荒野




 アーキストゥラ平原は過酷な土地だ。
 一年を通して雨が少なく、植物の実りも弱々しい。
 青ざめた山系から下る支流は常に干上がりがちで、家畜にやる水にも困る程である。
 大人の腰までの草原は、けれども痩せてまばらで、いかにも心許ない景観を作り上げていた。
 王都テウノスまでの道は険しく遠く、正に辺境と呼ぶに相応しい。
 サマクは幼い頃、この地が大嫌いだった。
 伝統と儀礼を重んじ、腐り落ちていく様に日々を送る一族と同じ位に。
 彼が属するハイライ族はこの苛烈な地を遊牧しながら馬を育て、商う事でようやく生計を立てている。
 それも辺境の地にあって交易も盛んとは言い難く、東に望むキラジェン砂漠の方が、資源的・地理的にはよほど恵まれていると言えた。
 サマクにはこの荒野が己の心象風景であるように思えてならなかった。
 遮る物のない草原にありながら、彼は何か強大な力に首根を押さえつけられているのを感じていた。




 美しい馬を見た事がある。
 一年に一度、大ザハールの日だ。
 草原の内外を問わず人や物や家畜が集まり、この時ばかりはサマクの心も浮き立った。
 珍しい菓子や競馬や弓術の大会、鮮やかな民族衣装に華やかな音楽。
 それよりも何よりも幼いサマクの心を捕らえて離さなかったのは、馬の品評会だった。
 アーキストゥラ特有の野生馬プラッタは小柄だが足回りが逞しく、持久力に優れている。
 また集団性が非常に強く、群れは常に寄り添っているので放牧にも手間がかからない。
 だが、少ない飼料で強靭に育つその馬をもサマクは嫌っていた。
 短い四肢はいかにも鈍重で気品に欠けて見え、美徳であるはずの強力も野暮ったさの象徴の様に感じられてならなかった。
 それに引き換え、砂漠からもたらされた馬オロは素晴らしかった。
 すらりと細く長い足が伸び、よく手入れされた毛並みは油を染ませたように艶やかだった。
 櫛を入れられ、種々のビーズや色布で飾られた鬣や尾は、風になびいて風格さえ感じさせた。
 黒く濡れた瞳は宝石めいて、草原馬の濁った木炭の目とは比ぶべくもない。
 華奢な足は起伏や断裂、岩石の少なくない草原には向かなかったが、平地を走るにはとにかく速い。
 大人達はゲルをまるごと運べるような強靭なプラッタの寸評に夢中だったが、サマクはオロの理知的な瞳を見つめて飽きると言う事が無かった。
 幼いサマクは、これこそ天を駆ける馬、風を裂く精霊の変化と信じた。
 オロの真の価値に気付かない大人を侮蔑した。
 この馬を手に入れさえすれば、衰え行く平原を走り抜けられる。
 しなびた大地に縋るように生きながら高慢な父、しきたりやしがらみでがんじがらめになった古臭い部族、この草原そのものをも置き去って。
 そんな夢に子供は溺れた。




 本当に、幼き日の話だ。
 今ではこの胸に、長い時をかけて根付いてしまった物がある。
 いつかは腐り落ちていくものだと分かっていても。
 この身に課せられた物を、縋りつく手を、知ってしまっている。
 それらを捨て去る事は身上的には可能だったが、心情的には許されなかった。
 嫌悪は憎悪になって既に久しい。
 この地を、一族を、己すら呪いながら、生きていく。
 その決意を体現したのがこの原野だ。
 かつて、オロに乗りさえずれば草原を駆け抜ける事ができると、信じていた頃があった。
 遊牧の民でありながら、草原に絡めとられた父や一族を疎んでいた。
 だが今、その草原に絆される自分は何なのか。
 己の未来と原野の在り様が地の果てまでも重なっていくのを、サマクは感じた。
 荒れているから憎むのか、憎むから荒れるのか、もはやその境界も定かではない。









完


2002.9.29



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