< ホリデーパスを使って 熊谷から秩父、川越へ >

2004/10

熊谷 - 秩父 - 高麗川 - 川越 約100Km

 


    "新しき村" の旗

今の時代ほどビジョンとメッセージが求められる時代はないと思うが
逆に人々は外の世界へ関心を失っている。

 


 

< 連帯感 >

 

 正丸トンネルを抜けて飯能への下り。セメントや砕石を満載した大型ダンプがすれすれに追い越してゆく。対向車線を黙々と上ってくるロードレーサー氏と挨拶を交わす。自転車のための1m幅の余裕さえない貧しい道路行政。交通弱者同士の不思議な連帯感がうまれる。

 近代史において伊藤博文や吉田茂など、どちらかといえば陽当たりの良いポジションを得た人々のイメージが強い湘南海岸に比べて、関東平野の周辺には足尾鉱山や富岡製糸所など光とともに影のイメージも強い。

 今回の秩父や飯能周辺も石灰石採掘の跡が生々しい武甲山。半島との感情的に複雑な関係を示す高麗神社。ユートピアの実験 "新しき村"。今回は訪れなかったが "原爆の図" で有名な丸木美術館。週末のリフレッシュサイクリングというだけではすまない一日となった。



 

< 秩父 >

 


                         武甲山

 

 秩父へ向かう。寄居町を過ぎ波久礼駅手前で国道を避け、寄居橋を渡り長瀞玉淀自然公園線を走る。多少アップダウンはあるが、庭先に柿の実が色づく穏やかな道である。皆野町に入り "みずほの里" に立ち寄る。焼きまんじゅうを注文。庭でとれたという柿が好意で出される。店先での客の世間話を聞くともなく聞きながら、のんびりとした一時を過ごす。

 秩父は首都圏の建築資材の供給地としてか、活気ある地方都市だった。中心部は再開発され、秩父神社の門前町の一時代前の懐かしい雰囲気と好対照を示していた。

 正丸トンネルを抜け、巾着田へまわる。国道299号線は大型ダンプカーやトレーラーがひっきりなしに走る。ここでは自転車は邪魔者にすぎなかった。



 

< 巾着田 >


 巾着田は曼珠沙華が終わったあとで、干した稲とコスモス畑が秋の風情を見せいた。 リュックサックを背負ったハイカーが多く、彼らに混じって日和田山に上がった。雨の後で濡れた赤土に足を取られそうになりながら山頂に立つ。巾着田が真下に一望できる。

 頂上に社がある。神の降り立つ磐座であろう。大山や大磯の高麗山との類縁性を思った。

 


                日和田山山頂から巾着田を望む



 

< 高麗神社 >

 

 高麗神社は予想したより建物も新しく繁盛したお宮だった。お祓いの太鼓の音を聞きながら裏手、旧高麗家住宅に回った。座敷に「室内には立ち入らないように」という案内板があり、それと並んで半分眠ったような家猫が座っているのがおかしかった。

 


       旧高麗家住宅のねこ

 

 このあたりの川は平地を削って蛇行している。川筋に沿って深い森が形成されている。その昔、渡来人達がこの地に入植した時にも川はこのような姿で流れていたのだろうか。

 


     高麗神社の鳥居の額

                高麗川

           旧高麗家住宅

 

< 新しき村 >

 

 社会主義の夢も過去のものとなって久しい。ユートピアが考えられた当時、今日のような生産と消費規模を予想しえたであろうか。グローバル化、巨大化された経済機構や各地から伝えられる争いと殺戮の力を想像したとき、正直 「新しき村の思想」はあまりにも非力である。

 しかし視点を我々の内側に向けた時 「日常生活における満たされた時間」と「こころの充足」あるいは 「身の丈サイズの居心地のよい地縁社会」などは又別の意味合いを持つ。

 「隔離された老人施設」「年齢とともに仕事や社会との接点をなくしてゆく老人達」「終末医療機関という閉ざされた場所での患者に残された時間」等々。社会的動物である我々にとって 「連帯感」や「主体的に生きる生」 の問題は逆に新鮮さを増している。



       「新しき村」の入り口 村旗が見える。

 

 訪れた村は人影もまばらで静寂と落ち着いた時間が流れていた。しかしそこには遊びに興じる子供達の歓声はなく、ここでも老人問題は差し迫った問題だと推し量られた。

 一方、武者小路実篤美術館で見た白隠、仙崖の書は時空を越えて私を勇気づけるものだった。それはあらためて新鮮な体験でもあった。

 


 

< 川越祭 >

 

 あちらこちら寄り道をしたので、川越の街に入ったときには日が暮れてしまっていた。蔵の町を見物する予定だったが、中心部では交通規制がしかれて、偶然にも祭の宵宮。道の両側には夜店が立ち並び、人の波でうまっている。山車には提灯が飾られ、狐の面がお囃子に合わせ滑稽な仕草で舞を舞って笑いを誘う。人の波に従って自転車を押して歩く。山車は道の角まで来ると、人が下に潜り中心にジャッキを据え「セイノ」車体をきしませながら一気に方向を変える。周囲で歓声があがる。

 意外にも山車の運行には専門の人を頼んでいるという。そういえば私の町内でも神輿愛好会が応援に来ている。彼らは互いに連絡をとって祭を渡り歩く。

 祭といえば地縁社会の象徴的な神事だったものが、いつの間にかネットワーク社会の季節行事へと姿を変えてきている。これからの時代、地域の活性化にとって、これら行動力を持った人々の人材ネットワークの活用が重要なテーマとなるだろう。

 


                      川越まつり

 

 駅からは祭に繰り出す高揚した表情の人々が次から次に吐き出されてくる。私は流れに逆らって改札をくぐる。遠くでお囃子の音が続いていた。

 

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