<  「道」は「未知」?  >

2001/11

it's mysterious. 辻堂、茅ヶ崎周辺

 


子育てするのに「車が通れない道」ほど安心な道はない。

 


 

 車で走るには劣悪な道がある。都市計画が行われる以前に住宅が建ってしまったようなところだ。もともとは農道だったような幅が狭く、曲がりくねった道が無秩序につながっている。走っていて方向感覚が狂ってしまうし、運が悪いと袋道に突き当たって立ち往生してしまう。東海道線、辻堂駅から茅ヶ崎の一帯について、こんな先入観をもっていた。

 ところがこういう街は住んでみると意外に住み易いのではないだろうか。子育てするのに「車が通れない道」ほど安心な道はない。通過車両だけが走りにくいのであって、幅が狭かろうが、曲がっていようが、地理に明るい地元の人間にとって、さほど不自由なことではない。




 自転車通勤の途中、この一帯を走る機会があって考えが変わった。この路地、あの路地と気のむくままに走っていると、楽しいのだ。道が適度に曲がっているので「この先がどうなっているのか?」興味深々。「なんだ、ここに出るんだ」ひょっこり知っている道に出てしまったりもする。よそのお宅の庭を眺めるのも楽しいし、取り残されたような昔ながらの商店もある。ミステリアスなのだ。どうせ急ぐわけでもないので、遠回りも気にしない。子供の頃「この道の先には何があるの?」道について感じていた素朴な好奇心を思い出す。

 本来「道」というのは「未知」への入口だったのだ。

 

 

 古い町だから「いわれ」のある史跡などが必ずある。最近は役所でも由来について、説明板などを立ててくれているので、立ち止まって読む。小さなお社にもその土地ならではの由来がある。辻堂駅の東で線路を横切って、南東に伸びる古道がある。宝泉寺、宝珠寺の真言宗のお寺があったので「光明真言道」といい、地元では鎌倉街道ともいう。

 

 近代的な街作りのやり方は間違っていなかっただろうか。この一帯を自転車で走っているとそんな気がしてくる。幹線道路と生活道路をはっきり区分けして、幹線道路は歩道も整備して幅広く走りやすくし、生活道路は逆に狭く、迷路のように設計を変えるべきではないだろうか。入り組んで袋道ともなれば、子供達は昔のように道路を遊び場にできるし、お母さんがたも道の真ん中で立ち話もできる。緊急車両などが入れさえすれば、どこも同じような碁盤の目にする必然性はないし、生活圏は閉鎖的なほうが良いような気がする。

 ついでに、戦後の文化的といわれた快適な生活は子供達から多くのものを奪った。近代的な街作りは路地や路地裏といわれた子供達の遊び場を。核家族は文化の伝承の機会を。子供部屋は家族の団らんの幸福を。合理的精神は闇と畏れと神話を。機械化は汗を流す快適さを。情報化社会はもののあり方の多様さを。・・・・・

 



 こういう街を走るには折り畳みなど、タウンユースの自転車が合っている。いつだったか偶然、リカンベントを置いている自転車屋に行き当たった。「よかったら試乗してみて」といわれ、「この次に」といったまま、そこが何処だったのか二度と行けなくなってしまった。とにかくお日様を見ながら、適当に西の方へと走っていたのだから、そのうちにまた行き当たるだろうと思っているうちに時が経ってしまった。


 しかし、分からなければ分からないままの方がミステリアスで、かえってこういう場所にはふさわしいのかもしれない。

  

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