こちらでは教会月報(最新号)等の牧師説教を掲載しています。


10月 (
 教 会 の 葬 り  
 牧師 児玉 義也 

  街ではハロウィーンがすっかり馴染んできました。万霊節と呼ぶこの時期、死者を覚える時です。教会でも、これまで多くの会員を天国へお送りしてきました。  

 いつも葬りのたびに思います、教会の葬儀は、牧師(宗教者)がひとりですることではなく教会全体(教会のメンバー)で行うものです。ただ2日間の前夜式、葬儀式という葬りの儀式を執り行うということでなく、ひとりの信仰者が地上を去るまで、死を迎えるまで、寄り添い、祈り、お支えするものです。 

 ある姉妹(仮にAさん)の葬儀に際し、Aさんと親しくされている教会のメンバーの知らせで、Aさんの状況を知ることができました。教会の交わりが確かに機能していることの証といえます。病院を退院され、施設に短期入居されました。少々遠方の施設でしたが、教会の長老・執事(いわゆる役員にあたります)が見舞ってくださいました。 

 施設で体調を崩され、再び病院へ入院されました。それから召されるまでたくさんの教会の方々がお見舞いに訪れてくださいました。わたしもお訪ねすると教会の誰かしらと一緒になることが、たびたびありました。お訪ねしてくださった方と、Aさんと3人で一緒に祈って過ごすことができた、あの病室の午後のひとときは忘れがたいものです。 

 逝去される前日、長老が先に病室を訪ねていました。病院に着いて初めて知りましたが、ご家族が呼ばれている緊急の状態でした。酸素マスクをつけて、少し意識も薄らいでいるAさんの耳元で、長老と一緒にお祈りをしました。 

 日付がかわって間もない深夜にAさんは天国へと旅立って行かれました。まさか前日にとは、思いがけないことでしたが、神さまが備えてくださった大切な機会であったと、今は振り返っております。いつも教会員のことを心にかけてくださっている長老さんが、最後に一緒に祈ってくださったこと、葬儀はその長老のお連れ合いがオルガンを弾いてくださり、お送りできたことも大きな恵みでした。 

 葬儀には久しぶりにお会いする顔も幾人かおられました。Aさんがご自身の生涯の最後にもういちど教会に結び付けてくださったとの思いがいたします。多くの方に支えられて葬りを終えることができました。