< 徳山の盆踊り >

2007/8/15
--- 金谷 -- 掛川 -- 遠州森 -- 駿河徳山  約90km ---

 

お盆。暑さのピークの時期。山越えの途中、湧き水で生き返る。
のどを鳴らして飲み、顔を洗う。山頭火を思った。

 


 

 


 

< 静岡の山間部 >

 

 地図を眺めていて、静岡市の広さに驚いたことがある。南アルプスの農鳥岳や間ノ岳までが静岡市なのだ。伝付峠や安倍峠、富士見峠などの有名な峠以外にも、静岡の山間部には自転車向きの峠道が数多くありそう。大井川鉄道千頭の南、駿河徳山に重要無形民俗文化財の盆踊りが伝わる。「盆踊りを見ながら、少し山道でも走ってみるか。」

 ところが熊谷や多治見で40.9度を記録した前日のことで、暑さはピーク。アスファルトの上は地獄の暑さ。山間部に入ってさえも、飲むはなから汗に変わる。やはりこの時期のサイクリングは厳しいものがあった。

 


 

< 金谷の復元石畳 >



                         旧東海道石畳入口


 金谷駅下車。金谷駅はSLで有名な大井川鉄道の起点で、もう少し大きな駅を想像していたが、駅前には客待ちのタクシーが数台停まっている以外、商店もなく、当てにしていたインフォメーションさえもなかった。

 駅前広場でゆっくり自転車を組んで出発する。小さな坂を上がりきった所に「旧東海道石畳」の案内がある。


  金谷、旧東海道石畳

「あけぼのも夕ぐれもなし鶏頭花」六々庵巴静  鶏頭塚


                  
 この石畳は地元の有志が舗装をはがして昔の形に復元した。石畳は玉石を使っているので結構な凹凸がある。サイクリングシューズでは滑って歩きにくいうえに、タイヤが石の間にはまりこんで、押し歩きにも難儀する。木々が覆いかぶさって涼しい。しばらくして丘陵の上に出る。

 


 

< 諏訪原城跡 >

 

 しばらく茶畑の間を走ると、諏訪原城跡にでる。ここは武田と徳川との前線基地で、自然の地形を利用した城塞である。本丸跡、二の丸、郭跡などの案内に従って走る。林の中の散歩コースといった雰囲気。井戸跡などがないと、戦闘のための施設であることを忘れてしまう。

 茶畑の中、石を積んだ塚に武田方城主、今福浄閑戦死墓塚とあった。

 


                武田方城主、今福浄閑戦死墓塚

 


 

< 旧街道 >

 

 旧街道は結構な勾配でアップダウンを繰り返す。時間とともに日差しが厳しさを増してくる。日陰で休憩。しばらく行って、また休憩といった具合に、急な坂では無理をせず押して歩く。ところが、この「押し歩き」というのが結構足にくる。へたをすると、ダンシングの方が足へのダメージが少ないのではと思ってしまう。旧東海道とはいっても、宿場以外はどこにでもある農村の道である。その道がわずかにカーブしながら続いている。

 


                        旧街道はやがて下りになって日坂宿へ向かう

 


                         日坂宿の復元された高札場

 

 丘陵地帯を越え、坂を下ると道は1号線に合流し、面白みのない走行となる。

 掛川で右に折れ、遠州森に向かう。昼が近く、ぐんぐん気温が上がっている。焼けたフライパンの上を走っているかのよう。冷房の効いたコンビニエンスストアは込み合っている。凍ったペットボトルを買って、首筋など冷やしながら走る。



 

< 遠州森・秋葉街道 >

 


遠州森の秋葉街道    

城下(しろした)の町並み   


 遠州森は森の石松が生まれた城下町である。火伏せの神で有名な秋葉神社の街道だが往時の賑わいはない。時代からそのまま置き去りにされたような町並みは、昼時とはいえ、ほとんど人通りもなかった。



 

< 友田家住宅 >

 

 途中、重要文化財だという、友田家住宅に立ち寄る。柱に手斧か鉈の彫跡が残り、ひろまには濱松懸と書かれた高札が飾られている。 明治9年に旧伊豆と浜松県が静岡県と合併して静岡県となったが、それまでには韮山県、静岡県、堀江県、浜松県、足柄県などの名があった。

 


                          国指定重要文化財 友田家住宅

 

 友田家住宅は森町の中心部から北へ約12.5kmの山間地、静岡県周智郡亀久保ある。元禄13年(1700)に前の畑から移築されたと伝えられ、18世紀を下らない頃の建築とみられている。
 「ひろま」正面には中敷居、格子建など窓の細部が残って、構造や間取りも変えられていない。

 




 この建物は、ほほ南向きで梁間5間、桁行8間半の規模で、正面向かって東寄りの棟通りより前側を桁行2間半、背面を1間半の土間とする。床上部は前面下手4間を1室の「ひろま」として、背面の「だいどころ」が土間側に1間張り出して、「ねま」と共に3間取りとなる。その上手側面に「やりのま」「なかのま」「おくざしき」のついた形式をとり、「ひろま」と「なかのま」が食い違う「片食い違い型」が特徴である。 (パンフレットより)

 


 

 川沿いの道をどんどん山奥へ向かう。いつまで走っても峠に至らない。金剛院の参道入り口でようやく道は下りとなる。金剛院へ立ち寄る。杉林の中を上っていくと山門があり、山の中にお寺だけがあった。参道入り口まで引き返し、大井川鉄道、家山駅をめざして一気に山を下る。

 

< 徳山の盆踊り >

 

 徳山の盆踊りは大井川沿いの徳山に伝わる国指定の重要無形民俗文化財である。以前は成人式を迎えた村の青年が「鹿ン舞」と、女装して「ヒーヤイ」も舞っていたとのこと。しかし最近では若者が少なくなってしまい、男子の中学生が「鹿ン舞」、女子が「ヒーヤイ(小唄踊り」を踊る。

 


        日が傾いて来たが、まだまだ暑い。地蔵堂の前に人が集まり始めている。


           遠くからお囃子の音が近づいて来た。「来た来た。」と声があがる。


                 一行が広場に入り、いよいよ踊りが始まる。

 

 6時になると、浅間神社までの途中ということで、茅の束を両端につけた「払い」が先頭で、次いで神輿、「鹿ン舞」、お囃子、神職、氏子、「ヒーヤイ(小唄踊り」の順に、一行が地蔵堂に到着した。氏子総代は紙張の灯篭を手に掲げている。

 「昔、自分たちの頃は「払い」もずっと大きく、神輿も大きかった。」「見物もずっと多く、実際にその重い「払い」を振り廻して、踊りの場所をつくったものだ。」傍らの、私と同年配の方が説明してくれる。

 


黒い垂れた帯が独特の雰囲気を作っている。 

足を前後に小さく踏みかえ、ゆっくりしたテンポで舞う。


 「ヒーヤイ踊り」から始まった。踊りはゆったりした動きで、足の踏み替えや手の返しなど、いたって優雅な舞である。扇を使って舞い、ひねり飴模様の杖に変えて舞う。お囃子は太鼓と鼓、笛。

 「鹿ン舞」は牡鹿が一人、牝鹿が二人、その後ろにヒョットコか、あるいは間抜けな田男の面を横に被った10人くらいが続く。彼らは前屈みの中腰で、両端にフサがついた30cm位の紅白の捻り飴のような棒を体の前でくるくる廻しながら、鹿の動きをまねて飛び跳ねる。

 

 

 だらりの黒帯、笠。鹿の被り物。ヒョットコあるいは田男の面。鹿は神の使いだといわれているが、お盆という先祖の霊が帰ってくる特別な日に行われる儀式。それぞれのモチーフがもつ宗教的な意味合いについて、詳しく知りたいと思う。

 

 

 祭りはいよいよクライマックスの時間を迎える。しかし電車の時間が迫っている。神社の賑わいを背に駅に急ぐ。

 大井川鉄道には初めて乗ったが、こんなに揺れる電車は初めてだった。たまたま連結部の傍だったから、ものすごい金属音である。またトンネルが多く、トンネル内では音がなおさら反響する。突き上げるように激しく揺れる。いまにも脱線するのではと心配する程だった。

 乗り馴れた東海道線がいかにも近代的に感じる夜であった。

 

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