牧師エッセイ   
  
 「十字架の見えるテラスから」⑩


ようこそ!平塚富士見町教会のホームページへ!

 

 2019年が始まりました。今年も皆様の上に神様の祝福があり、日々が平安であることをお祈りしています。
 12月に、茅ケ崎市で活動をしているゴスペルグループ「WIZ」の皆さんが平塚富士見町教会でワークショップを開催しました。ワークショップの講師は、ニューヨークの教会の牧師であるRichard Hartleyさんでした。ゴスペル歌手としても活躍されていて、この方が教えてくださることは、WIZの皆さんにとってはとても特別なことでした。私もリチャード牧師に会うことをとても楽しみにしていました。教会に入って来られたリチャード牧師はとても背が高く、サングラスをかけて分厚いダウンのコートを着ておられたので、何かのスポーツ選手にも見えました。牧師である私たち夫婦に「PasterIm a paster too!」と握手をしてくださいました。同じ牧師であるとで、国や人種を越えてすぐにわかりあえたような暖かい気持ちになりました。
 ワークショップを外から見ていると、リチャード牧師の指導と思いを少しでも自分の中に取り入れたいとWIZの皆さんが一生懸命ワークショップに参加しておられる姿がありました。歌声には力がありました。
 礼拝堂は特別な場所です。神様を信じる者に力を与え、励ましを与えられる場所です。今年もこの礼拝堂でささげられる礼拝によって多くの人が力を与えられ、励まされることを願ってお祈りしています。

 
 
 
 

 

十字架の見えるテラスから」⑨ 

2018年も残り一か月となりました。皆さんにとって、2018年はどのような年だったでしょうか。自分の一年を振り返るのと同時に、自分が住む日本という国にとって2018年はどのような年であったかを考えると、今年もたくさんの災害があったことを思い出します。
 最近ニュースで、各地で起こった災害からの復興がなかなか進まない現状を伝えていました。家の一部が壊れても修理してくれる職人さんが不足していて、修理できずに年を越す方も多いと聞き、どれだけ不安で、希望を見出したいと思っておられるかと思いました。
 最初のクリスマスの夜、町から離れた場所で寒い中、野宿をしていた羊飼いのところへ天使たちが救い主がお生まれになったことを伝えます。羊飼いたちは急いで天使たちが知らせてくれたことを見に町へと急ぎます。そして馬小屋で生まれたばかりの赤ちゃんに出会い、喜びながら野宿している場所へと帰っていきます。 
 私たちにとって、暖かい寝る場所はとても大事です。しかし暖かい寝る場所以上に、嬉しい知らせが心にあることはもっと大事なことではないでしょうか。クリスマスは、嬉しい知らせを誰もが聞くことができる日です。嬉しい知らせを聞きに教会へいらしてください。
 教会のドアを開けてお待ちしております。
 

 
 

 
「十字架の見えるテラスから」⑧ 

 11月25日()午後12時45分から、平塚富士見町教会でミニコンサートを開きます。演奏者は平塚富士見町教会の聖歌隊、そして奏楽者である高田春彦氏によるオルガン演奏です。聖歌隊は、人数は多くありませんが、毎週練習を重ねてきました。プロの音楽家ではない方々ですが、礼拝堂で奏でられる聖歌隊の賛美とオルガンの演奏は、心と体の癒しと養いになると思います。ぜひお越しください。
 音楽はいつの時代も人の心を癒し、楽しませてきました。教会では、讃美歌を歌います。礼拝のなかで用いる楽器は電子オルガンです。オルガンの前奏が流れるなか、静かな礼拝堂で頭を垂れて祈る時、心が神様へと向かいます。いろいろな問題や心の痛みを抱えていても、オルガンの音が全てを忘れさせます。そして祈ることに集中することができます。

     「この世のつとめ、いとせわしく、人の声のみしげきときに
       祈りにしばし逃れゆきて、我は聞くなり主の御声を。」

 私が好きな賛美歌の一節です。誰の声を聞くべきなのか、歌うたびに考えさせられ、神のお言葉を聞きたくなります。

 

「十字架の見えるテラスから」⑦ 


  今年の夏は記録的な暑さや、台風、雨の被害など私たちの将来を不安にさせることが多くありました。先日の台風の風はこれまでに経験したことのない強さでした。そのような不安を感じる時、皆さんはその不安をどうやって心から取り除いていますか。
 毎朝、私は「ローズンゲン」という小さな本を食事の前に開きます。この本には、聖書の言葉が書かれています。旧約聖書からと新約聖書から一節ずつ書かれています。聖書は辞書のように分厚い本です。牧師をしていても、全ての言葉を覚えているわけではありません。だから、毎朝「こんな言葉もあったのか」と思いつつ読みます。たった数行しかない言葉を何度か読み直します。そうすると不思議なことが起こります。心が安らかになるのです。
 10月4日は次のように書いてありました。「互いに親切にし、憐みの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」
 人間同士の出来事に心が疲れる時、神様の思いを聖書の言葉から聞くと、神様のまなざしは人間のまなざしとは違うことを感じて心が安らぐのです。10月は一か月間「キリストに出会う」というテーマでイエス様に出会った人々について説教をします。多くの方に、イエス様に出会って、心が安らかになる経験をしていただきたいと祈っています。
 心地よい、涼しい風が吹く季節に教会にいらっしゃいませんか。

 
 
「十字架の見えるテラスから」⑥    
 
 
 先日、車を運転しながら頭に「弱肉強食」という言葉が浮かびました。今の時代が弱肉強食の時代なのだ!突然強く感じたからです。他の人よりも早く良いものを手に入れたい。そのためならば何でもする。反対に人よりも損はしたくない。そういう思いが溢れている時代のように感じました。
 自分が強い時は、良いものを得ることができます。しかし、弱くなったらどうしたらよいのでしょうか。自然界のピラミッドのように、強い者は少数です。 強い者になるために、早めに用意し、強くなるための訓練をする。弱い者のことを考える時間はありません。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」このイエス様のお言葉がホッと心に入ってきます。 休ませてくださる方がいてくださいます。





 
「十字架の見えるテラスから」⑤    
 

    「宣教師」と聞くと、日本人の多くは、フランシスコ・ザビエルを思い浮かべるのではないでしょうか。宣教師は、キリスト教を伝えるために教会から派遣されて、違う国に住む人々です。ただキリスト教を伝えるだけではなく、医療や教育の専門知識を持ち、その国の発展のためにも働きます。
 日本が鎖国をやめたあと、多くのプロテスタントの宣教師が日本に来て活動しました。彼らは特に弱い立場にあった子どもたちや女性たちの教育に力を入れて活動しました。宣教師のなかには、女性の宣教師がいました。日本各地にあるミッションスクールのなかには、彼女たちの多くの苦労によって始められたものがあります。
 今でも日本に宣教師として派遣されて来る人がいます。私自身、学生時代にアメリカのバプテスト教会から派遣されていた宣教師ご夫妻に大変お世話になりました。違う国へ来て、喜んでキリスト教を伝えておられる姿にとても励まされ、影響をうけました。不思議なことに、私の母もアメリカから派遣された女性宣教師たちと一緒に暮らした経験があります。
 今、日本の教会から宣教師を派遣しています。世界各地にある日本人教会で説教をし、各国から派遣されている宣教師と交流しながら、現地の人々のためにも働いています。
 9月9日にベルギーに派遣されている川上真咲宣教師をお迎えして礼拝を守ります。活動報告もされます。ベルギーはどのような国で、どのような活動をされているか興味のある方はぜひ礼拝にご出席ください。お待ちしています。

 



 
「十字架の見えるテラスから」④    
 
 私たちの教会では、アフタヌーンチャーチという名前で、日曜日の午後2時からコンサートや講演会を年に数回行っています。7月29日()午後2時から「チェロとピアノのコンサート」が行われます。ドイツ在住で、ドイツの国家演奏資格を持った森田満留さん(チェロ)森田竜一さん(ピアノ)をお招きしてのコンサートです。お二人をお招きするのは3回目になります。毎回、チェロの深く、低い響きとピアノの優しい音色が礼拝堂に響きわたります。体全体を使ったお二人の渾身の演奏に、いつも心を動かされます。
 平塚富士見町教会で演奏された音楽家の皆さんは、とても音が響く礼拝堂だとおっしゃいます。木の礼拝堂のなかで聴く音楽は、日常を忘れさせる力があります。私たちは、日々の忙しい生活に疲れた方に心の癒しと養いを経験できる教会でありたいと思っています。日常の悩みや不安から離れて、神様を礼拝する場所で、素敵な音楽を聴く経験をしてみたい方は、ぜひアフタヌーンチャーチのコンサートへお越しください。
 
 

「十字架の見えるテラスから」③  
 聖書を読んでみたことがあるでしょうか。聖書はとても分厚い書物です。どこから読んだらいいかわからない。難しい言葉で書かれていてよく意味がわからないと思われるのではないでしょうか。
 今、私は近くのキリスト教主義の小学校の1年生から4年生までに聖書を教えています。小学生の聖書の授業をしてみて驚いたのは、子どもたちに「聖書を読んでくれる人」と言うと、競い合うように聖書を読もうとすることです。こんなに分厚い本は、子どもたちにとって初めて手にするものです。漢字もたくさん書いてあって、一度読んだだけでは意味がわからないことばかり書いてあります。でも子どもたちは聖書を読むのがとても好きなのです。一年生の女の子は、授業や礼拝で読んだ聖書の箇所すべてに付箋をつけています。もう一人の一年生の女の子は、読んだ聖書の箇所に線を一生懸命引いていました。難しい書物だからこそ、子どもたちは聖書に興味津々なのです。そのような子どもたちに少しでも聖書の内容が理解できるように授業をしたいと思っています。
 教会でも聖書を読んでみたい、聖書に何が書いてあるか知りたいと思われる方に向けて「はじめての聖書」という5回シリーズの講習会をすることにしました。興味のある方はぜひご参加ください。 




「十字架の見えるテラスから」②

 5月のゴールデンウィークが終わり、4月から新しい生活を始めた方々は、少し新しい生活が落ち着き始めるころだと思います。同時に体に疲れを感じる時でもあります。
 体や心に疲れを感じる時、どのようにして体と心を元気にしているでしょうか。映画を見たり、本を読んだり、私たちの住む社会にはたくさんの娯楽があり、気分転換できるものがあります。それなのに、なぜ私たちは体と心の疲れを完全に解決することはできないのでしょうか。それは、私たちがいつも不安を感じながら生きているからです。体が病気になるのではないか、何か悪いことが自分の身に起こるのではないか。私自身もいつも不安を持って生きています。一時、気分転換して気分が上がっても、またすぐに不安が私たちの心を覆ってしまいます。
 そのような時、私はお祈りをします。聖霊のお力によって自分を強くしてくださるようにと祈ります。イエス様はおっしゃいました。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」イエス様は復活された後、天に昇っていかれました。そのあと、イエス様の代わりに神の霊「聖霊」が地上に与えられました。それがペンテコステです。クリスマス、イースターに比べて知られていないペンテコステ。今年のペンテコステは5月20日です。この日に与えられた聖霊は、不安になる私たちをいつも力づける目には見えない神様の霊です。この霊によって、私たちは不安のなかに一人でいるのではなく、神様がいつも一緒にいてくださることを知ることができるのです。そして、不安をかかえながら聖霊によって強められた人が集まってできたのが教会です。教会は強くて正しい人が集う場所ではありません。不安をかかえながらも、神様に守られていると信じる人たちが集う場所です。どなたでも、いつでも教会に招かれています。

 


  
「十字架の見えるテラスから」①

 牧師の児玉慈子です。私たち牧師家族は、平塚富士見町教会の二階に住んでいます。
「牧師館」と呼ばれます。牧師館のベランダからは教会の天井にある十字架が見えます。その十字架を見ながらベランダでいろいろなことを考えます。私たちの教会がどのような思いでこの場所にあるかをホームページにお越しいただいた皆様にもお伝えしていければと願い「十字架の見えるテラスから」という題で教会の思いを書かせていただこうと思います。

 4月1日はイースター礼拝でした。イエス様が十字架におかかりになり、苦しんで息を引き取られた三日目に復活されたことをお祝いする日です。今では十字架はアクセサリーになるような煌びやかなものになりました。しかしもともとは一番苦しい死刑のために使われるものです。息を引き取るまで苦しみ、遺体はそのままさらされる。そのような十字架がなぜアクセサリーになるのでしょうか。それはイエス様が復活されたからです。復活の光によって十字架が全く違うものになりました。
 復活なんてありえないと考える人が多いと思います。イエス様の復活を最初に伝えたのは弟子たちです。彼らは十字架にかけられたイエス様を捨てて逃げた人たちです。彼らが死を恐れずイエス様を伝える者となりました。人間は簡単には変えられません。彼らを変えたのは、復活という大きな出来事があったからだと思います。
 死を恐れるしかなかった人間に復活の光が与えられたのがイースターです。暗いお墓の中から出て来られたイエス様はまぶしい光に包まれたことでしょう。私たちもそのような光に包まれることが約束されているのです。