< 冬の日だまりポタリング >
2009/12

瀬戸 ー 明智、大正村 ー 岩村 ー 瑞浪  95km

 

 

 里帰りをして名古屋に滞在中、郊外を走る。一日は瀬戸街道を長久手から瀬戸。中馬街道で明智、岩村。もう一日は熱田・宮の渡しに始まり、東海道を桑名。木曽川、長良川を遡って津島、墨俣、大垣まで。濃尾平野の名物「伊吹降ろし」が冷たかった。

 


 

< 長久手から瀬戸へ >

 

 市内を抜けて長久手に入る。長久手の戦いで知られ、首塚が祀られている。

 


                                                           長久手の合戦、首塚

 

< 瀬戸 >

 

 冬枯れのなだらかな丘陵を越え瀬戸へ向かう。瀬戸物の街。傾いたような瓦屋根の小屋と土管の煙突風景はほとんど残っていない。陶土の採掘現場にも立ち入ることができない。瀬戸川沿いは再開発が進んで新しい町並みに変わりつつある。

 

 

 

 陶の小道。自転車を押して歩く。文字通りの小道。背後が山で北風を遮る。冬は日溜まりに限る。使われなくなった窯の棚板や支柱、サヤなどが土留めに使われ、規模は大きくないが独特な路地の景色を作っている。

 


                                     陶の小道


                       陶の小道

 

 品野から明智へは中馬の街道。瀬戸街道とも呼ばれ、やがて平谷村で三州街道に合流し、飯田から諏訪へ向かう。多少のアップダウンは予想していたが、金蔵の峯など400mを越し、汗をかく程の上りになった。下りではウィンドブレーカーを着たりしていたが、細かくアップダウンが繰り返すので、面倒くさくなって途中で羽織るのを止めてしまった。

 


                     陶町の狛犬

 陶祖、加藤藤四郎の狛犬が有名だが、この狛犬はとにかく大きい。

 


 

< 明智・日本大正村 >

 

 日本大正村は芸能人などを村長に迎え、町おこしの成功例として有名になった。

 


           大塩医院

 


                大塩医院玄関

 

 大塩医院の玄関のプレート。国民健康保険療養取扱機関、診療報酬点数表乙、貯蓄組合員章、労働基準法適用證、度量衝器計量器取締省略之章岐阜県などは読めるがその他は雨風にさらされて判読できない。

 


                         旅館さつき前

 

 干した布団が懐かしい。戸口には大きな白菜が丸ごとひとつゴロリと置かれている。よく見ると新聞紙が下にちゃんと敷いてあって、主の年格好が想像できる。

 今回、明智を訪れて改めて沢田正春氏のネーミングに感嘆した。古い町並みの整備は各地で行われているが、大正時代に焦点を当てることで、差別化と独自色を出すことで成功した。 

 


                郵便局前車が止まって人が出てきて、ポストに年賀状を入れた。

 

 しかし人々は新たな参加型テーマパークを求める段階になってきている。恵那鉄道にSLを走らせたり、ファームステイなど。古民家を活かした宿泊施設や農業体験、季節に会わせた伝統行事への参加、グルメ施設の充実など、新たな取り組みが必要なようにもみえる。

 古い町並みだけの集客力の限界を考えたとき、明智の街はまた新たな眠りにつきかかっているようにも思えた。

 


 

 明智から岩村へは約10km。途中、寒天を干していた。「こんなに暖かくては。」寒天づくりには寒風が欠かせないとのこと。伊豆などで天草干しをよく目にするが、それが山国に運ばれて寒天になることは知らなかった。

 


             寒天干し

 


 

< 岩村 >

 


                       旧街道の町並みがよく残る岩村

 


             水野薬局

 

 水野薬局。古い木製の看板。水野得歓堂の看板を真ん中に小児かんの虫奇動の奇応丸、にきびとり美顔水、通じ子宮病を治す新月丸、百毒下し、風邪下痢六神丸。御岳百草丸の幟など家庭薬が並ぶ。

 


                      明智鉄道恵那方面

 

 冬の3時はもう影が長い。恵那へ一気に下る。朝の計画では釜戸で旧中山道上街道に入り、名鉄広見線の御嵩駅で輪行の予定だった。しかし時刻は4時を回り、陽が急に傾く。そのまま瑞浪まで走って、今日はここで切り上げることにする。

 冬枯れの郊外は自転車がよく似合う。

 


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