僕を悩ます三つの事
泣くかと思った。
「あー! 伊崎がオンナ泣かしてるー!!」
涙目になった角田にめざとく気付いた宇野が、大声で周囲へ報告した。
僕は「まだ泣かせてない」と止めようとしたけど、もう遅い。
朝の通学路は騒然となった。
「やーかわいそー」
「なに? どうしたの?」
「ほら、今日、バレンタインだから…」
「やるー」
たまたま通りがかった六年生女子の一団が、勝手な事をほざきながら非難めいた視線を投げかけてくる。
だからイヤだったんだ。
朝っぱらから「話があるんだけど…」と無理矢理道端で呼び止められて(道端だって!)、悪い予感がしたんだ。
遠回しに穏やかに断ったつもりだったのに、今や僕は極悪人扱いだ。
「ひゅーひゅー!」
吹けもしない指笛ではやし立てていく四年坊主が憎らしい。
しかも。
「ちょっと伊崎君、そういう言い方ないんじゃない?!」
「そーだよ! せっかくえっちゃんが勇気出して告白したのにさー!」
「ひどすぎるよねー!」
「ねー!!」
うなずきあう女子三人は、僕を諸悪の根源に仕立て上げた張本人達だ。
そもそもこんな所にラチったのはこの三人だ。
僕としては告白してきた角田より、この三人の方がうらめしい。
当の角田も、さんざんな言葉で僕の悪口を叫び続ける友人達に困惑しているようだ。
こんな奴等の説教を聞いてやる義理はない。
僕はさっさと校門に向かって歩き出した。
「ちょっとどこいくの?!」
学校に決まってる。
「こんな人前でえっちゃんフッて悪いと思わないの?!」
こんな人前で告白させる自分達は悪くないのか。
「サイッテー!!」
僕の評価はどうやら、そこに落ち着いたらしい。
「もうチューした?」
休み時間になったとたんに、後ろの席から宇野がタコ口をしながらひそひそ話し掛けてきた。
「だれと」
「角田に決まってんだろ」
僕はうんざりしすぎてため息もでなかった。
あの後の事は思い出したくない。朝の会で先生にわざわざ知らせる馬鹿はいるし、クラスの女子全員から敵視されるし、さんざんだった。
しかも親にまで伝えた奴がいて、翌日には母さんにバレて、その日の夕飯に笑い話を提供した。
あれから一週間もたつのに、まだ忘れてない奴がいる。
「なんで僕が」
「チョコもらったべ?」
「もらってないよ」
「なんで」
「だって、ことわったったから」
「うっそ。だって向こうはこっち見てんぞー? ほら」
教室の窓際でコソコソしてる女子四人には気付いていた。
キャーキャー言いながら目配せが時折、僕の方に向かってる。
あーもう、いい加減にしてくれよ。
「お、こっち来んぞー」
見ると角田が妙な足取りで僕達の方に向かってくる。
窓際では女子三人が、にこやかに「がんばってー!」などと言っている。
何をだ、と僕はゾッとした。
「あの、こないだはごめんね」
角田は見てるこっちが心配になるほど真っ赤だ。
「別にどうでもいいよ」
だから早く忘れてほしい。
そういうつもりで言ったのに、角田は泣きそうな顔になった。
泣きたいのはこっちだよ。
宇野はさっそく外へ遊びに行った男子を呼び戻している。
最低呼ばわりした僕に、角田を近づける女子三人の思考回路も謎だ。早くケリをつけなければ金曜日の悪夢をまた見てしまうかも知れない。
「あのね、あの、あのね…」
「なんか用?」
「あの、あの、ひなまつりね、三月に、やるの、パーティー、恵子ちゃん達とね、それで、三月のひなまつりパーティー、来てくれる?」
言い終えたとたんに、「キャー!」とも「ギャー!」ともつかない悲鳴が窓際から上がる。
あああああ。
まだこのゲームは終わってなかったらしい。僕は対戦相手を降りたのに、向こうはやる気満々。どうすればこの試合を止めさせられるんだろう。
女子三人は窓際でにぎわっている。無責任なそのお喋りを、前にも僕は聞いた事があった。
誰かの噂を立ち聞きしてしまった時は、自分が悪いわけでもないのにやたら後ろめたくなる。それが自分の事でもだ。
「伊崎君が…」という一言で、僕は廊下の真ん中で立ち止まってしまった。
放課後の図書室は解放されてるけど、使う生徒は滅多にいない。校舎のはじっこだし、本を保護するための暗幕が、なんとなく暗いイメージだし。
ひそひそと女の子の声が三つ、交わされていた。
「でもさー伊崎君えっちゃんと付き合うと思う?」
なんじゃそりゃ。
「無理だよー伊崎君絶対に女の子と付き合ったりしないよー」
「だよねー」
この三人の声には聞き覚えがある。もしかしてえっちゃんというのは同じクラスの角田絵美の事だろうか。
「伊崎君てなんか冷たいもんねー」
「えっちゃんもシュミ悪いよねー」
「絶対工藤君のほうがいいって!」
ここまで言われる僕っていったい…
軽いショックを受けてる僕の耳に、その言葉は飛び込んできた。
「ねえ、どうやって諦めさせる?」
「今の内に諦めておかないと、えっちゃんがツライ目にあうんだもんね」
「いっそ告白させちゃった方がいいかもよ」
「でもえっちゃんが本当に告白しちゃったらどうする?」
「そんなのするわけないじゃん。えっちゃんビビリだもん」
くすくすと笑い声がもれてきた。
僕は慎重にその場を離れた。
頭の中で三人の声がぐるぐるまわった。
ものすごく汚い物に触れた時の気持ちを思い出した。イヤな匂いがいつまでも手に残った時の。
ここで僕が怒るのは間違ってる。僕はなにも関係ないんだから。
じゃあこのモヤモヤはなんなんだ?
考えるとますます分からなくなった。
そのあと三人に何を吹き込まれたのか、角田は僕に話し掛けたり、近くにいたりする事が増えた。角田の側にはいつもあの三人がいた。
それを見ると正体の分からないモヤモヤがよみがえって、すごく嫌な気分になった。
だから僕は、角田をなるだけ見ないようにしたし、話さないようになった。
「あのさ。あいつらが本当に自分のために協力してくれてると思ってる?」
「…え?」
声をひそめすぎて聞こえなかったかもしれないけど、そのまま続けた。
「あの三人は、他人を使った恋愛ごっこを面白がってるだけだろ。そんな事にも気付かないのかよ」
何を言ってるんだ、僕は。
なんで怒ってるんだ、僕が。
「無理するなよ。たいして好きでもないくせに」
角田の表情が止まった。
真っ赤になっておどおどしてたのが、すうと冷えた感じだ。
泣くかと思った。
けど、違った。
「……そんな事、知ってるよ」
涙の溜まった目で、角田はまっすぐに僕を見た。
角田は思ってたほど弱くない。
僕が怒ってるのは角田じゃない。
そんな事に気付いた。
「恵子ちゃん達、真剣じゃないかもしれないけど…私が、一緒にいたいんだもん」
窓際にいる三人には聞こえないほど小さな声で、角田は言った。
「伊崎君に嫌われてても…伊崎君の事ホントに好きだもん。…無理なんかしてないよ。……なんでそんな事言うの…?」
なんでって。
そんな事、こっちが聞きたい。
ドカドカと廊下を走る音がして、外でサッカーをしてた男子グループが帰って来たのが分かった。
「告白ターイム!」
勢いよく教室のドアが引かれて、宇野の第一声がそれだった。
「まだしてねーじゃん」
「え? どこ?」
なぜかそのまま入口に鈴なりになって、僕達の方を見守る男子一群だ。
「伊崎ーちゅーしたー?」
「行けー角田ー」
再び角田の顔がリンゴ病のように赤くなってきた。
「ちょっと男子! あっち行ってなさいよ!」
「しっしっ!」
「えっちゃん、もう返事もらったの?!」
「早くしなよ」
邪魔させまいと出入口に走ってきた女子三人が、イラついた様子で言う。
その牽制の間にも、「ちゅーしろー」とか「結婚はいつですかー」などとふざけた男子の声が飛び込んでくる。
十人以上の人間に注目された角田は、真っ赤な顔でオロオロと視線をさまよわせた。
まったく、どいつもこいつも勝手なもんだよな。
「馬鹿じゃないの。なんで僕が角田なんかと付き合わなきゃいけないんだよ」
突然打たれた人のように、角田は目を見開いた。
「だいたいこいつのどこを好きになれって言うんだよ。どうせ少女漫画のマネがしたいだけだろ? 遊ぶなら他の奴で遊べばいいじゃん」
誰にも口を挟ませないように一気に喋ると、角田の目に見る見る涙が盛り上がってくる。
「調子に乗るなよ」
ぼろ、とくずれるように大きな雫がこぼれ落ちた。
一瞬、騒がしかった教室がシーンとなる。
ずかずかと近寄ってきた篠原恵子が、僕の目の前で立ち止まった。
振り上げられた右手をうっかりながめていた僕は、次の瞬間、床に張り倒されていた。
父さんにも殴られた事ないのに…
「篠原が伊崎殴ったー!」
「スッゲー」
「こえー!」
告白タイムはアッと言う間に皆の頭の中から飛び去り、たちまち話題の中心は、女子に殴られたブザマな僕へ変わった。
「あんたホント、サイッテー!! えっちゃん行こ! こんなやつほっといていいよ!」
二度目の最低評価がくだると共に、僕は再び極悪人になった。
篠原は本気で怒っているようだ。
顔は真っ赤で目も血走ってるし、これが友達を心配してる演技だったら、子役デビューして食っていけるだろう。
後の二人も怒ったり、なぜかもらい泣きしたりしている。
角田の両脇から、必死で僕を責める言葉や角田をなぐさめる言葉を話しかけている。
当の角田は、僕を振り返って何か言おうと口を開きかけたが、結局三人に連れられて自分達の陣地へ戻っていった。
「カッコわるー」
「伊崎よえー」
「ダサー」
「女って、つえーよな! ウチのねーちゃんもさー…」
「うるさいな」
口々に冷やかす集団の中、宇野だけが妙に黙り込んでいた。
「伊崎ー…お前、見逃したよー…違った、見直したよー」
珍しくも本気で感心した様子で、逆にむしょうに恥ずかしくなる。
こいつは本当にめざとい。
名誉の代償をなでると、ピリッと痛みが走った。
「あれってフテネ…あれ? ステミだ、捨て身だろ?」
「テしか合ってないじゃん」
宇野のボケにきっちりツッコミを入れてから、僕はため息をついた。
「せっかく捨て身で角田かばったのにさーもっと仲良さそうにしろよー」
「できるわけないだろ」
「なんで」
あれ以来、篠原たち三人は角田をガッチリガードして、僕が近くにいるとわざとらしく離れていく。
確かに僕はひどい事を言ったけど、ちょっとウンザリするほどのしつこさで。
あの後の事は思い出したくない。
帰りの会で篠原恵子は僕がどんなにヒドイ奴かを、わざわざ先生に報告した。
事実だし僕は何も反論できなかったけど、なぜかそのままホームルームになだれこんだ。
「伊崎君と角田さんが仲良くするには、どうしたらいいでしょう?」とか言う議題で。
……ホントに、早く終わってくれと何度願った事か……。
当事者のはずの僕と角田がロクに発言しないうちに、結論がまとまった。
「男子と女子が仲良く出来るように、ひなまつりパーティーをしたらいいと思います!」という篠原の案がなぜか採用された。
……なんで……。
そういうわけで、三月三日の今日、学級会の時間に、なぜかひなまつりパーティーが行われている。
終業式前のレクレーションで、特別にお菓子を食べたりゲームをするだけだけど。
角田はあのグループでは、お姫様状態なのだ。
今も丸く並べた椅子のちょうど反対側で、四人集まってヒソヒソやっている。
結局、青あざと引き換えに僕の勘違いが分かっただけだった。
「おっ角田がこっちくんぞ?」
女子の群れから離れて角田がこっちに歩いてきた。
なんだか、二週間前を思い出す。
「あの、ちょっと…ちょっと来てくれる?」
ゲームで盛り上がってた男子の何人かが気付いて、なぜか角田を通り越して僕と篠原を見比べている。
これは、殴り合いを期待されてるって事か?
ほっておくと角田の顔は際限なく赤くなり続けそうなので、僕はさっさと立ち上がって廊下に出ようとした。
止める間もなく宇野が
「リベンジが始まるぞー!」
などと報告して、クラス中の注目を集めた。
…お前ってやつは。
すかさずボディガードのように女子三人が飛び出してきて、なんだなんだとワラワラ後をついてこようとした男子連中を、教室に押し戻している。
先生が「二人だけにしてあげなさい」とか言っているのが聞こえた。
一人教室を出てきた篠原の「がんばってね!」という声が廊下に響きわたった。
だから、何を。
もしかして、もう一発殴れとでも言ったんだろうか。
それはかなりイヤだ。
「あのね、あのね…」
真っ赤になった角田は、踊り場の手すりをむやみにこすっている。
「私、私、…私、…伊崎君のこと、ホントに好きだからね」
「……それを言いに来たの?」
「……うん」
驚いた。
人前であれだけボロクソに言われておいて、まだ僕が好きとは。
「あのさ。前から不思議だったんだけど、僕のどこが好きなの?」
僕としては当然の疑問を口にしたつもりなのに、角田はますます赤くなった。
「えっと、あのね、…始業式の時、お天気雨で、虹が出たでしょ?」
そういえばあったな、そんな事。
「私が『きれいだね』って言ったら、『うん』て答えて一緒に見てくれたでしょ? それがね、うれしかったの」
角田は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。
そんなささいな事で人を好きになれるのか。
しかも今までずっとその気持ちを持ち続けてたのか。
なんだか呆れるみたいな、感心するみたいな、負けたみたいな気分になった。
正体の分かりきったモヤモヤに、ずっとこだわっていた自分がバカみたいだ。
雨上がりに虹を見つけた気分で、僕は口を開いた。
僕もずっと持ち続けてた気持ちがあるんだ、と。
完
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