こちらでは教会月報(最新号)等の牧師説教を掲載しています。


4月23日 礼拝2」
 「 父の家に帰る 」 

詩   編   23:6
 ルカによる福音書  2:41~52
 牧師 児玉 慈子 

 今年度は、ルカによる福音書を礼拝のなかで読んでいきたいと思います。ルカによる福音書の著者であるルカは福音書の初めに次のように言っています。1:3「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。」テオフィロという人物の名前が記されていますが、当時は誰かにささげる目的で書かれる文書が多かったようです。テオフィロがどのような人物であったかはわかっていませんが、ルカは、誰かにイエス様のことをよく理解してほしいという思いでこの福音書を書いたことは確かなことです。そのために順序正しく書いていくことを大切にしました。イエス様のことを理解してもらいたい。信じてもらいたい。それは私たちも同じ思いです。そのような思いで書かれたルカによる福音書は、使徒言行録へと続いていきます。福音書は4つありますが、続きがあるのはルカによる福音書だけです。ルカは、イエス様と共に旅をした弟子たちが十字架と復活を経験する姿を福音書で描きます。そしてイエス様に力づけられ、聖霊によって変えられた弟子たちが教会をたてていく姿を使徒言行録で描きます。イエス様と共に旅をした弟子たちと一緒に私たちもイエス様の旅に同行する思いでルカによる福音書を読んでいきたいと思います。そして、私たちも力づけられ、変えられていくことによって教会をささえ、守っていく力を得ることができるように祈りつつこの福音書を読んでいきたいと思います。

 本日はイエス様の少年期の姿を描いた唯一の箇所を読んでいきたいと思います。

 イエス様はヨセフとマリアの夫婦に与えられた最初の男の子としてお育ちになります。彼らはナザレの町に住んでいましたが、ユダヤ教の儀式をするためにはイエス様をエルサレムの神殿に連れていきます。ナザレとエルサレムは歩いて旅をするのであれば、かなりの距離があります。それでもヨセフとマリアはユダヤ教の習慣を大事にして長い旅をし、エルサレムにある神殿へいきました。イエス様は生まれてしばらくして、神殿でユダヤ教の大切な儀式である割礼をうけられました。その時から両親は、イエス様を神様に喜ばれる子として育てていく義務が与えたのです。

ユダヤ教の儀式のなかで割礼の次に大事な儀式は男の子が12歳の時に行うバルミツバという儀式です。この時からユダヤ教のコミュニティーのなかでは大人として発言権を持つようになります。割礼の時に両親に与えられた義務、神様に喜ばれる人として育てる義務が本人に移行されることになります。この時から、男の子は自分で神様との関係を築いていくのです。

イエス様が12歳になったとき両親と共にエルサレムへと旅をされました。巡礼の旅というのは、長い旅でありながら、楽しい旅であったと思います。詩編122編には次のようにあります。「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしは嬉しかった。エルサレムよ、あなたの城門のなかに私たちの足は立っている。エルサレム、都として建てられた町、そこに、すべては結び合い、そこにすべての部族、主の部族は上って来る。」エルサレムへと昇ることの喜びが伝わってきます。バルミツバの儀式を行う時には親戚一同が集まるそうです。イエス様の家族、親戚が一同に集っての旅は喜びが多い旅だったのではないでしょうか。特に帰りの道のりは、大切な儀式をエルサレムの神殿で行うことができた喜びがあったと思います。

 ところがエルサレムからの帰り道で事件が起こります。ヨセフとマリアは、バルミツバの儀式を終えたばかりの自分の息子が親戚や巡礼の旅をしている人たちの群れのなかにいるものとばかり思っていました。しかし、イエス様はエルサレムの神殿に残っておられたのです。ヨセフとマリアは、イエス様を捜してエルサレムへと引き返します。そして、46節「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」両親が必死で、本当に心配して捜していたのに、イエス様は神殿で座って人々と話をしていました。当然母であるマリアは息子であるイエス様をとがめます。48節「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」私たちはこの言葉に共感してしまいます。しかし、イエス様はマリアが予想した答えとは全く違う答えをされました。49節「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

 49節のイエス様のお言葉は、ルカによる福音書に初めて載せられたイエス様のお言葉です。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」父の家と訳された言葉はギリシャ語では、家という単語はでてきません。むしろ父のなかにいると訳した方が直接の訳になります。本当に父なる神と一体になりたいという思いを持たれたのだと思います。

 いつからイエス様が、ご自分が神の子であることやご自分の使命について知られるようになったのかはわかりません。ご自分の意思で神様との関係を築いていくスタートを切ったこの時から、イエス様は父なる神との関係をより深いものしたいという思いを持たれたのではないでしょうか。父のもとにいたい。そのような思いで神殿に残られたのだと思います。

 父のもとにいたいと思われたイエス様はこのまま神殿に残られたわけではありません。51節「それから、イエスは一緒に下っていき、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった。」神のもとから両親と共に下っていった。それはイエス様が神でありながら、人間のもとに来てくださったことと重なります。ナザレのイエスと呼ばれるようになったのは、人間として両親と共に暮らされていたからです。誰から生まれたのか、どこで生まれたのか、イエス様の事知っている人たちはイエス様を救い主として信じることができませんでした。イエス様が自分たちと同じ存在であると思っていたからです。彼らがそう思ったのは、イエス様が私たち人間と全く同じ存在になってくださったからです。なぜ全く同じ存在にならなくてはならなかったのか。それは私たちの身代わりとして私たちの罪を背負われて十字架におかかりになるためでした。今日の聖書の箇所の最後にはこうかいてあります。52節「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」神と人とに愛されたイエス様が、最後は人から侮辱され、神様から見捨てられた者として十字架におかかりになりました。

 父なる神のもとにいたいと思った少年であったイエス様はいつ頃からご自分の使命の先にあるのが十字架だと気が付かれたのでしょうか。父なる神の思いに近づけば近づくほど、十字架が近くなっていった。イエス様のご生涯を思います。私たちはこの方の思いにどう近づけばよいのでしょうか。