< 相模川 >

2002/9
 

 

<  相模川  > 

 

狐火や髑髏に雨のたまる夜に  蕪村

 

 髑髏は行き倒れか、あるいは海を流れ着いたか、川を下ったか。

 

 狐火は冬の季語である。「冬雑」に入るこの句が荒涼とした冬の風景を意図したものとしても、どこか春夏のなまめかしい感覚を連想させるのは、つづく<雨のたまる夜に>によるものか、あるいは蕪村が持つ明るさのせいか。

 <野ざらしを心に風のしむ身哉> 言葉をそぎ落としてゆく芭蕉の厳しさに対して、蕪村の句には <春雨や小磯の小貝ぬるゝほど> <愁ひつつ岡にのぼれば花いばら> <春の海ひねもすのたりのたりかな>など、どこか春のイメージが強い。俳詩「春風馬堤曲」「澱河歌」「北寿老仙をいたむ」など偶然か、すべて季節は春となっている。


 

< 春風馬堤曲 >

 

 「春風馬堤曲」には川の堤という絶妙なロケーションが与えられている。「行く川の流れは絶えずして・・・・」「彼岸と此岸」「橋」「渡し」など、川の堤には時空の境界のイメージが強い。「春風馬堤曲」は和漢を混交した独自の形式で書かれ、淀川と江南のクリークが入れ替り、幼少時に目にした薮入りの田舎娘と嫁いだ自分の娘が重なり合う。

 旧暦の薮入りには少し遅れるが、暖かさにつられて相模川の堤防に出かけてみた。田舎娘は勿論、茶店もない。廃棄物があちらこちらに散乱して春ののどかな堤の風景には遠い。予想外に広い河川敷は文字通り<荊ト蕀ト路ヲ塞ぐ>状態。しかし<芳草>や<香草>は見当たらず、朽ち果てたバスの残骸が枯れた夏草に埋もれている。

 

 


 

< 河口の風景 >

 

 河口へ来ると先のない「どん詰まり」へ来てしまった気分になる。初めて横浜港へ行ったときにも同じ気がした。人を感傷的にさせる何かがあるらしい。

 

 


 

< 春風や堤長うして家遠し >

 

 

 相模川も遡るにしたがって、春の土手の穏やかな風景になる。一昔前までは舗装道路がめずらしく、雨がふれば水たまり。街道を猛烈な砂ぼこりを従えてバスが走っていた。そういえば雨の日、長靴を履く人を見かけなくなって久しい。

 

 


 

< 鳥の楽園 >

 

 最近各地でカワウが増えていると聞く。相模川でも馬入橋を少し遡ったあたりの高圧送電線を100羽を超す群れがねぐらにしている。朝になるとエサ場へ移動して行き、夕方戻ってくる。

 都会の河川敷は鳥にとって残された数少ない楽園となっている。カワウに限らず、冬のカモ類や夏のコアジサシなど多くの種類の鳥が観察できる。この日もサシバの話をしている最中、偶然 オオタカが現れて西に向かって飛び去っていった。

 

 

 相模河口堰でカワウが群れてしきりに潜っている。カワウはこの時期、遡上する鮎をエサにしている。相模川では3月中旬から5月まで天然鮎の遡上が見られる。10cm弱サイズで多い日には100万匹。全く上がらないの日もあるという。空模様、水温、気圧の変化など魚の活性の原因はよく分かっていないらしい。今年は例年より数が多いという。

 

 つい先日、漁業資源確保のためにカワウのハンティングの記事が出ていた。増えれば増えたでメノカタキにされ川鵜も気の毒。

 


アユの稚魚の遡上

 


 

 < たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に >

 


 大磯丘陵では関東タンポポや白花タンポポが普通に見られるのに、ここ都会の土手では西洋タンポポ。乾燥ぎみな場所に合うのか。姿かたちはこちらの方がキリッとして好ましい。

 

< 菜の花や月は東に日は西に > 
 

 

 菜の花、一面の花盛りだった。

 

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