようにして、瘤(こぶ)だらけになって抵抗している姿は、もはや木ではなく、岩だった。岩の塊であったと田淵さんは語った。 【感想】 「木の話」二十選。「日本の木の伝統と、人の木に対する関わりについて感覚と体験、そして取材を通じて深められた思考がやがて独自の日本文化論へと結晶する」とある。 私は高飛車な物言いの人や、文調の書を好まない。どちらかというと、爪を隠し、とぼけを前面に押し出し、ちらりちらりと本音をちらつかせるような、そんな言葉に惹かれる。著者が私が好きな人物かどうかは、読後も不明であるが、一目置かれていた理由は少なからず理解できた。 彼女の一刀両断に切ってみせる世相批判、個人批判は確かに舌を巻く。この調子で、どこそこの名木と呼ばれる木を「このように人工的につくられた奇形の松はあまり好まない」と言い切る強さに、不快でない気持ちを抱いたのは事実だ。そのくらい、自分の美意識や価値観に自信を持てるようになりたいものだ。 |
| ”図解 樹木の診断と手当て” 堀 大才・岩谷美苗著 農文協 |
【本文抜粋】 木は動くことができないので、その環境のなかで生きるために枝葉や幹、根の随所に工夫をしています。すべてが無駄なく、その形に理由があるのです。 木を切って良くなったと思うのは人間の都合であって木の都合ではありません。 【感想】 この本を本屋で手に取り「おっ」と思った。持ち帰って読み始めて「おおおっ」と口に出していた。最近はやりの「へえ」ではなく、もっと核心に近いところの「おおっ」である。探していたものにやっとめぐり合えた。 樹を知ろうと志すものの入門バイブルとでも呼びたい。少なくとも、私にとっては学ぶべきものが詰まった一冊だった。親しみやすさを念頭において書かれたものゆえ、樹木が擬人化された漫画ぽい挿絵が多用されている。私はこの軽さが大好きだし、目線が同じでわかりやすい。学習書の枠をはずして知人にも紹介したい一冊です。 |
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| ”竹の世界” 室井綽 著 地人書館 |
【本文抜粋】 トラを書いてネコかイヌかわからないとき、そばに竹を描いておくと、どんな下手な絵でもまちがわれることがない。竹林中にはいるのはトラだけということを、自然を愛する日本人なら、誰でも知っているからである。 竹林に微風が当たって、サラサラと音を立てるときに「竹が笑った」という。または竹細工の師匠に弟子入りしたばかりで、もう一つ細工が下手で巻き竹をするとき内容の下地が見えること、すなわち、巻き竹の間が開くことを「口を開けて竹が笑った」とか、略して「竹が笑った」という。 上端の一節のところを斜めに切り、節目を半切りにして見せて、新年の計をおめでたい階段の一歩前進の現れとし、発憤努力する誓いとした。したがって、切断面に節があることが門松の条件なのである。 【感想】 造園を志すとは、微塵にも考えていなかった10代のころから竹が好きだった。里山を歩いていて竹林を見つけると竹の下にかがんで、竹の声を聞いていた。竹上人になりたかった。 植木屋の修行を始めて、誰かに「好きな木は?」と聞かれて「竹」と答えた。相手は怪訝な顔をしたのを覚えている。(ちなみに竹を分類上、木や草に属さないものとする説があるし、植木屋はこういう場合もっともらしい木の名前を答えるらしい。) というわけで、私個人の竹に対する思い入れはかなり大きい。学術的にどう・・・とかではなくて、どちらかというと精神面の世界で存在しているようだ。だから”竹が作る世界の話”を求めてこの書を開いた。 |
| ”樹木医学” 鈴木和夫編著 朝倉書店 |
【本文一部要約】 ”聴診器ではなにが聞こえるか・・・夢が聞こえる”幹が水を吸い上げる管の太さはブナを例にあげると100μm以下。この管を水が通る時、人間に聞こえる範囲(大きさと周波数)の音は発生しない。幹は木の周辺で起きていること(たとえば、小鳥のさえずりや風で揺らぐ枝葉の音)を伝える媒質の役割を果たしているのである。 樹木が長寿なのは死んだ細胞(樹幹は大半が死んだ細胞の集まり)を捨てずに共有することで樹体のサイズを大きくすることができ、それによって樹体を強固なものにし、樹冠部の枝葉を支える役目を担っている。 【感想】 かなりまじめな専門書ですが、先輩に借りてななめに読みました。ななめに読みながらも、興味のあることや、一度聞いたような話はすーっと入っていける。試験や勉強のための知識ではなく、好奇心を満足するための読書は血や肉になるようです。上で一部要約したのは、一番やわらかかった部分。私は、こういう内容を読むと、想像力が働いて楽しくなります。特に下の部分。人間に置き換えてみてもなっとくできたりするんですよね。死んだ細胞は経験や思い出だとすると。 |
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| ”夕庭(ゆうにわ)” 文・作庭 丸山健二 撮影・萩原正美 朝日新聞社 |
【本文抜粋】 自然と折り合いをつけつつ、自然界にはあり得ない、魅力的な小宇宙を想像する。これが私の狙っている庭だが、小説と同様、奥が深すぎて、いつまでもゴールが見えてこない。だから、やめるにやめられないのだろう。 長年こうした山麓の町で暮らしていると、その反動なのか、ときおり無性に海が見たくなる。(中略)人間を上からではなく、下から、それもほとんど海抜ゼロメートルの位置から見上げて眺めている自分に気がついて、愕然とする。同時に、巨視的な見方から微視的な見方へと一変している。これほど簡単に環境に左右されてしまう己の存在を頼りなく儚いと思う反面、実に面白いと思う。 【感想】 作庭者には申し訳ないが、この本を見て、写真に文章以上の力を感じた。庭全体のイメージを伝えるための媒体に留まるのではなく、一枚一枚に撮影者の意図が隠された作品として写真が綴られる。光と影をまとった植物が個々に持つ生命力を見せつけるかのような存在感。結果的に、作庭者の丸山氏の実力に脱帽することにはなるのだが、そこで終わることがないほど、個々の写真が読み手に想像力を与えてくれる。 作庭者の丸山氏の”画一化したガーデニング批判”は、言葉に丸みがなくぴりぴり染みるような印象を残すが、これまで見てきたガーデニング本の非力さを感じさせるほどのインパクトはこの本には確かにある。目次(写真に添えられた言葉)は見落とすべからず。 |