< 伊勢本街道 >

2008/4/1
2008/4/3

            豊橋 ー 伊良湖 ー 田原  75km    
多気 ー 飯南町上仁柿 ー  伊勢奥津 ー 御杖 ー 榛原 ー 橿原  110km


伊勢から 藤原京まで走ってみる。時間があれば竹内街道へも足を伸ばしたい。


 

< 伊勢本街道 >

 

 始発電車で名古屋から多気へ向かう。電車は亀山を過ぎるとディーゼルに変わり、車内もどこかローカル色が濃くなる。吊り広告さえ面白い。

 

 

 伊勢本街道は大和と伊勢を最短距離で結ぶ道である。山また山、険しいことでも知られている。アップダウンの連続で、予定していた竹内街道は入り口のみで終わってしまった。

 



                正面左手方向がこれから向かう伊勢本街道である

 

 下仁柿で道が徐々に狭くなって、そのうちになくなってしまった。引き返して地元の人に尋ねると「砂防堤ができたので旧道への入り口が変わった。」「昔は毎日、この道を子どもたちが学校へ通ったよ。」

 押しで進むと、本当の山道になってしまった。

 


                    薬研状の切り通し

 

 上りきると峠の部落。建物だけは残っているが、現在は廃村になっている。下ると伊勢奥津。各家に餅花が飾られている。聞くとこの付近ではしめ縄などの正月飾りを1年中外さないとのこと。

 「休みの日には観光客がバスで来るが、食堂が生憎一軒もないのですよ。」「餅花は猿が食べてしまうので、最近では紙粘土で作っています。」話に余裕が感じられ、ゆったりした町である。

 


                                伊勢奥津の街道風景

  
                      餅花       節分の魔除け

 


 

< 榛原 >

 

 

 榛原で伊勢街道と名張街道が合流する。昔のままの街道風景である。旅籠「あぶらや」に本居宣長宿泊の札が掛かっていた。

 


               正面右の細い道が名張街道

 


                              あぶらや


 

 榛原からは落ちるような下りである。下りきると桜井。それまでの長閑な雰囲気に変わり、現代の幹線道路である。

 

 

< 藤原京 >

 

 藤原宮跡は桜で満開だった。900m四方。実際にその場に立つと、その大きさが実感できる。まさに律令制度が完成した時期。

 


           大垣(北西)の位置から大極殿跡方向を望む:桜の堤(農業用溜池)の向こう側


大極殿跡                


 

< 今井町 >

 


               今西家

  中世の自治都市、今井町に足を踏み入れる。8割の建物が江戸時代のもの。格子と白壁の対比が美しい。格調のある町並み。堀に沿った今西家など小さな城郭建築の趣きさえ感じさせる。

 

 


 

< 竹内街道 >

 

 竹内街道は堺市の大小路から河内平野を東に向かい、竹内峠を越えて當麻町の長尾神社に至る街道である。 日本書紀に「推古天皇二十一年(613年)、難波より京(藤原京)に至る大道を置く」と記された最古の官道である。当初、堺まで走れないかと考えていたが、しばらく行ったところで、日が暮れかかってしまった。残りは別の機会にゆずることにする。

 

 


                              竹内街道

 


 

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