金目川

2級河川。神奈川県平塚土木事務所管理。
全長23.6km。本市内の延長9.29m。
丹沢蓑毛に発し、春獄山、水無川、葛葉川を合わせ、本市西部地区を流れ、
鈴川を合わせて相模湾にそそぐ。

金目川流域の沖積平野は、土屋橋のあたりから東の方にラッッパ状に展開
している。
金目川が秦野盆地の水を集めて、北金目台地と遠藤原台地、小熊台地の連
続部を切り開いて流れ出し、相模平野の上に新しく造成した沖積地である。
全体の平面形が扇型であるから扇状地となずけられている。扇頂の土屋橋
あたりは海抜37mぐらい、扇端は6mくらいである。(平塚地誌)

 

土屋橋上流  秦野市境付近。

  

 

 

土屋橋

昭和37年  全長61m  幅員7.2m 

2000年1月9日第46回市内一周駅伝大会が行われていた。
土屋橋歩道橋は昭和49年完成 
 全長60.95m  幅員2.5m 

橋名は土屋の地名から。ここから土屋を経て
井ノ口から二宮、国府津方面に向かう道は県道南金目中井線という。





前河原橋

南金目字堀内  全長56m 幅員2.8 木橋

昔、この橋は洪水時水面下にもぐるもぐり橋だったが、いまは普通の橋。

 

 

 

観音橋

南金目字堀内  昭和48年施工  全長56m 

橋名は金目観音堂に由来  鉄筋コンクリート橋脚橋台使用のコンクリート桁橋

金目川と観音堂は、昭和57年市制50周年を記念し、平塚八景に選定された。

 

金目川とうろう流し

2000年8月 恒例の平和行事
金目川とうろう流しが行われた。

 

北金目神社

北金目大久保の岡上に鎮座し、北金目の鎮守である。
東に水田、西に東海大学を望むが、水田の守護神。
祭礼 4月第三土曜日

南金目神社

南金目坪之内、金目川を望む断崖上にある。
金目川に架かる水道橋が印象的。金目川の守護神。
祭礼 10月10日

 

金目通学橋

昭和46年   全長55.49m  幅員2.1m 金目小学校への通学のため架けられた。

 

 

河身改修耕地整理竣工記念碑


明治43年に北金目、南金目、片岡等が
洪水により浸水、荒地た化したが、45
年河川改修、耕地整理に着手,大正7
年に完成した。
これを記念して、河身改修耕地整理竣
工記念碑が立てられた。

 

御所堤

金目村堀之内西方の金目川堤は洪水のたびごとに決壊し、流水は
金目、金田、岡崎各村の水田や住家に被害を与えた。
徳川家康は村人の苦しみを見て、慶長14年1609水除の堤を築堤、
することを命じて、大堤約573m築かせた。この堤は堤防幅も広く、その上
水除け堤を幾段にも築いた厳重なもので、別名御所堤ともいう。
 

 

吾妻橋

県道   全長57.2m 幅員7.8m 
pcプレテンションt桁 人道橋  
 昭和59年施工

 

 

 

金旭中通学橋

56.9m  幅員2.5m 

1978年3月  道示 (1972) 歩道橋 
型式 下路式単純H型鋼橋

 

金目川に通学歩道橋完成   朝日新聞

平塚市飯島の金目川に通学歩道橋が完成、29日朝、加藤市長と地元の
市立金旭中学校生徒代表らが参加し、渡り初め式をおこなった。川の近く
にある金旭中の生徒790人のうち金田地区などの300余人が今まで、川
原にかけられた細い板の仮橋を一人一人渡っていた。大雨で増水になると
危険で渡れず、板橋が流されたりしたため、学校とPTAが要望し出来た。
工費は550万円で長さ57,4m、幅2,5mのこの橋は「金旭歩道橋」と名
づけられた。  

 

水神橋

入野字崩し

昭和50年1月完成  橋長60.8m
車道5.5m 鉄筋コンクリート構造鋼橋

入野、長持の耕地に灌漑用水取り入れの
堰があった所で、そこに水神を祀ったのに
因む橋名である。

 

 

 

 

霞橋

長持字釜ヶ坪
 全長 60m 幅員6m
 昭和42年施工

歩道橋  平成元年

橋名はこのあたり桜の名所であった頃の
花霞に因んだ文学的呼称であろう。

 

 

東雲橋  

 南原字根下
上り 昭和42年施工 
 橋長66m 車道6m
下り 大正15年

 

平塚都市計画道纏公所線〔鎌倉道)河内線など旭地区北部の
交通系統がここに集まる。「しののめ]とはあけぼの、あかつき
あけがたなどの意味。旭地区の表玄関にふさわしい橋名である.
この橋を要として旭側に見事な文化扇状地が展開している。(平塚地誌)

 

早春の金目川スケッチ

 

金目川の桜

明治39年、1906 神奈川県知事周布公平の勧めにより
南原、長持、飯島、片岡、南金目にわたる金目川の左右の
堤と泰野県道に吉野桜の苗木数百本を植え付けた。
日露戦争戦勝記念のためでした。
大正時代になりこの桜は花見客を魅了するに十分であり
京浜方面からも多勢の人が来た。
                     平塚市郷土誌事典

 

平塚大橋

昭和49年施工 
 橋長165,43m  幅員15.5m 

3径間連続RC桁

 

  典型的串型橋である。都市計画道路八幡神社土屋線が
  通る。まだ文化扇状地は  発達していないが、現在は
  東雲橋が第一の玄関だが、将来はこの大橋が第一の玄
  関になりそう。(昭和60年平塚地誌)

 

八雲神社

中里在。金目川と渋田川の合流点の金目川左岸の河岸段上に
あって上平塚を見下ろす位置にある。上平塚の鎮守である。
境内に正和農業用水記念碑がある。大雨による氾濫、冠水農民の
苦しみは数知れないものがあったが、用水の完成により二毛作も
可能になり、農道も整備され農業生産性は倍増したことが述べ
れている。
八雲神社は河川の被害より水田を守るためと、地域民を悪疫から
防ぐための守護神として須佐之男命を祭ってある。


金目川スケッチ

サイクリングコースと桜堤

 

花水橋

上り昭和63 114m   下り 昭和59 
幅員26,5m 3径間」連続鋼非合成板桁

川幅を広げる改修工事が県平塚土木事務所により2000年より左岸で開始された。

古花水橋

宝永4年1707 11月27日、富士山が大爆発を起こし、
降灰が激しかったので、6年幕府の命を受けた松平豊後守
宗俊によって花水川の新川が掘られ、旧流を古花水川と
呼ぶようになった。伝説によると、建久の昔、源頼朝がこの
川堤に花見に来て、川名を与えたと伝えられている。
昔から平塚宿と大磯宿の境界は古花水川とされていた。
古花水川は今は痕跡的な存在となっているが、橋すら姿を
消してしまった。昭和49年7月、平塚ロータリークラブにより
古花水川跡に「従是東東海道平塚宿」の碑が建てられた。


下花水橋

撫子原 75.35m  
昭和35 平成2 121m 幅員10.3m

鋼3径間連続桁橋

 

相模野の 花水川の岸さくら 散りゆくもよし 海に流れて 
             詠者 川田 順

花水川は櫻の花が水面に映ゆる景勝の地であった。
その昔、源頼朝公が花見に来たが前夜の春の嵐で
 花が散り失せて見ることが出来ず 「花見ずの川」が 
いつしか花水川になった  という伝説がある。

下花水橋は昭和16年に木橋として架けられた。 昭和33年には
大改修が行なわれ、長さ75m幅3,3mの木橋に生まれ変わった。
時を重ね、この木橋も老朽化したのでここに木橋のイメージを生か
した新橋が誕生した。平成2年3月

 

 

花水川橋

昭和11年施工
  橋長120m 幅員13.4m RCT桁

2000年箱根駅伝大会平塚中継所見物でにぎわっていた。

 

 

 

河口

平塚市 花水河口の碑

県下名勝史跡45選当選記念に
昭和10年立てられた。仙台石。

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