死んだ男からのプレゼントを未練がましく持ってんじゃねえよ
今時そんな事する奴いないだろ
ムカツクんだよ
転
可奈が始めて高橋と喋ったのは、春の終りだった。
クラスが同じになった二年次、席が近いせいもあり、よく話すようになった。
日の高いうちクラスメイトと共に会話する時と、放課後2人きりになって会話する時ではお互いの空気が違っていた。
特別な言葉を交わしたわけではない。けれど言葉にしなくとも、伝わる思いがある事を、2人は誰に教えられずとも知っていた。
春霞のようにふわふわと定まらない距離はほんの少し緊張を帯び、どこか浮ついて居心地が良かった。
いつか。
これは猶予期間だ。甘やかな準備期間だ。
実際に周囲も2人を自然とそう扱うようになっていた。2人が恋人同士になるのは時間の問題と思われた。
それは、春の終わりの事だった。
「雨降ってて、暗くて。撥ねるまで気付かなかったんだって」
花冷えのする四月の夜、バイト帰りの高橋は住宅街を高速で突っ切ろうとした車に撥ねられた。風も吹いていなかったのに、青いビニール傘は30メートルも離れた所で見つかった。
即死だった。
通夜の席では、高橋の兄が弔問に訪れた女子生徒に声をかけていた。その中に可奈もいた。彼は、七月生まれの少女を探していたのだ。
「昇の奴、最近バイト三昧だったんです。これが、カバンの中に入ってて。きっと、君の物だ。受け取ってもらえる?」
そぼ降る雨が大気に青い紗をかける世界で、それはいっそ禍々しく赤く光った。指輪は計ったように可奈の薬指にぴったりだった。
可奈は泣かなかった。
泣く事は自分には許されていないと思った。
何故信じていられたのか。明日もきっと今日と同じだと。何の保証も無かったのに。
怠惰だった。
傲慢だった。
愚かだった。
高橋は死んでしまった。
それらの事はもう、取り返しがつかないのだ。
後悔と言うには苦しすぎる痛み。
――そうして、可奈の元にはルビーの指輪と冷たい虚空が残された。
「これは私だけの物よ! 触らないで!」
打って緩んだ包帯の隙から、赤い石のはまった指輪が見えた。
椎名には、『これ』という言葉が何を指すものか判じ難い。
「水野……」
と呼びかけたきり、何も言えなかった。
「もう興味本位で騒がないで」
「オレは」
「聞きたい事なんてもうないから。ただ、私達をそっとしておいてほしいだけ」
「そうやって」
春原の不穏な声に、左手の指輪に視線を落としていた可奈が顔を上げた。
「残りの人生を消極的に生きる事で、償いでもしてるつもりか?」
「春原」
逆撫でするな、と目で制止する椎名を見向きもせず、春原は酷薄な表情で可奈を見下ろしている。
「高橋が喜ぶとでも? だとしたら相当おめでたい奴だな。それで楽になるのはお前だけだろうが」
「春原!」
「自分の後ろめたさを、他人を理由にして精算しようとすんじゃねーよ!」
「春原、止めろ!!」
激昂する春原の気に当てられたせいだけでなく、今や可奈の顔色は蒼白だった。
己の行動を自己満足と断罪され、打ちのめされたように微動だにしない。
「水野。オレ高橋は、水野の為に出てきたんだと思うよ」
息巻く春原を放って、椎名は水野の傍らに寄り添った。
「私の目には、高橋は見えない」
俯いたその表情は、椎名には覗えない。
「それは……でも、きっと」
「本当は。……幽霊でもなんでもいい。こんな指輪じゃなくて、高橋がいればいいのに」
短く息を吸い込んだ肩が震えた。嗚咽を噛み殺している様子の少女を前に、なんの慰めも言えない自分が椎名はもどかしかった。こんな時、高橋ならなんと言うだろうか……
その時突然、軽快な電子音が準備室内に響き渡った。
可奈が気狂いじみた性急さでカバンから携帯電話を取り出す。
「ウソ……ウソ……」
可奈の目が一層虚ろになった。
何事かと覗き込んだ椎名の目に送信者の名が映る。
その名前は。
「高橋から?!」
驚愕する椎名に対して、メールをスクロールする可奈の瞳からは、ぼろっと涙が零れ落ちた。
「誰よ……ひど……こんな……」
携帯を強く握りしめ過ぎた手が白くなっている。
「水野、高橋だよ。きっとそうだよ」
「そんなわけないでしょ?!」
『サイテイ』と繰り返し呟きながら泣きだす可奈に、椎名は無駄にオロオロするばかりである。
「高橋だ」
断定する低い声に、椎名は驚き春原を見返した。あれほど強固に幽霊の存在を否定していた春原が。
「高橋以外いねーだろ」
可奈が涙の溜まった眼で、春原を睨む。
「誰かが、高橋の携帯を使ってるのよ!」
「遺品はとっくに整理されてるだろ」
「高橋と同じアドレスで」
「同じアドレスなんて取れるか? それにこのタイミングで都合よくメール送ってくるわけがない」
「でも……」
「メール最後まで読んでみたのかよ? 本人かそうじゃないか、お前なら分かるだろ」
言われて可奈は、携帯電話の画面に再び目を落とした。震える指先が十字キーを押す度、その目に涙が盛り上がってくる。やがて、可奈は一層泣き始めた。
何が書かれていたのか、椎名は気になったが無理に知ろうとは思わなかった。
言葉にしなくても伝わる事があり、言葉にしなければ伝わらない事がある。
ただそれだけは、分かったからだ。
「やっぱ、春原も幽霊信じてたんじゃん」
暮れなずむ街をダラダラ歩きながら、椎名は呟いた。可奈の顔にはまだ涙の跡が残っていたが、その表情は元の清廉さを取り戻しつつある。それに加えて、人の思いの強さが肯定されたような気がして嬉しいのだ。
「いや、全然」
「えぇっ? だってさっき、」
「これ」
そう言って春原がパチリと開いたのは、見慣れないメタリック・ブルーの携帯電話だった。
「それ、……まさか、高橋の携帯?!」
「事故ん時、手に持ってたんだろうな。撥ねられた衝撃で飛ばされて、道端の木に引っかかった、と」
フリップタイプのそれを中途半端に開いて実演してみせる春原に、椎名は二の句が告げなくなった。
先ほど可奈の携帯に入ったメールは高橋から来た物だと、椎名は本当に信じていた。
可奈を説得する春原に、感動さえしていたのだ。いつもメチャクチャにけなしていたが、本当は霊の存在を信じていたのだ、と。
それが、遺品を勝手に拝借・流用した狂言だったとは。
神をも畏れぬ所業とはこの事である。
「……、……、いつか天罰が下るからな」
高橋がしたかった事も同じだろうし、結果として可奈の心を少しは軽くできた。だが、色々な罵詈雑言が交錯して椎名に言えたのはこれだけだった。
お前ってホントにバカだよな
いつまでも俺の事なんか思い出してんなよ
縛りつける為に指輪買ったんじゃないし
俺にはもう、慰める事はできねーんだから
俺の最後の願いを聞いてくれるなら、その指輪を捨ててくれ──
結
それから、数日後。
予備校帰りの椎名は再びあの坂に差し掛かっていた。
もちろん幽霊がいる事は信じているが、高橋甦り説が否定されかかっている今、それではあの夜消えた男は一体何者かと言う疑問符がぐるぐると脳内を旋回する。
自分が見たのは高橋だ。だが、高橋が一番会いたがっていただろう水野に何も告げないのはおかしい。逆に、あの男が高橋でないとしたら……?
考え事をしながら自転車を扱ぎ進めたからだろうか、椎名は気付くのが遅れた。
坂の途中、電灯が投げかける光の輪の中でぽつりと浮かび上がる男の影に。
(ぎょー!!)
心中で律儀に奇声を発する椎名であった。
(あれが高橋でないとすると、もしや空き巣? 消えたのは強盗に入ったから?! 懐に包丁持ってたり?!!)
無駄に想像力を発揮する間にも、どんどん男に近づいていく。
男の表情は街灯の真下にいる為覗えない。
幽霊ではないにしろ、不安を払拭する為今度こそじっくり顔を見ようと、椎名は自転車のブレーキを強く握りしめた。
緩やかなスピードで坂を下っていくと、男が道に背を向けて声を張り上げているのが分かった。
「……るせーな……もう二度と……けんなよ……」
(壁に語りかけてるー!!)
恐怖と驚愕とが交じり合い、先程に倍する速さで脳内を旋回する。全速力で走り去りたかったが、ここまでスピードを落としておいて突然急加速したら男の注意を引いてしまうかもしれない。あまつさえ気に障って刺されてしまうかも。
そんな妄想に陥った椎名は、不自然に顔と視線を固定したまま自転車をこいだ。
「バーカ。巨大なお世話だっつーの」
この口の悪さ。ガラのよろしくない低音。
「春原?!」
壁から振り返った顔は、やはり春原だ。椎名は電灯の下で完全に自転車を止めた。
「え、今、今! 誰と話してたの?!」
「テメーに関係ねえだろ」
泡を食う椎名の目の前で、春原が手馴れた素早さで携帯を折り畳む。
「な〜んだ。壁に向かって話し掛ける怪しい人がいるかと思ってたのに」
「怪しいのはお前の方だろうが。人の顔ジロジロ見ながらブツブツ言いやがってよ」
「ええっオレ声に出してた?!」
話を逸らされ、椎名は頭に引っかかっていた最後のわだかまりを忘れた。
春原の手の中の携帯電話が、見慣れた機種ではなかった事を。
昼間は汚染を露呈するにび色の海も、今は波頭だけが白く浮き上がって見える。星も見えない空と黒く沈んだ海の境は溶け合って曖昧だ。
夏まではまだ間があるので、海風の強い夜の堤防は人影がない。たった一人だけだ。
春原には結局ここしか思いつかなかった。
潮風に煽られながら、手の中の携帯電話を見下ろす。
メタリック・ブルーのその携帯は、事故の衝撃でディスプレイに虹色の波紋が広がったままだ。電池が残っていてもキー操作を受け付ける状態ではなかった。
馬鹿はお前だ、とごちてから思い切りよく海へ放り投げる。
「これで最後だからな」
その呟きは、溜息に似ていた。
完
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