< 林道 >

 

 

クロスカントリー用のチューブラータイヤで県内の林道を走った時期があった。
舗装化の進んでいる頃だったが、まだ未舗装の道が結構残されていた。

 

 白銀林道はコブシ大の石や浮いた砂で速度を落とすと立ち往生するので、ひたすら軽いギヤを回した。湯本まではやたら長く走りごたえがあった。眼下、相模湾が広がり真鶴半島が真下に見え、晴れて海と空の蒼さが際だっていた。

 

 犬越え路は道路の付け替えをしていて、途中行く手が崩した土砂に埋まってしまっていた。作業員にパワーシャベルを中断してもらい、担ぎで積もった土砂に足をとられながら通してもらった。下りの勾配もきつく、路面からの振動が手から腕、腕から顔に伝わって、路面から目が離せなかった。

 

 はるばる宮が瀬、牧野を越えて、陣馬街道へも行った。沢井トンネルをくぐって上りにかかる。昼にまだ間がある時間、農家の庭先は陽だまりになっていて障子の白さがまぶしかった。勾配がきつくなるに従って道も狭ばまり、杉林になると枯れ枝が散乱し、両側に除雪した雪が目立つようになった。和田峠の先の旧道は全面雪道で、アイスバーンでスリップ転倒して自分で大笑いしたりして夢中で下った

 


 箱根芦ノ湖の対岸のシングルトラックも走ったが、植林された杉の根っこが滑りやすく、結局ほとんどを押し歩いてしまった。

 金時山、矢倉沢峠からの黒沢林道には何度か出掛けた。国道を離れて巻きながらの上りになると国道の騒音が徐々に遠ざかる。自分が一人になったことが意識され、道路脇の草花など尊いものに思われた。

 しかし、宮城野から久野林道へ入る回数が次第に増えて定番となっていった。久野林道は落葉樹の樹相が好きだった。芽吹きの頃、夏の木漏れ日、秋はもちろん、冬、林に入ると濡れた落ち葉から湯気が立ち上がっていて、思わず手で触れると陽が当たった落ち葉は意外なほど暖かかった。


 平野が雨でも山は雪ということが多い。雨の降った翌日が休みだと喜んで出掛けた。新雪に轍の跡を残して走ると、何処の雪国に来たかというような気がした。
 晩秋の頃、不思議な光景を目にしたこともある。気がつくとススキの茂みから、光る糸が美しい弧を描いて幾筋も飛び出していくのだ。後になって飛行グモだと分かったが、低い秋の日差しをバックに、わずかな風に乗って次々に描かれてゆく弧の線にしばし見とれた。

 

 

 よく締まりアップダウンがほとんどない表丹沢林道にもよく出掛けた。たまに車と出会うこともあったが、コーナーごとに景色が変わる明るい山道を、歩くような速度で走っているとタイヤの音しか聞こえなかった。真冬日溜まりになった枯れ草の中で、ツチイナゴが羽をふるわせて鳴いていることもあった。
 しかし表丹沢林道も舗装された箇所がだんだん増えて行き、久野林道も四輪駆動車のブームとともに轍の跡が深くえぐれてしまい、ライン取りに神経を使うようになってからは足が遠のいてしまった。軽いギアでぶんぶん回して、とっさの判断を楽しむスポーツ走行なら別の楽しみ方もあったのではとは思ったが、私が望んだものとは少し違った。

 
 そうするうちにクロスタイヤの出番は車利用だけになり、伊豆、大鍋峠や泊を入れての甘利山、夜叉神峠から広河原林道など、フィールドが遠くなるに従って出掛ける回数も減った。

 大鍋峠は3月下旬で、早春の雰囲気でもと出掛けた。入口が分からず商店に入って聞いた。車が一台やっとの道幅で、踏み込むと後輪がズルッとすべる。木の間ごしにワサビ田があり人影が見えた。葉を落とした山道は快適で滑りながらも、一踏み一踏み着実に上がることができた。峠近くなると両側にうっすら雪が残っていて、下りになると環境が一変した。強い西風が凍えるほど冷たく、速度を上げると寒いのなんの、凍えきって大沢に着いた。道の駅花の三聖苑で昼食をとったが、冷え切った体はしばらくの間戻らなかった。

 紅葉見物に夜叉神峠から広河原林道を走った。年によって紅葉の純度が違うような気がする。昨年は紅葉が今ひとつ。雨後で落石のためトンネルのところに検問ができていて、車両は通行止め。押して歩くことを条件に、行けるところまで行かせてもらう。素堀りで途中で曲がっているトンネルは全くの闇。小さな自転車のライトなど全部吸い取ってしまう。入るやいなや宙に浮いているような感覚にとらわれる。また深い水たまりの連続で、運悪くスタックでもしようものなら、くるぶしまで水につかる。平衡感覚が狂って壁面にいつ衝突するか分からない不安に無我夢中でトンネルを突破した。

 

back