相模川
富士山麓の山中湖、忍野八海を水源とし、桂川のをもって山梨県下を流れ、
神奈川県に入り相模川 と
なる。全延長109.00キロ。平塚市内延長8.9キロ。
神川橋から上流は、神奈川県相模川総合整備事務所管理、神川橋下流から河口
まで6.9キロは建設省直轄管理である.(2001年から国土交通省管理)。
大神お花畑からの相模川 平成10年度ヘメロカリスのお花畑が県相模川総合整備事務所、地元ボランテアの手により植栽された。11年8月14日の大雨により流失したが県により新たな親水性あるゾーンとして復旧再整備さた。
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神川橋 平塚市神田地区と寒川町を結ぶことから神川橋となづけられた。 |
田村の渡し場跡碑 |
田村の渡し場跡 平塚の史跡と文化財めぐりより
田村の渡し場は、古く、中原道が相模川を横切る所にあった渡船場で、江戸時代には、
相州の霊山大山石尊社への参詣人の往復でにぎわった。
渡し場の東側は高座郡、西側は大住郡である。東側の堤から西を眺めると、裾野の長
く広い富士山をはじめ、大山、丹沢山、足柄山、箱根山、伊豆の山々がある時は濃く
あるときは淡く、日本画の名品に接する趣がある。新編相模国風土記も「渡頭よりの眺め
最も佳景なり」と載せている。
江戸時代には、渡船4隻が置かれていて、渡し賃は10文であったという。
現在は旧渡し場から北へ100メートル程のところに神川橋がかかっている。
銀河大橋 都市計画道路湘南新道藤沢大磯線 橋の名前は、2349通の応募から選ばれました。
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2000年相模川トピックス 2000年4月28日水辺の楽校推進協議会が発足。 |
水辺のお花畑 河川敷3万平方メートルに展開する広大なお花畑。
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馬入橋 大正14年(1925)、関東大震災の被害から 国道1号線に架かり、旧馬入村地区の通称馬入川の名を橋名にした。橋長622m
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馬入川と馬入の地名
相模川下流で、旧馬入村地内の通称。伝説。
建久3年1198年12月、武蔵国の豪族稲毛重成が亡妻の追善供養
のため、相模川の茅ヶ崎と平塚の間に橋を架設し渡初めの式を行った。
時の将軍源頼朝はこの式に参列、式も無事に済んだが、どうしとことか
頼朝の馬が荒れ狂い頼朝を乗せたまま川の中に飛び込み、頼朝が落馬
するというハプニングが起こったという。それからいつとなく馬入川と言う
様になった。頼朝のすそについたシジミを頼朝シジミと呼ぶようになった。
錦絵 慶長6年(1601) 東海道五十三次の宿駅が出来たときの渡し船場 源実朝 |
馬入川渡し場跡 「平塚の史跡と文化財めぐり」より
東海道五十三次を広重が版画出版したのは天保4年であり、その前年、幕府が禁裏え御馬
献進の行列供揃に加えられ、京に上るときの街道スケッチ集のうち、馬入渡船場の風景画が
五十三次の中にある。
当時の馬入渡船場は現在の馬入橋の架かっているところであったが、相模川は明治の中頃まで
馬入村の岸に沿って流れていたので広重の版画は其の頃の写生である。
この馬入渡船場は、御召船、役船、馬船、平田船等があったが、特別の場合には船橋を架けた
という記録を馬入村薬種屋久五郎が書いている。慶応元年5月19日長州征伐のため将軍家持公様、
御進発御通行あそばされ候。当方前にて御馬を召し遊ばされ候。また当川二瀬とも舟橋に相成り候。
明治維新頃渡船場近くには、酒屋、すしや、餅屋、米や、荒物や、湯や、薬種やなどの商人があって
相当にぎわっていたようである。
2000年相模川トピックス
対岸茅ヶ崎(行政区は平塚市)側に不法盛土が約3万
立米もされ、2000年3月対策協議会が設置された。建
設省により、2000年11月」6日から12月26被日の間行政
代執行が行われた
。ダンプカー約4000台で撤去。
湘南大橋 国道134号線河口橋 昭和11年開通 湘南遊歩道と一体として開通 河口一体は平塚八景湘南潮来と呼ばれる。
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湘南大橋の碑 右岸平塚側に立てられている。
「この橋の完成により、生活とレクリエーションが融合
した新しい出会いの湘南海岸となるよう願っています」
2000年相模川トピックス
水上バイクの暴走に対して魚業者とのトラブル防止すべく、
2000年8月から平塚、海、川、浜ルールづくり委員会が
組織され、パンフレットや看板を作成し、安全でルールに
もとずく航行を啓発していくことになりました。
かんぽ支援事業 こころの健康教室が
この親水デッキは、財団法人リバーフロンント整備センターから平塚市に寄贈されたもの。そのお披露目も兼ねての、かんぽ支援こころの健康教室開催でもあった。
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河川レビュー誌 江戸川大学 新井章教授 川への叙情欄 相模川の詩
西風の吹く相模川に沿ひて
林やら草場とうねりまわり
あをあをとした古代を
雲や霧のうちにのぞいたり想像したり
前後左右の遠景のうつりかはりをつてひ
4月の日没の方へ歩くほどうれしさはない
相模川は太古の女王の寝姿をもって
雪の匂いのする水の帯を海にしたす
髪は野から山の峡へ
夕日の赤い大鷲の翼をからませて
4月の相模川の水にそひて
わたくしは古代の女王を恋しながら
いつまでもいつまでも歩いた
世界が星ばかりの紫になるまで‥
佐藤惣之助詩集荒野の娘「4月の相模川に沿ひて」より
相模川の川口によれる冬かもめ
見失うまで視界は光る
「 海光る町 」 川原利也
落日をのみくだすとき相模川河口
われに温容を見す
「機智の足音」 沖 ななも