中国西域

1 オーストラリア 10 パ リ 19 中国西域 2
2 北 京 11 敦 煌 ・ 西 安 20 中国西域 3
3 ロ ン ド ン 12 トルファン・ウルムチ 21
4 ロ ー マ 13 イ ギ リ ス 南 部 22
5 ポ ン ペ イ 14 ウ イ ー ン 23
6 カ ナ ダ 15 プラハ・ブラチスラバ 24
7 タ イ 16 ブ タ ペ ス ト 25
8 ド イ ツ 17 アンコールワット 26
9 ス イ ス 18 中国西域 1 27

.

2006年11月

日本で片目

敦煌で両眼

再会を願って

(旅行記2)

牛源さん家族4人皆で、ホテルに我々を迎えに来てくれた 『家でお望みの敦煌ラーメンを召し上がって下さい』と牛源さん  妻と牛源さんのお母さんはシッカリと手を握り合っていた  言葉は通じないが、お互いに言わんとしている事は分り合っていた

日本で牛源さんが何時も自慢していたお母さんが作った敦煌ラーメン 確かに美味しかった 中国4千年の味を感じた  麺はチョット固目で具を7種類くらい作ってあり、具を麺にトッピングして食べる  日本のラーメンはスープ入りだが、敦煌ではスープは別に作ってあった 好みによってスープをかけて食べる  敦煌ではラーメンは常食(主食)だそうだ  牛源さんの家でも大きなカメに粉を入れてあり、これが日本の米びつにあたると思った  乾燥地帯なので粉が湿気を吸って固まる事はないと言う  お客さんが来ると具の数が増え、普段自分達の食事では2・3品で過ごしているらしい

この達磨は日本の初詣で買い片目を

入れて願い事を背中に書いておいた

玉門関

玉門関は前漢時代(約2000年前)の関所跡  植物はラクダ草、野生のラクダはこの草を食べて生きている 刺だらけで人は触れない ラクダの口は刺がささらない様に出来ているらしい

牛源さんのお宅で

望み叶い今回持ち寄って両目を入れた

陽 関

1972年発見 まだ35年しか経っていないが歴史は 

古く2000年前には存在の記録が残っている

玄奘三蔵も、ここ陽関を通ってインドに赴いた

南の“陽関”、北の“玉門関”の二大関所は

シルクロードの要所であり、叉要塞でもあった

土塁は狼煙台 狼煙の由来はオオカミの糞を乾

燥させて燃していた所以 オオカミの糞の煙は

真直ぐ天に向って上がると言う   この周辺

では、未だに骨董品・古銭が出土し盗難にあうので柵を張り巡らしてあった  1972年発見の発

表があるまで、地元の人はこの辺りを骨董灘と呼んでいた    我々も通関証を書いて貰った

遥か彼方はタクラマカン砂漠

その中に楼欄国があった

河倉城

漢時代(2000年以前)から移動軍団の食料貯蔵庫であった 何十万の人馬の食料だから相当な量と想像出来る 叉食料の調達もこの砂漠の中で大変だと思われる 軍団の移動拠点ごとに食料貯蔵庫があったのだから、砂漠の中の戦争は計画性の優劣が勝敗を決めていたのではないかと思った  三国志に食糧貯蔵庫を焼き討ちにして、軍団の移動を食い止めた場面があったと記憶している  高台から見下ろす河倉城にはロマンがあった

近くには湿地もあった

河倉城

牛源さんのご招待で見学させていただく

一般に公開していない特別窟も拝観

一五八特別窟の

涅槃仏の美しさに特に感動

一三〇〇年前の仏像には思えない新鮮さが

心を捕えて止まない

全てを悟った姿に見えた

考古学の留学生だった

王さんが会いに来てくれた

8年前と同じ場所で撮影

莫高窟前の、大泉河

ゴビ砂漠の日の出

ホテルを暗い内に出て

鳴砂山入口で、ラクダ

に乗換え、砂漠の旭日

を見に行く 気温3度

ラクダのコブに手を突っ込むと、暖かいと牛源さん

が教えてくれた ラクダがサービスだよと言っていた

牛源さんの先祖の墓参り

望遠鏡で自分のお墓を探す

門があって奥にお墓がある

お墓は全て土葬 墓地は郊外に決められた広大な場所があり、適当に50〜100坪位レンガで境界線を引き自分の墓地にする 周辺にはミイラの発見場所や遺跡があり今昔が混在している  地表温度が70〜80度に達し年間降雨量が40mm位 極度の乾燥地帯、ミイラが出来るのも頷ける

未発掘の遺跡

お墓は何処も同じ円錐形

三危山の観音堂

三危山の山奥に

観音像・観音堂・観音井・がある

観音堂には尼僧と三人の弟子が住んでいた

尼僧は日本人に会うのは初めてで失礼だからと

法衣に着替えてきてくれた

観音井は天女様が空から水滴を落しそれが井戸

になったと説明があった

三危山

観音井

何時誰が作ったとも知れない

道しるべ

三蔵法師一行

観音立像

雲が少しあって、稜線から

旭日が昇るところは、見れ

なかったが、日出時間に

は間に合い、次々と稜線の

明暗が浮かぶ 砂漠の朝は

見事だった   ン感激!

ラクダ君ありがとう

中国西域 3 終了しました   有難うございました

楡林窟

敦煌から車で3時間、三危山の東端の渓谷の岩壁にあった 河水が豊富な渓谷には、楡の木が生い茂りゴビ灘の別天地  牛源さんの同僚が管理していた(唐さん) 楡林窟は、石窟が43窟ありその中に、450の壁画と250の塑像が保存され、中国全国重要文物の指定を受けている

昼食は、牛源さんが用意してくれたお弁当 揚げパンの様なホットケーキみたいで、とても美味しい

楡林窟=万仏峡楡林寺(正称)の渓谷を岩壁の上から撮影 冬近く楡の木は枯葉色になっていた 修行僧の聖地としても知られる

西千仏洞

敦煌三大石窟の一つ(莫高窟・楡林窟・西千仏洞)敦煌より、西に車で約一時間敦煌市内を流れる、党河上流の岩壁中腹に22窟ある 谷底の党河は、水が絶えず、樹木がよく育ち木陰が気持良かった  赤い蔦の紅葉が綺麗だという

道しるべの近く

を西に向っていた

山の稜線に道しるべ かなり大きい

孫悟空が額に手をあて道を探している

パスポートの代わりにしよう

中国系Webより (1300年前の仏像)

念願成就

莫 高 窟

158窟涅槃仏 こんなに美しい仏様を見た事が無い気品が漲っていた 莫高窟を見学した中で一番心に強く残っている中国のWebで偶々出会い皆さんに見て頂きたくて掲載した