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| < 冬枯れポタリング > |
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| 2009/12 |
熱田宮の渡し ー 桑名七里の渡し ー 津島 ー 墨俣 ー 大垣 約70km |
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今日は「冬枯れポタリング」。桑名から墨俣へ濃尾三川を遡る
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< 宮から桑名へ >
名古屋市内の実家を出て、宮の渡しに立ち寄り東海道を西へ向かう。旧東海道は7里の舟旅。現在の東海道は明治期の道。
桑名までは中川放水路、荒子川、庄内川、新川、戸田川、福田川、日光川、善太川、宝川、筏川、木曽川、長良川、揖斐川など、大小多くの川を渡る。
12月31日の中日新聞は長良川河口堰の運用にともない上流20キロに及んでいた汽水域が消失し、岐阜県のレッドデータブックに新たにスズキ、マハゼやサツキマスなど12種の魚が掲載されることになったと報じている。
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< 桑名 七里の渡跡 >
地元の方に道を尋ねる。「向こうに見える鳥居の脇です。」桑名城の東北角に七里の渡跡があった。防潮堤の工事で当時の面影はない。桑名城の石垣や東海道桑名宿の街道筋の景色などから往時の姿を想像する。
< しるべ石 >
春日神社の青銅の鳥居の下に「志類べ以志(しるべいし)」を見つける。しるべ石は別名迷子石とも呼ばれ、人の集まる所にたてられた。左面には「たづぬるかた」右面には「おしいるかた」と彫られている。こどもが迷子になると左面に子供の特徴や服装を貼り、心当たりがあるものは右側に子供のいた場所などを書いて貼ったものだという。神隠しや人さらいの時代である。そういえば、新聞の尋ね人の欄もついぞ見かけない。
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< くひな塚 >
水鶏鳴と人の云へばや佐屋泊 芭蕉
佐屋でくひな塚に立ち寄る。元禄7年(1694年)5月芭蕉が故郷伊賀へ向かう途中、佐屋で滞在。開かれた句会の初の句。40年後、座をともにした人々により建てられたとある。
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< 津島 >
津島は天王祭で有名な津島神社の門前町である。巡検街道沿いなど旧街道の面影を色濃く残している。大きな麹屋などが珍しい。
門前でみたらし団子 を食べ、氷室家住居、堀田家住宅、野口米次郎生家などを回るがいずれも外から眺めるのみであった。
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< 治水の歴史 >
帰宅後に走ったルートのアルチメーターを確認すると、ほとんどが標高10m程度で、時にマイナス2m、マイナス6m地点などが点々と混じる。 木曽、長良、揖斐と3本の大きな川が集まるこの地帯は古来川の氾濫で苦しんできた。特に岐阜県側は愛知県側より低く、かつ上流で降った雨がこの地域に到達する時間差(揖斐川が2時間後、長良川4時間後、木曽川6時間後)のため、揖斐川流域はいつまでも減水しなかった。その対策上三川分流のために背割り堤の建設が求められた。それが有名な薩摩藩による宝暦の治水。 明治20年から25年をかけた明治の治水で完全分水がなされ、現在の姿になった。
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冬の陽は傾くのが早い。影がもう長くなってきている。墨俣で更級日記や秀吉の時代を想像し、美濃路墨俣宿・脇本陣を写真をおさめ、細く曲りくねった鎌倉街道の案内に従って西に進むがやがて旧道を見失う。金蝶まんじゅうを手みやげに大垣駅で輪行とした。
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