こちらでは教会月報(最新号)等の牧師説教を掲載しています。


11月 11日 主日礼拝  (子どもと大人の合同礼拝)(
 イエス様と子どもたち  

ル カ に よ る 福 音 書 18章15節 ~17節
 牧師 児玉 慈子 

 イエス様とお弟子さんたちがエルサレムへと旅をしていた時、ある町の広場でその町の人たちと話をしていました。どういう人が神の国に入れるかというお話をされました。するとイエス様は一つのたとえ話をされました。
 あるところに二人の人がいました。二人とも神殿、今でいう教会に行き神様にお祈りしました。一人の人はファリサイ派の人でした。この人は神様のことを自分は良く知っていて、人々からも尊敬されている人でした。この人はこう祈りました。「神様、わたしは他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者ではなく、また、この徴税人のようなものでもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一をささげています。」
 次に隣にいた徴税人という人々から税金を集める仕事をしている人が祈りました。この人は、お金を多く集めて、自分の財産にしてしまったことがありました。徴税人は下を向いて、胸をうちながら言いました。「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」
 イエス様はどちらの人が神の国に入れると言われたのでしょうか。それは徴税人でした。徴税人は、人からお金をだましとっていました。でもそんな自分をゆるしてくださいと心から神様に謝って祈りました。イエス様は、赦してほしいと思って神様に祈る人、自分を変えたいと思ってイエス様のところに来る人を喜んでくださいます。
 ところが、イエス様のところに来ようとした人たちがお弟子さんたちによって止められてしまいました。「今、イエス様は忙しいから会うことはできません」と言われてしまったのです。なぜでしょうか。それはイエス様のところに来ようとしたのが、幼い子供たちだったからです。「ここは子どもは来ちゃだめだよ!」と大人はいいます。それは、静かにしていないとダメなところや、危険があるところだったのではないでしょうか。
 イエス様のお弟子さんたちも、あることをとても怖がっていました。それは、イエス様をつかまえようとしている人たちが捕まえにくることでした。もうすぐイエス様は十字架におかかりになるエルサレムという町に近づいていました。イエス様のことを捕まえて、殺してしまおうとしている人たちは、早くイエス様を捕まえようと狙っていました。そのことを知っていたお弟子さんたちは、自分たちが危ない場所にいると思っていたのです。だから、なるべくイエス様を守るために、人を近づけさせないようにしました。
 ところが、イエス様はお弟子さんたちが、子どもたちがイエス様のところに来るのを止めた時にこう言われたのです。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」
 イエス様は、子どもたちがご自分のところに来るのをとても喜ばれました。なぜでしょうか。それは子どもたちが、イエス様のことを好きだからです。そしてイエス様も子どもたちが好きだからです。子どもたちは、自分たちを優しく見守ってくれる大人が大好きです。「おいで!」といえば喜んで走って来るでしょう。イエス様は喜んでご自分のところに来る人、子どもでも大人でも誰でも好きになってくださいました。
 「子どもを招く」という子ども讃美歌があります。歌った覚えのある方も多いと思います。歌詞はこうなっています。 

  「こどもをまねくともはどなた、こどものすきなイエス様よ。
   ホサナと歌え、ホサナと歌え。こどもの好きなイエス様よ。」


 このこども讃美歌が、イエス様の思いをよく表していると思います。イエス様は子どもを招いていてくださいます。当時、子どもは救いから遠い存在と思われていました。ところが、イエス様はご自分に危険がせまっていても、子どもだけでなく、全ての人をご自分のもとに招いてくださいました。特に悲しんでいる人、苦しんでいる人の苦しみをご覧になり、ご自分のもとに招いてくださいました。
 苦しみや悲しみを抱えてイエス様の下に来る人をイエス様はいつでも、だれでも迎え入れてくださいました。
 大人である私たちも子供たちのように、イエス様のもとに走っていきましょう。そしてイエスの愛を喜んで受け、喜んでゆるしてもらい、喜んで生きて、喜んで神の国に入ることに希望を持ちましょう。