落花流水




 垣根の向こう側から花びらが、控えめに肩へ降っていた。
 響之介が佇む辻には、茶屋の庭先の山桜が大きく張り出している。風に吹き寄せられ、近くを流れる小川にはいくつも花筏が浮いていた。
 桜も終わりの時節だが、山桜は少々盛りが遅い。
 いっそ淫奔な程舞い散る桜よりも、小振りで可憐なこの花が響之介は気に入っていた。
 屋敷の庭にも咲いていたそれを懐かしく思いながら、響之介はちらりとも目を逸らそうとしなかった。
 木戸を通る人の出入を凝視するのみである。
 響之介の目と鼻の先にある茶屋は料理だけではなく、女も出す店だ。
 そこから、木曽輝宗が出てくる。
 父の仇、母の仇、東雲家の仇だ。
 卑怯にも己が罪業を父に被せ詰め腹を切らせ、母を自害に追いやり、東雲の家を断絶させた男である。
 あの夏の暑さを、まだ覚えている。
 みいんみいんと、腹に染みる蝉の声。
 手入れの行き届いた庭に面した縁側が、午後の照り返しでひどく眩しかった。
 畳に大きく広がった赤い染みを、今でも鮮やかに思い描く事ができる。
 父の、母の、家の無念を忘れぬよう、繰り返し繰り返し思い浮かべてきたのだ。
 今日、この日の為に。
 がらりと戸を引く音がして、木曽が出てきた。
 家臣も含め、総勢六名。
 昼間から女遊びに興じた上に飲んでもいるらしく、騒々しく覚束ない足音が辻に近づいてくる。
 響之介は羽織を脱ぎ捨て、物陰から飛び出した。その下は既に死に装束、白襷に白鉢巻の出で立ちである。
 立ちはだかる人影に、後ろ暗い習いからか、木曽一行は即座に刀へ手を伸ばす。
「何者だ!」
「目付けの木曽輝宗殿とお見受けいたす」
「・・・・・・いかにも」
 赤ら顔で鹿爪らしく応えた男の顔は、夏の日の思い出と共に刻み込んだ物だった。
「東雲正行が一子、響之介、参る!」
 響之介は刀を抜き放ち、右足で思いきり大地を蹴った。
「東雲・・・・・さてこそ貴様、敵討ちか!」
 家臣の一人が気色ばんで叫んだが、輝宗は刀を抜こうともしない。
 それはむろん、間に壁となる五人の手練がいるからだ。
 どころか、やに下がって高見の見物を決め込む腹積もりのようだった。
 配下の内二人を両脇に控えさせ、年若い三人を差し向けてきた。
 若輩と侮るならば、それは響之介にとって好都合だ。
 じりじりと間合いを詰めてきた三人の男達が、一斉に斬りつけてきた。
 それよりも一瞬早く、響之介は腰を落としていた。そのままぐん、と体を伸ばし、右手一本で持った刀を槍のように突き出す。走り込んできた勢いを利用し肋骨の隙を潜って胴を突くと、中央にいた男が弾かれたように後退し、崩れた。
 それを見届ける事なく左右の太刀を半身でかわし、返す刀で左の男の手首を刎ね上げ、右の男の首筋にごく軽く刃を当てて切り裂いた。
 飛びのいて血飛沫を避け、その間に抜き出した懐紙で手早く刀の血脂を拭う。
 水際立った響之介の立ち回りを見て、輝宗の顔色が変わった。控えていた二人の侍もうすら笑いを引っ込め、摺り足で間合いを詰めてくる。
 先発の三人はその場で傷口を押さえ、もしくは昏倒し、戦意を喪失している。
 もはや一行に響之介を軽んじる向きはなかった。
 残った二人は手練中の手練、より苦しい戦いになる事は目に見えている。響之介は迅速に呼吸を鎮めようとした。
 だが斬り合いはさして間を置かずに再開された。
 残された二人はよく連携し、断続的に斬りかかって来た。
 響之介は受けに回り、斬撃を凌ぐのみである。
 身をかわし、あるいは刀を逸らし、風に吹かれる雲ほどにも頼りなげに壁際へと追い詰められた。
 と、砂に足を滑らせ響之介がふらりと傾いた。
 好機と見て二人が勝負を急く、その瞬間こそが響之介の好機だった。
 よろめいたと見せた足は強靭な踏み出し、右肩の打ち込みを外した響之介は、大振りになった左の男の間合いにするりと入り込んだ。
 裂帛の気合と共に臓腑を貫く。
 確かな手応えに、最後の一人を倒すべく俊敏に身を半転させた。
 それら剣戟のわずかな合間、懐手する木曽が視界に入る。その表情に、響之介が本能的な危機を察知した途端。
 聞いた事のない轟音が辺りを切り裂いた。
 目の前にいた、最後の一人が倒れた。
 咄嗟に横飛びに避けた響之介の腹に、経験した事のない鮮烈な痛みが広がった。直立姿勢を保つのが困難な程の激痛である。
 目の前で突如臥した男の遺骸の向こう側、木曽が黒い塊を手に笑んでいた。
(鉄砲!)
 禁制の品だ。響之介も実物に触れた事はないが、木曽が構えた鉄の塊は文献で見知った物と同じ形である。
 不自然とも思える余裕の、真の源はこれだったのだ。配下が切り込む隙を付き、この鉄砲で幾多の恨みの刃を退けてきたのだろう。
 突如、響之介の腹から衝撃や苦痛でない熱いものが湧いた。
「・・・・・・この、痴れ者めが!!」
 人の道も武士の道も外れ、策を弄し、味方すら偽り、悦楽に溺れる。
 その外道に屠られた父を想った。
 そして、刀によらず屠られた者達を想った。
 使命感ではない、遺恨でもない、純粋な怒りが力を呼んでいた。
 いつの間にか辺りは遠巻きに見守る野次馬が群集となっていたが、響之介の耳にはそれらの喧騒も一切入ってこなかった。
 むしろ、内なる声がより強く大きく耳朶を打った。
(木曽を倒せ)
(木曽を弑せよ)
 響之介は、新たな構えをとった。
 鉄砲には目もくれず、木曽に向かっていった。
「馬鹿な・・・・・・」
 一閃。
 切っ先が木曽の喉笛に吸い込まれていく。
 木曽は信じられぬと言いたげに眼前の響之介を凝視したまま、鯉口を切る暇すら与えられなかった。
 刀を引くと、木曽の体はがっくりと仰のき倒れていった。
 開かれた喉から、清水が湧き出るように血が溢れた。
 木曽は刺された衝撃で既に絶命していた。



 響之介は己の指先が急速に冷えていくのが分かった。
 急がなければならない。
 自分の死は、東雲家の最期は、卑怯な鉛玉によっての終りであってはならない。
 響之介は装束を整え正座すると、刀を鞘ごと抜き、したためておいた文と共に地面に並べた。
 「上」と表書きされたその文には、この仇討ちに至るまでの仔細、長屋の者達は一切関係がない事などが記されてあった。
 万が一にも関連を疑われ、優しい人々に類が及ばぬようにである。
 ふいに、響之介は山桜の一片が左掌の内に張り付いているのを発見した。
 血塗れた手で触れるのは躊躇われたが、響之介はそれを再び握りこんだ。
 一人の少女の顔を思い出した。
 山桜のように控えめで、可憐で、けれど芯の強い少女。
 おりんは泣くだろうか。
 自分の為に泣いてくれるのだろうか。
『泣きませんよ!』と真っ赤になって言い返す顔が浮かんだ。
(・・・・・・泣かぬといい)


 響之介は己が腹を裂いた。
 前のめりになり、崩おれた。




 春が、終わろうとしていた。






あらざらむこの世の他の思ひ出に
今ひとたびの会ふ事もがな



完



2002.8.27

句意:
 間もなく私の命は尽きる。
 けれどあの世への思い出に、せめて一たび貴方に逢いたい。




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