こちらでは教会月報(最新号)等の牧師説教を掲載しています。


1月 14日 主日礼拝 (
 「 イ エ ス と は 何 者 か」 

   マ ラ キ 書    3:23~24
ルカによる福音書  9:1~9
 牧師 児玉 慈子 

 先日、大磯の図書館でキリスト教の本のコーナーを見る機会がありました。ほんの数分だけしか見ませんでしたが、そこには、「イエスは本当に実在したのか」とか「キリスト教の隠された事実」などという本がありました。イエス様のことを知りたいと思う人は多いのだと思います。しかし、それを聖書から知るのか、それ以外のものから知るのかによってずいぶん印象が違ってしまうのだろうと感じました。
 聖書は、弟子たちの視点からイエス様のお姿を伝えています。それは、偏った見方をしていると思われるかもしれません。しかし、聖書のどの箇所を読んでもイエス様と弟子たちはとても素朴でいつも苦しんでいる人のために歩む姿が描かれています。それを読む時、私たちは神様の御言葉を大事にし、苦しむ人を救うことの大切さをいつも知ることができるのです。
 先週、先々週の箇所で、イエス様は長い間病気で苦しんでいた婦人を癒し、一度は息を引き取った女の子を生き返らせてくださいました。弟子たちは、自分が尊敬して従ってきたイエス様が今、苦しんでいる人をすぐに救うお姿を見て、また、救われた人たちが喜ぶのを見て、うれしかったのではないでしょうか。苦しんでいた人たちがそこから解放されるのを見ることは、周りにいる人にとってもうれしいことです。イエス様は、この喜びをさらに多くの人にお与えになるために、弟子たちを遣わそうとされていました。
 イエス様は、弟子たちにご自分と同じ力を与えてくださったのです。1節「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。」長い間苦しんでいた人たちがそこから解放されるのを見てきた弟子たちは、自分たちが同じことができる力を得て派遣されようとしていました。期待と不安が入り混じったような気持ちだったと思います。
 さて、その結果はどうなったのでしょうか。12節「十二人は、出かけていき、村から村へと巡り歩きながら、至ところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」弟子たちがイエス様から託されたことを無事にすべて終えることができたことを私たちに伝えています。それは大きな喜びだったのではないでしょうか。彼らはイエス様が天に上られた後も、引き続き今日の箇所と同じように各地に遣わされ、教会を建てていきます。最初に派遣された旅で福音を伝え、病気をいやすことができた体験は、その後の弟子たちの宣教に大きな影響を与えたと思います。
 イエス様は、これまで弟子たちに大きくわけて二つの出来事を示されました。一つは、奇跡です。病気をいやし、悪霊を追い出し、死んだ人を生き返らせました。もう一つは、神の国の教えです。人間が生きていくのに何が幸いであるのか教え、たとえ話で神の国について教えられました。

 この箇所を読んでみて、感じることは、私たちが同弟子たちと同じようにイエス様を信じる者であるなら、なぜ病気の癒しをすることができないのでしょうか。病気というものは、人を苦しめる大きな要因です。それを取り除く力があれば、どれだけの人を救うことができるだろうかと考えます。
 なぜ、イエス様のように、苦しんでいる人をすぐに救うことができないのでしょうか。今の私たちには病気を治す力はないかもしれません。その代わりに私たちには、神様に祈ることができるからではないでしょうか。誰にも強制されず、誰かのために祈る。自分勝手なことばかり考える人間が人のために真剣に祈る。この事こそ私たちにとっては小さな奇跡ではないでしょうか。
 実は弟子たちはこの後、弟子たちのもとに癲癇の子が連れてこられたときにその子をいやすことができなくてイエス様に怒られることになります。癲癇の子をいやすことができなかった弟子たちがなぜ自分たちは癒すことができなかったのかとイエス様に聞きます。するとイエス様は「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことができないのだ。」と言われました。祈ることしかできないのではなく、私たちは祈ることができるのです。
 イエス様は人の苦しみに目を向けられ、そこから救い出すことを何よりも大切にされました。その思いは弟子たちに伝えられ、私たちにも伝えられました。私たちはたとえ自分に人を自由に扱う力があっても、人を大切にすることを選ぶ力が与えられているのです。そのようなイエス様の思いは今のこの世界のなかでとても尊いものではないでしょうか。イエス様の思いを知る者として、私たちも日々の生活のなかへと送り出されていきます。この教会で礼拝を守り、神様の御言葉を聞いて、イエス様の愛に触れ、私たちはこれから「出て行こう」としています。出て行って何をするべきなのか。それは、イエス様が大切になさったことは何であるかを知り、それを自分も大切にしていくことではないでしょうか。その時、イエス様は私たちと共に喜んでくださると思います。

 時には道をそれ、神様の御心から離れてしまうこともあります。失敗してしまうことありあす。しかし、イエス様が何を大事にされていたかを知る時に、私たちは必ず自分たちが何を大切にするべきなのかを思い起こし、神様の思いへと引き戻されていきます。