< 麦草峠 > 2008/8/26
茅野駅 ー 麦草峠 ー 尖石縄文考古館 ー 神長官守屋資料館 約70km
帰省での名古屋の帰り、中央線回りで茅野下車。麦草峠に上る。計画では松原湖へ下り、小海線で小淵沢へ出るつもりだったが、予想外に峠に早く着いてしまった。時間に余裕があるので、そのまま引き返して、尖石縄文考古館と神長官守屋資料館を訪れる。
< 塩尻駅 >
ブルーサンダー
神領発5時50分の始発電車は塩尻駅着が8時30分。ちょうど通勤の時間帯である。しかし甲府方面への接続がすんなり行かずに40分の待ち時間。利用者にとって、旧国鉄の分割は不利益だけだったような気がするのだが。
ホームのベンチに腰掛けていると、稲妻模様にBlueThunderの文字が入った機関車が入線して来た。直線基調のデザインは迫力がある。保守点検用などの特殊車両かと思ったが、機関車だった。首都圏では見かけたことがない。
< メルヘン街道 >
八ヶ岳 方面
茅野駅で自転車を組む。早速、道は軽い上りとなる。市街地を抜け、行く手は八ヶ岳、広々とした風景が広がる。やがて大門街道との分岐点の標識がでる。大門峠は古い時代の東山道のルートである。いずれ大門峠も走ってみたい。
野仏
麦草峠の上りは適度な勾配で、カーブでダンシングすることはあっても、10km/hを下回ることはない。緑の深い別荘地を時折車が追い越していく。昔、白樺は役に立たないというので、すべて切り払って落葉松を植林したと聞くが、この一帯もそうだったのか。唐松林でエゾゼミが低い声でギーギー鳴いている。
高度が上がると、少し高い声のハルゼミに変わる。しかし同じような景色が続くだけで眺望は全くきかない。
トウヒなどの林
< 蝶 >
周囲は単調な針葉樹の林だが、かろうじて道路脇の花に蝶が集まっている。写真に撮り損なった蝶はキベリタテハ、シータテテハなど。
![]()
アサギマダラ クジャクチョウ
スジグロヒョウモン
< 麦草峠 >
麦草峠手前
麦草峠
峠に着く。峠もダケカンバなどの深い森が続くだけで、峠を示すものは麦草峠・標高2127mの看板だけであった。
予定より1時間以上早く峠に着いてしまった。計画では松原湖へ下り、小海線で小淵沢に出るつもりだったが、このまま引き返し、途中で目にした尖石考古館に寄ることにする。時間があれば、以前訪れた時に休館だった神長官守屋資料館にも寄りたい。
ウインドブレーカーを羽織って、来た道を下る。記憶を逆回しするような感覚が面白い。
< 八ヶ岳山麓・標高1000m地帯 >
花盛りのソバ
「八ヶ岳の標高1000mの山腹を縄文後期の遺跡がリング状に巻いている。」という箇所を目にした時、急斜面に火を入れ種を蒔く、山深い地方の焼畑の光景を想像した。しかし実際の八ヶ岳の1000m地帯は広い台地であった。
尖石遺跡は大門街道との分岐点から2kmほど南にある。ソバの花が満開だった。途中、遠目にみごとな松並木が見えた。轍の跡は旧街道にしか見えなかったが、帰ってから調べてみると防風林だとある。
美しい旧街道の松並木かと思ったが防風林だという
< 尖石縄文考古館 >
尖石考古館の名は知っていた。しかし、これほどの展示規模だとは思ってもみなかった。膨大な縄文土器に圧倒された。驚いたことに国宝土偶「縄文のビーナス」や、重文の「仮面の女神」はレプリカではなく、実物がさりげなく展示されている。
尖石縄文考古館パンフレット
尖石遺跡
誰でもがここに立てば、縄文農耕説を素直に受け入れることができるだろう。「戸数は10戸から20戸程度。1家族が5人程度として、50人から100人規模の集落だったといわれている。焼畑で雑穀などを栽培した跡地はソリと呼ばれ、栗やクルミの二次林となった。」と藤森栄一は書いている。
また、土器に刻まれた蛇や蛙などの装飾は種子の保存の際の宗教的意味合いだということが素直に理解できる。また土偶とハイヌヴェレ型神話との関連性についての指摘も、おそらくその通りであろう。
ここ八ヶ岳一帯は縄文文化が円熟を迎えた地であった。
< 神長官守屋資料館 >
諏訪大社上社前宮には御頭祭や蛙狩神事、穴巣始などの特異な神事があり、鹿の首を並べたり、蛇や蛙のモチーフへの連想などから、「ミシャグジ神は縄文の神。」だとする意見がある。一方、蛇や龍は水神として稲作の神でもある。
資料館でこの辺りのことを少し詳しく聞きたいと思っていた。しかし「資料としては、残念ながら何もありません。」 当然といえば当然の答えであった。
神長官守屋資料館
茅野市内から八ヶ岳
茅野駅に引き返す途中、縄文のイメージが重なった八ヶ岳が正面だった。