こちらでは教会月報(最新号)等の牧師説教を掲載しています。


12月 24日 クリスマス礼拝 (
 「 二 つ の 光 」 

 詩   編       112:4
ルカによる福音書  2:8~20
 牧師 児玉 義也 

1.主に出会う旅

 クリスマス礼拝の中で、洗礼式をいたしました。私ども洗礼を受けたものは、皆それぞれに人生を歩むなかで、イエス様に出会い、洗礼を決意いたしました。イエス様に出会うための人生の旅路、それは2000年前の博士たちや羊飼いたちの歩みと同じです

2.羊飼いを照らす光

  今年のアドベントは、「光」を主題にみことばを聞いてきました。今日は「二つの光」について考えてみたいと思います。今日の箇所では、羊飼いたちを照らした天の光が描かれます。「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(ルカによる福音書29)。「周りを照らした」という言葉は、珍しい言葉で、新約聖書では、わずかに二回しか出て来ない言葉です。あとの一回は、使徒言行録2613節、パウロの発言のなかに出てきます。
それは 太陽よりも明るい強烈な光であったと記されています。羊飼いたちを照らした光も、非常に大きな光であったことがわかります。「彼らは非常に恐れた」(ルカによる福音書29)、とありますので、恐れを感じさせる強烈な光であったことがうかがえます。 

3.馬小屋の光

  一方で、私たちはもう一つの光に目を向けて見たいと思います。それは、聖書には直接描かれておりませんけれども、私たちの想像のなかで許されているといえます、馬小屋の光です。
 イェルク・ツィンクの著書『レンブラントのクリスマス』(伊藤公子訳、1995年、一麦出版社)という本があります。レンブラントの描くクリスマスの馬小屋は、いかにもレンブラントらしい暖かな光の情景です。それは、輝くような強烈な光ではありません。薄暗いなかで、わずかな光がほんの少しだけその周りを照らしているという様子です。レンブラントは、そのわずかな光を、天上からではなく、幼子イエス・キリストに見ています。マリアに抱かれた幼子から、穏やかな光が周囲を照らしています。ツィンクの言葉を引用します「光は上からも射し込んではいない(中略)光は、下方から、神のうちにおられる幼子の神秘より生まれる」(同書26頁)。

 4.クリスマスのメッセージ

   二つの光を見てまいりました。夜通し働く羊飼いたちの苦難を、思いがけず天からの光が照らしました。羊飼いたちの労苦に、自らを重ね合わせる方も多いかと思います。クリスマスや年末、お正月にも、働いておられる方。家族の介護や看病に尽くされている方々。それぞれに様々の労苦があります。その現代の羊飼いたちに、神さまは輝く光を投げかけます。彼らを照らし、その苦しみに答えを与えようとされます。その答えとは、馬小屋にお生まれになった神の独り子です。この方も、この世に宿る場所なく、馬小屋でお生まれになりました。
 
この御子イエス・キリストに出会うことが、羊飼いたちへの答えであり、ゴールです。輝く光は、そのためのきっかけに過ぎないのです。輝く光自体がゴールではありません、ゴールは馬小屋の小さな御子イエス様の光、わずかな光です。
 洗礼式は、信仰の道のりからいえば、ひとつの大きな輝きの時であり、言い方はあまり良くないかもしれませんが、ハレ(晴れ)のときです。けれども、曇りや雨もあります。晴れの日は、信仰の旅路のはじまりに過ぎません。目指す先はもっと、小さくて、目立たない、しかし確かなキリストの光です。信仰の旅路は、時に味気ない繰り返し、曇天や雨天の時もあります。思い出して頂きたいのは、その道も、馬小屋へと続く確かな道であることに間違いないのです。