渋田川

2級河川  神奈川県管理  大山東側に発し、大島地区から平塚市に入り
南原地区で鈴川と合流する。
全長14,8km  市内では5,35km
相模川後背低地を流れ、時々氾濫して自然堤防と呼ばれる微高の堆積
地形を作った。
小鍋島、大島、下島など島の名の付く集落がこれである。

 

大山を望む  伊勢原市境

 

野原橋

下島字新田
  全長18,10m 
  昭和45年施工

 

 

 

土安橋

このあたり低湿地であり、人工的に盛り土
をして地盤を安定したことに因む橋名と思われる。

 

渋田川2000年トピック

土安橋付近はフナ釣りの名所。
京浜地区からも太公望が楽しみ
に来る。

県の手により、子供でもフナつ釣り
が楽しめる親水施設が誕生した。

 

 

青井橋

横内字堤根 
 橋長44,10m 
 昭和46施工

橋名は村長青木氏と工事者井上氏の名前の合成といわれている。

 

美里橋

横内字八幡塚
  橋長44,68m  
  昭和49年施工

橋名は近くの美里集落の名をつけたもの。

 

 

鷹匠橋

真土字二十域 
 橋長62,7m
 昭和50年施工

徳川家康の鷹狩の故事の碑あり

 

 

幹道真田金目線を地元では、さなだ道と呼んでいる。石橋山の合戦で、
壮絶な戦死をした真田与一を祀る元徳寺、相模国一円に信仰集める
真田の天王さんへの参詣の古道

卑弥呼の鏡ではないかとも言われる三角神縁神獣鏡が出土した真土
大塚山古墳が200m程の近くにある。

 

鷹匠橋の碑

この付近一帯は徳川家康公が殊のほかに好んだといわれる鷹狩の行われた所の一つであります。家康公は中原御殿を造営し、そこに宿泊して鷹狩を楽しみましたが、将軍が来ないときでも
鷹匠によって鷹狩の訓練は頻繁に行われました。当時の鷹匠は強大な権力を持ち、鷹狩をする場所の村々に度々法度を出し、村民に多くの
制約と義務を課しました。その中で橋ない川には橋を架け鷹匠の通行に差し支えないよう命じました。この橋は鷹匠の命により真土と豊田との間に架けられたもので、以来今日に至りました。人々はこの橋を鷹匠橋と呼んでいる。」


渋田大橋

昭和41年
62,77m

 

 

土井口橋

東中原1丁目
  44,10m 
  昭和50年施工

 

 

 

新川橋

豊田字新川 
 橋長50m 
 昭和52施工

 

 

新大繩橋

 

大縄橋

御殿3丁目 
 橋長52,32m 
 昭和49年施工  
 関東大震災で崩れ作りかえられている

橋名は水田地帯の大繩手に因むと思われる。

 

中原橋  

御殿3丁目 
 50,55m
  昭和48年施工

 

 

立堀橋

鈴川の下の宮橋と串形橋的で、橋名は川を埋め立てた堀川のようなところの意味と考えられている。

 

鈴川との合流

 

 

諏訪神社

諏訪神社は渋田川と鈴川の合流点の渋田川左岸に鎮座し
南原の鎮守であり、旧玉川の守護神でもある。

渋田川スケッチ  桜の土手

2000年渋田川トピック

2000年4月2日、21渋田川プロムナード推進協議会主催による第1回渋田川さくらまつりが盛大に開催された。

渋田水系に接する8地区、大神、横内、同団地、真土、東中原、中原、城島、豊田の自治会で21渋田川プロムナード推進協議会を平成8年
に発足させ、新しいふるさとづくりを目指している

すでに500本以上の桜を植栽している。

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