< 房総・峯岡林道 >

2002/5
大磯 - 久里浜 (フェリー) - 金谷 - 峯岡林道 - 太海 - 平久里 - 金谷 (フェリー) - 久里浜

 

「車で出かけた時って、どこへ行っても何か感動が薄い。」ってことに気づいてました?

 


 

<同調-シンクロナイズ>

 

 我々が「ものをみる」ってことは、単に「視覚情報が入ってくる」ことではないのですね。

 以前自転車で箱根の旧街道を上ったときのこと。あまりの辛さに道端のガードレールの脇に腰を下ろしてしまったことがありました。それまで聞こえていた自分の激しい息遣い、呼吸と筋肉の苦痛が一瞬のうちに消え、かわりに山の静寂と鳥のさえずりが耳に飛び込んできて、初夏の風と光、山の大気が実に感動的でした。

 

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 ものをみたり、何かを感じるってことは「情報を入れる」ことではなく、「対象と自分が同調(シンクロナイズ)する」ことみたいですね。だから感受性が高まっている時ほど感動も大きいようです。

 西行、芭蕉、山頭火。昔の歌人、俳人はよく歩いています。歩く運動は脳に多くの酸素を運んで、脳を活性化させ感受性を高めるのでしょうか。感受性を鋭敏にするためには、やはり何らかの手続きが必要なんでしょう。

 


 

<峯岡林道>

 

 

 去年だったか一昨年だったか、同じ時期にここを走ったが、白石峠で道を間違えて「大山の千枚田」へ出てしまった。そこで今回は鋸南町から太海まで、完走を目指しての再度の峯岡林道行きとなった。

 


 

<田子台遺跡>

 

 

 鋸南町、最初の坂を上ったところに「田子台遺跡」がある。ここでは縄文前期から弥生時代にかけての住居遺跡が見つかっている。海を望む台地のはずれにあって、いかにも当時集落があったのにふさわしい場所である。草原をかき分けて当時の人が今現れてもおかしくはない。人里離れて忘れ去られたさびしい環境がいっそうその感を強める。    

 

  


 

<延々と続く上りと下り>

 

 最初のうちは路傍の花を写したり、道の真ん中の轢かれたマムシを見たり余裕があった。しかし白石峠や愛宕山付近から坂にも飽きてきた。特にこの付近からの坂は勾配がきつく長い。延々と上っては又下る。

 

 


 

<ようやく外房>

 

 

 いい加減上り坂にうんざりしたころ、一気に長い下りが始まった。遠くに海が見える。山もきれいだが、海はいい。ブレーキを掛けなければ50キロを軽く超えてしまう。この快適なダウンヒルはそれまでの苦痛を一気に消し去ってくれた。

 


 

<おばあさん誰を待っているんですか>

 

 

 農村を走っていると、街道に椅子を持ちだして座っているお年寄りをたびたび見かける。われわれからすれば、殺風景な車の走る道など眺めてなくても、他に座る場所はいくらでもあるものをと思うのだが。

 当てもないうつろな表情を見ると、戦争から帰らない息子を待っているのか、先に鬼籍に入ってしまった友が尋ねてくるのを待っているのか。ついつい余計な想像を働かせてしまう。

 

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 9時のフェリーで房総へ渡って、太海着が2時。帰りは長狭街道をさけ、平久里を通る県道で横断に1時間半。金谷から往復80km強の行程となった。

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