テニスについて思うこと
                               


10月6日/2016  神奈川県医師テニス連盟 50周年記念誌寄稿文より転載しておきます。自分の文章だから許可もないでしょう。


親父とテニスと私
        中村千里
 原稿依頼のFAXが送られてしまいました。神奈川県医師テニス連盟50周年記念誌発刊されるとのことなのでお断りする理由が見つかりません。本当に50周年おめでとうございます。そもそも我が親父の中村進が深く関わっていた手前、その周辺の事を書き記さないわけにはいかないと思って昔を偲びながら書いていこうと思います。
 さて、自分の頭に残る光景で一番古いものは、普段テレビをあまり見ない親父がテレビにかじりつきインドと日本のデ杯を見ていた光景でしょうか?恐らく私が小学生頃だったと思います。インドのクリシュナン選手とかフィリピンのアンポン選手という言葉だけが頭に焼き付いています。当時のテレビでスポーツ中継は野球と相撲とプロレスがほとんどでテニスを放送していたのはニュースなのかライブ映像なのか定かではありません。しかし、この光景を見ていても自分がやりたいと思ったことはなく親父に勧められた記憶も全くありません。体育の成績だけは突出して良かった自分なので小学生時代は少年野球と体操クラブ、中学生時代は陸上競技に趣味で卓球、高校時代のクラブは軟式野球と運動クラブを渡り歩いてきたのにテニスとは全く無縁でした。そうは言っても、グリーンクラブなるテニスクラブに友人と入会させられていたようですがボールを打った記憶も残っておらずもちろん試合など皆無でボール拾いに連れられただけかもしれません。当時の古いメンバーさんから親父が亡くなったあとで聞くと、自分を跡継ぎの医者にさせるべくテニスにのめり込ませないようにして勉学に励まさせたようで、その代わり弟には中学時代からテニスを勧めていたとのこと。まんまとレールに乗せられたようです。体育の成績が抜群でも医学部へは入れませんから仕方ありません。辛い浪人生活(私大医学部には合格していたのですが、、、、)を乗り越え国立医学部に合格後は実家を離れはじけてしまいましたね!
 すぐに全学のテニス部へ入部して最初の試練が待っていました。キャプテンから経験者はこちらへ集まれとの言葉について行ってしまったのです。宮城、加茂、石黒、ローズウォール等名前も知ってルールもわかりボールにも触わっているので自分も経験者のつもりでいたのが誤り。すぐに初心者クラスへ変更されてしまいましたよ。当時の医学進学課程での勉強はドイツ語とか化学、物理、美術等医学と無関係の授業が多くその全てをテニスに向けられたのが幸いしました。それこそ日の出から日没までコートにいた記憶があります。ここまでのめり込めたのはやはり親父の血を受け継いでいたのかと今では思いますし勉学に支障があるとの勘が正しかったと思います。練習に明け暮れた間に同期の高校時代からの経験者を追い抜き東京都のナンバー○○も追い抜き初心者が1年半で関東学生ダブルス新進戦でドロー頁トップのベスト16?までの成果が出ました。もちろん医学部のテニスにもお声がかかりすぐに試合に出してもらえました。全学と医学部と掛け持ちで双方の全体合宿、レギュラー合宿、リーグ戦、個人戦、公立校の関東甲信越大会、医学部の東医体と本当にテニス漬けになっていたようです。
 そうは言っても医学専門課程に移ってからは落第は出来ないのでメリハリをつけての生活を送らざるを得ません。関東学生予選会(単)に勝ってインカレ予選出場資格を得たのに学業優先で棄権せざるを得なかったのは今でも悔やまれます。医学部の4年間に東医体優勝2回、3位1回の成績でした。この学生時代に医師テニスの大会のお世話を我が大学で行ったことがあり、その際親父が地元で医師会主体の医師テニスの活動をしていると知った記憶があります。テニス部OBの団体と医師会主体の団体がその後も現在まで続いているのはやはりテニスの持つ魅力にあるのではないかと思っています。それは、人と人との繋がりにテニスが大いに役立っているからでしょう。神奈川県から離れたまま平塚には年に1−2回しか戻らないので医師テニスには全く無関心。
 無事に卒業し国家試験に合格して10年間はラケットを1回も握ったことがありません。これが今も不思議でなりません。よく我慢できたものだと言うより完全に忘れてしまったようです。大学を離れ地方の病院勤務仲間からテニスをやりたいとの一声があってムラムラしてきました。病院にテニス部をつくり市のテニス協会に入会して完全に復活ですが、この時のラケットがいわゆるデカラケに変わっておりウッドラケットも面影無く時代が変わったと思い知らされました。プロケネックスを買ったかな?第二のテニス人生の始まりですが、周囲に経験者もいないので休日のトーナメントに出るのが練習という具合になってしまいました。でもこの時のテニスが輪を広げたりOB会に参加したりと楽しかったかも知れません。この頃医師テニスに親父に誘われた記憶があります。そして、確か全日本だと思うのですが、新潟の大会で初めて親父とラリーを行ったと思います。本当に実際に打ち合った記憶がほとんど無いのはどうしてなのか全くわかりません。もちろん打っている姿は鮮明に覚えており、フォアはコチョとこねるがバックハンドは綺麗に面に当たるフラットでサーブは今の自分に似て尻だして入れる軟式打法だと。
 平塚に戻ってからは第三のテニス人生になるでしょうか?テニスクラブに会員登録を続けてもらったお陰でコーチと頻回に練習できる環境になったのです。親父に感謝です。それこそ医師テニスにも何回も参加させてもらうようになりましたし、ベテランの大会にも出場し始めたのです。全日本ベテランテニス出場時にも急遽診療を代わってくれて助かりました。今の自分でもテニスのためなら何でも犠牲に出来る位優先順位1位ですからこれも血を受け継いだかも知れません。反対に親父の方は足が不自由になったこともあってテニスの普及や運営に心血を注いでいるようでボールを打つ姿は壁に向かって打つだけでした。テニス会場に行くと協会関係者と試合を眺めている姿がいつもありました。
 神奈川県医師テニスの大会には結局もう何回も参加させてもらうようになってしまいましたが、ほとんど同じメンバーに時折フレッシュな参加者が現れているのが現状ではないでしょうか?年齢無制限の一般の部とは言っても実情はほぼ皆さんがベテランの部に属するようです。65歳を過ぎた自分がいまだに優勝争いをしているのは本当は可笑しいのでしょう!医師テニスだからやむを得ないかも知れませんが少々寂しくもあり、反対に30歳以上も若い人とテニスが出来る楽しみでもあります。今はもう親父の姿はありません。どの様に感じていることでしょうか?
 現在の自分は代診もいないので休日だけの試合のみに参加していますが、テニスクラブには弟を始めいつもダブルスを組んでもらっている草山先生や田中先生がクラブの主力メンバーとして在籍しいつも練習の相手をしてもらっています。非常に嬉しいことでお互いに切磋琢磨することでまだテニスの上達課程にいると信じています。誰もが思うことでしょうが今の技術に昔の体力反発力があれば鬼に金棒でしょう。無念!自分はまだまだ足が動くのでテニスを支えるよりも打つ方しか興味はありません。その点が親父との違いでしょう!親父が設立した平塚市テニス協会であっても都市対抗全国大会への出場選考で自分が非条理な扱いを受けたこともあって現行の協会へ協力することはあり得ませんが、テニスを通じて知り合いになった多くの方は自分の一生の財産なので大事にしていかねばと心しています。親父の影響を受けたお一人である平塚市医師会長の武川先生は多忙を理由に自分に連盟の理事を引き継ぐように仰せられました。こればかりはやむを得ません。自分はその医師会の副会長職を仰せつかっているので会長補佐が使命ですから、、、、医師テニスの運営方面は弟に任せる姿勢に変わりはありませんが、今後足が動かなくなった時を考えて多少なりともお手伝いが出来ると嬉しいです。及能先生は実技も運営にも長けておられ安心してお任せなので、先生に迷惑をかけないように記念誌の依頼にも素直に書き記しました。でも長々と駄文を書いたのでやはりご迷惑をかけてしまったかな?


2月7日/2012年

ここの欄はすでに空き家も同然で本来の役目を果たしたようです。テニスに関する感想は掲示板でその都度話しているので、ここは休養宣言しておきます。
その代わり、勝手な個人の感想意見を書くブログのアカウントを取ってあったのを思い出したので、密かにここをリンク先にして様子拝見とします。

























 入り口


11月6日/2006年 選手権を考える

【選手権】を広辞苑で調べると、競技などの最高位者を決める試合で、優勝した選手または団体に与えられる資格とあります。
現状の平塚テニス選手権は年齢別種目への参加者数が極端に少なく、チャレンジャークラスへの参加者が非常に多いと言うことです。チャレンジャークラスと言うのは以前の予選に相当する種目ですが、クレーコート時代には順延が多くつまり予選がなかなか終了せずに本戦への影響が大きかったために同時進行で行われるように設けた種目であります。これもオムニコートでの試合が増えると日程の順延はほとんど無くなり初期のメリットは無くなりました。反対に年齢別に出てくる選手は元来一般でもシードの付いていた人が多いので多くの人はチャレンジャークラスへ参加し多ければ8試合でも行おうという魂胆で上位者へご褒美もあります!ベスト4になれば翌年は出られませんがそこまでになるに5〜6試合も出来るのです。でも最高位者を決める大会で無関係な試合をそこまでたくさん行う必要があるでしょうか?市民大会とか親睦大会なら問題はありませんが、、、、、反対に年齢別種目は参加者数も少なく顔ぶれも同じで新鮮味もありません。チャレンジャークラスに出ている35歳以上の人は一般を含む年齢別の予選に参加するような形にならないかと思っています。予選ですから2〜3試合で予選シード選手と戦う順番になれば良いのかな?一般種目もトーナメントクラスだけの状況になると数も増えて実力不相応の選手が次第に多くなってきたようにも思えます。こちらもきちんと本戦ドローを32位に絞り込んで予選をシード設ける形にしてチャレンジャーも統合すると好ましいと思っています。
確かに多くの人に参加してもらいたい気持ちもありますが、駐車場も少なくコートも数も日程も縮小化されている現状では絞り込んででも理にかなった運営にして欲しいものだと感じざるを得ません。大磯のコートも使えるように、四之宮の県のコート?も使えるように、、あとは使用料を支払ってでも開催日を増やせるように出来ないかと言うことです。テニス協会の会員の多くは平塚市民です!市民が参加する大会へ土曜日曜の使用制限が果たして妥当なのか再検討してもらう必要があると思っています。


7月3日/2005年  大磯テニスアカデミー発足記念パーティー

このコラムは年に1回記載があるかどうかで、具体的に何について書いて良いのかわかりません。どうやら記念式典がらみの感想などが多いので久しぶりの記述になります。
今回は大磯プリンスホテルテニスコートを借用しているフェニックススポーツさんが新たにジュニア育成のアカデミーを立ち上げて初代校長に竹村りょうこプロが就任しました。ここのコートでは大磯プリンスホテル運営スクールでは岡部君が担当していますが、フェニックスさんも同じようにスクールや試合運営をここで行っています。同じくOHTC(大磯平塚テニスクラブ)はこのスクール卒業生が集まって出来たクラブと聞いていますが、そこの出身の竹村りょうこプロもこのコートで育ってきました。従って現在も各種イベントはここを使うことが多いのです。その様な関係でもありジュニア育成にも関心があったのでスクールの校長にもなったようですが名目だけでなく実際に体を動かして働いてくれるようですから嬉しい限りです。相模川以西にもジュニアのスクールはありますがお互いにテニスのすそ野を広げる共通の目的を持って共存共栄を図っていきたいものです。さて、フェニックスの代表取締役は斉藤賢司さんで小生とも試合仲間で昔からの知人です。
そこの発足記念パーティーは約80名が集まったようです。主催者側代表の斉藤さんの挨拶に引き続き県テニス協会長岩淵さんの挨拶、プリンスホテル総支配人の古谷さんの挨拶に引き続きりょうこをサポートする会発起人の石川旺先生の予定だったようです。ところが会場に着くなり石川先生が北海道から戻れないので代わりに挨拶を突然頼まれてしまいました。従って来賓挨拶3番手で不肖私がご挨拶を申し上げました。突然の指名でひらめいたスピーチ内容の1/3も話せませんがぶっつけ本番中に余計なジュニアの話などしてしまって、、、、、今回の来賓はテニス協会、メーカー、各クラブ・スクール、報道、学校関係で東海大部長の弟が出席、湘南工科大の山本顧問、OHTC&サポートする会にプリンス関係に生徒・友人として加藤全孝君が出席でした。実際は写真でも撮っておこうという気持ちだけで出席だったのにスピーチまであったとは参った参ったです。今回お知り合いになったのは長野宏美さんで毎日新聞の記者です。小生が千葉にいた時に平木理化ちゃん達と同年代で4大大会を回り志津テニスクラブ隆盛の基礎になった人でもありますから、テニスに詳しい人ならば名前はご存じかと。テニスジャーナルにラケットをペンに持ちかえてと言う題?で連載されているのでご存じでしょうか?会場では岩淵会長、通泰会長、皆川さん、豊、りょうこ母娘、赤井さん兄弟、土田さん、大村さん、長野さん達と一緒だったかな?写真係?で自分の写真を撮ってくれる気の利いた人がまわりにいないのがいつも悩みですが、久しぶりにりょうこちゃんとツーショット撮ってもらいました。りょうこHPには載せられないのでこちらに掲載させてもらいますが下のコラムにも同じツーショットがありましたねーー。


1月24日/2004 まあお祝いになりますね!



 竹村りょうこプロが全豪オープン大会でダブルスに出場しました。プロになった時にまずチャンスは全豪オープンと話をしていたのを思い出します。今回の出場に関しては偶然と言うのか、ラッキーが重なりました。そもそも年頭の予定にはオーストラリア遠征は無かったからです。亜細亜大学の堀内監督から刺激を受けに出かけてはどうかと勧められてもいったんは断ったようですが、2日前?でもチケットが入手出来たので遠征になったようです。その様なわけで、刺激を受けるための遠征予定でしたが、現地で岡本聖子選手がタスマニア国際で浅越選手と組んで優勝を飾っておりアピール度も高くワイルドカードでダブルス本戦出場に決定。連絡も18日でした。しかも、相手が今シーズンでダブルスも引退を表明しているナブラチロワとレイモンドのベテランの第2シード。現地でのナブラチロワ選手は話題の中心らしくショーコート3番は入場できない人で長蛇の列だったそうです。試合内容は60,61と40分あまりの短い時間でしたが、全日本選手権決勝以上の出来映えは良かったとのことです。生で観戦できなかったのが残念でしたが、今後もメジャー大会へのチャンスもある事を祈りたいと思っています。





11月29日 平塚市テニス協会40周年  講演会 記念式典 祝賀会

平塚市テニス協会が誕生して40年と言うことは、小生が中学生だったようです。生みの親が父の進ですから小生に関係がなくもないってところですが、親父はそのことで便宜を図ることもなかったしテニスを今のようにやるとは思っていなかったでしょう。その頃小生は陸上部で3種競技を行っており、高校では短期野球部に入ったりと弟と異なってテニスとは薄い関係でした。グリーンクラブと言うテニスクラブに参加していたのかもわかりませんが、試合に出るわけでもなく遊んでやっていたかもしれません。大学で硬式テニス部に入部した時は未経験者のクラスに入れられた程ですから、、、、それでもグリーンクラブのメンバーが現在までの平塚市のテニスを支えてきたことに間違いないようで、現協会長の藤平氏も同じ出身です。
さて、昔話の続きは次回にして今回の40周年記念行事です。 概要
午後からの行事なので半年前から休診の案内をしていましたが、その分午前中に集中してしまい1時半もとっくに過ぎて終了。急いで着替えてパンをかじり会場のプレジールへ。今回の役目は写真撮影ですが結果的にはデジカメで失敗もたくさんありました。さて会場では設営も終了しておりビデオ設定を行って、講師の福井烈氏と控え室であれこれ談笑していました。明日の福岡チャリティーテニスで一緒になるようですが、あの衆議院選挙で山崎拓自民党幹事長を破った古賀潤一郎氏も柳川高校同期でナンバー2で出ていたそうです。兄の雄治氏のことも伺いましたが現在では兄の方がアグレッシブなテニスをしているとのこと。ベテラン全日本選手権では5連覇?位しているかも、、、(←調べて下さい)福井氏はTVと同じく実にさっぱりとして分かりやすい解説の講演をしていただきました。
続いて式典会場へ。ここでは来賓挨拶と紹介で福井氏が中座されて福岡へ。感謝状贈呈、功労者表彰、優秀選手表彰とあり閉会に。親父も特別功労者表彰を頂戴致しましたし、小生も優秀選手表彰をしていただきました。この10年間に全日本選手権に出場が目安らしいですが、10名が該当しました。
最後に祝賀会です。5階高砂の間に戻って飲食兼歓談です。


11月16日(2003年)
このコーナーには何も進展がありませんが、平塚市テニス協会のロゴを決めるのにご協力を。
候補を随時追加しますので色や配置その他のご意見を頂きたいですね! 


2003年6月9日
昨日で全仏オープンが終了しました。非常に嬉しいことに、杉山愛ちゃんがダブルス優勝(ペア:クライシュテルス)で自身の4大大会優勝回数を3回に伸ばしました。日本選手の優勝は全てダブルスと混合ですが、愛ちゃんが3回というのは特筆されます。ランクも最高位12位で伊達選手の4位に続き、沢松選手の14位を抜きました。セレナと戦ったシングルスでも愛ちゃんはあと一歩まで追いつめて、存在感を示してくれました。母がコーチになって成績が上がるというのが非常に不思議な出来事だと思っています。何故でしょう?男子優勝はフェレロでテニスの王子様の優勝も待ち望んだ人は多かったでしょう。サッカーのベッカム様と同様の国際スターになれる要素があるのにスペイン語だからテニスの世界だけに留まっている気がします。最後に準優勝だったオランダのフェルケレックはコリア戦とは別人の戦いでした。やはり下位ランクの選手だと納得できましたが、それまでの戦いは「ウソでしょう。こんな選手がトップ10に入っていないなんて、、、」でしたね!
これでゆっくりと眠れます。ハイ!


12月21日 神奈川県テニス協会 創立50周年 記念式典

神奈川県テニス協会が創立50年と言うことで、記念式典が横浜グランドインターコンチネンタルホテルで行われました。今までにこの様な式典を行ったことがないようでしたし、わざわざ招待状が届いたこともあり、折角なので出かけてきました。親父の運転手役を誰かが命じたのかもしれません。当日は生憎の雨だったので、思惑は大成功でしょう。さて、式典は山田悠一さんの司会進行で始まり、会長の岩淵元さんの挨拶、来賓の渡邊康二さん、碓井進氏 櫻井國臣氏の挨拶、乾杯に引き続いて感謝状がスポンサー、市町村協会、テニスクラブ、事務局に贈られて歓談。こうなるわけですが、今回は頼まれたわけではありませんが写真をたくさん撮らせてもらいました。県内のテニス関係者の多くが集まっていますので、さすがに知らない方も大勢でしたが、逆に知り合いも多いものだとも気付きました。
 今回のご挨拶でもあったのですが、神奈川県はテニス強国であると誰もが認めています。渡邊康二さんも神奈川県、東京都、福岡県、兵庫県がテニスの名門のようなことを述べていたし、記念誌に書いてあるように全日本女子優勝はここ20年の間に11回は神奈川県で、選手も井上悦子、岡川、雉子牟田姉妹、神尾、杉山、吉田、藤原、竹村とファイナルまで進出しています。朝日レディースでも東京都と並ぶ最多優勝だし、ベテランテニスでも小生の年齢近くでは全日本ランク10位の半分が神奈川と言うことはよくありました。ここあそこと談笑している間に食事の方は行列が出来てしまい、お腹の空いたこと。カレーを一挙に食べて他のものにはあまり手をつけられなかったのが心残り。そうこうしている間に田村さんの謝辞がありお開きに。この模様は写真でどうぞ  こちらから


9月5日


7月31日


5月26日


2月24日


1月30日


1月14日 掲示板の貼り付け


1月8日


1月1日


11月7日


11月2日


10月15日


9月16日 今日はトヨタプリンセスカップで竹村りょうこ選手対フサイ(フランス)の試合を中村千里が感じたことを書いてみます。


8月31日


8月7日
どこに書こうか迷った末に、ここにたどり着きました。毎度の事ながら、現在平塚ジュニア選手権が行われています。この大会の参加者は平塚から西の方面の高校生が主人公です。それも入門編の大会になっているようです。試合の初心者に試合のやり方を教えてあげるような、、、、
でも常々言っていたように、世界のトップ選手はこの年齢です。底辺を広げるには貴重な大会ですが、何とかこの年齢までにある程度完成された形の選手になってもらいたい。つまり高校生が大量に参加して初級テニスを見せつけられるより、14歳以下、12歳以下、10歳以下、8歳以下ともっと低年齢層が大量に参加して初級テニスを見せてもらう分には嬉しいのです。この年齢層の開拓こそ今後の重要課題と思いました。
もちろん県大会に出場も難しい高校生にとって貴重な大会になっているのは十分に承知はしています。


6月26日
今週はウィンブルドンが始まりました。よーーく考えてみると、このウィンブルドンがテニス界の最高峰と言われています。4大大会の中でも別格と言うイメージがあります。伝統があるからでしょうか?でも芝生の試合なんて世界のテニス人口の何パーセントの人々がやっているのですかねぇ。あまりにイレギュラーが多くサーブで終わってしまう試合展開は観ていても何か変と感じてしまいます。つまり、自分たちとはかけ離れた技量の持ち主が、あまりに簡単にミスを連発します。神奈川オープンの方がイージーミスは少なく見えてしまいます。原因は芝生ですが、実感としてなかなか伝わってきません。80%以上は普通のバウンドをしていないと思って観なくてはいけないのですが、このところを放送でも伝えて欲しいと思いました。また、テニス衰退を心配している自分としては、NHKがBS2とBSハイビジョンで違う試合を長時間放映してくれているのは涙が出るほど嬉しい出来事です。寝不足になるかもしれませんがね。初日の試合でヒンギスが負ける試合を観てしまいました。第1シードが初戦敗退するのは4回目だそうですが、当たりまくる相手に不調の女王ではどうしようもありませんでした。


6月10日
今日は「Ryoko cup in 湘南」と言うイベントに参加してきました。内容はミックスダブルスで親睦と竹村りょうこ選手の応援を主な目的としていると思っています。写真や結果はりょうこ選手のHPに掲載されますのでそちらをご覧下さい。この様な試合にどの様な態度で臨むかはいつも迷ってしまいます。少し若いときには全力でどの様な相手にもぶつかっていくのがスポーツマンらしいと思っていたのですが、最近ではそれなりの相手にはそれなりに合わせる様にしています。強豪になればそれなりに集中していくのですが、これがダブルスではペアにこの思いが伝わらないようで悩みます。今回のように若いジュニア選手と組んだときにはなおさら考えてしまいます。臨機応変にやって欲しいと望むのが無理でした。最初から集中していれば最後まで同じプレーで進行できたのに申し訳なかったと思いました。


6月3日
ただ今全仏オープンが開催中ですが、今年の目玉は何と言っても若武者ロディックでしょうか?この先必ずトップ選手になることは間違いはありませんが、時代をリードする選手に育つかはまだわかりません。ストローカーのドライブ選手は長続きしない印象が強いからです。アガシだけがカリスマ性を持って残っていますが、ベラサテギ、モヤ、リオス、ノーマン、、、、、、とランクが上位になっても短期間でした。ボルグは意外にもサーブやネットが良かったので長かった?かな?いずれにしても今後に期待しましょう。
話しのついでにサントーロ対サフィンの試合にはベテランだったらわかる味わいがありました。あの試合を見たら自分も再び一般で戦ってみたくなりますよ!でも基本的に運動量や機敏さが問題で無理なのは承知なのですが、、、、


5月19日
今日の午後、関東オープンのドローが送られてきました。最近は決勝戦まで強豪と当たらないラッキーな試合が続いていたのですが、残念ながら今回でおしまいのようです。初戦は上原久雄さんでフォアハンドの強力な大物食いさんです。今年の東京オープンであのフランス人のアニールを破って優勝したのかな?(最終日まで残っていたのは確かだから、おそらく優勝した)時々毎日選手権でも優勝争いに加わる強豪ですが、なぜか時々意外なところで負けてしまうので全日本の常連ではありません。たとえ勝っても次も全日本経験者が争って勝ち上がるので、関東オープンですが最初から最後(優勝するまで)全日本経験選手と当たらなくてはならない過酷なドローでした。今年のポイントは期待できませんよ!昨年の全日本でもらった情けのポイントが肩代わりしてくれて、毎トーで16以上になれば今年も全日本予選には出られるかもしれない微妙な戦いになってきました。でも昨年の全日本では自分が出場でき、おかげでポイントも高く、今回の隠れシードの位置にいるのはこの自分ですから弱気にならずに頑張りましょう!!


5月19日
女子に関しては、ジュニアの選手が強いと言ってきました。最新のJOP(日本ランキング)で300位までの選手を拾ってみました。実際に知らない選手もいるので、所属から拾い上げた選手もいますので漏れた選手やジュニアの卒業生も混じっているかもしれません。
この様にかなりの選手が入っていますが、逆にジュニアのトップ選手が意外に入っていません。これはJOP対象大会に出場していないだけであって、最近の傾向からすると50位から100位までの選手には十分に勝てるようですが。
また、この子たちがジュニアと呼ぶのは選手活動をしているプロ予備軍と言える人のことで、高校のクラブでテニスをしている人とは区別して一般の人と言っているようです。

89田中 姿帆 91松井 小麦 101中村 藍子 102細川 雅代 104渡辺 涼子 110立木 はる夏  115芳野 紗綾香  118落合 佑花里 119関口 みちの 131金城 未央  134糟屋 友里 135深田 麻奈美 141鈴木 まどか 149上野山 詩織 159西榎田 たま枝 161竹本 みのり 162梅田 さやか 166藤代 春香 168清水 咲子 175山形 生夏 177細江 さちえ 178竹原 心 182明神 珠美 183荒川 望 197井上 万里 205嘉勢 みずき 218中村 志舞 223西尾 麻美 229中山 亜美 240鈴木 詩子 241間中 ひろみ 246愛甲 霞 249大見 由香 250鍋谷 尚映 253藤井 仁美 260辻 麻里子 268外西 美香 269池田 菜穂 290倉島 侑里           


3月27日


3月25日



2月19日


2月12日


1月31日


1月27日


1月19日


1月10日


1月7日


12月17日


12月4日


11月26日


11月19日


11月12日


11月7日


11月1日


10月25日


10月17日


10月5日


9月24日


9月21日


9月13日


9月11日      杉山 愛ちゃん優勝!!


9月8日


9月5日