はさみ




「いいよ」
 初めて告白されて、初めての恋人と、初めて喋った言葉。
 そしてそれが、最後に恋人と喋った言葉。


 昨日、彼と別れた。
 正確に言うと恋人関係を解消した。
 第一、向こうから告白してきたのに浮気をするとはおこがましい。
 ほとんど拝み倒すように口説いてきたくせに。
 だから即刻振ってやった。
 きっかけは些細な事だ。ありふれた事と言ってもいい。
 後輩と二股かけられてるらしいよ、と耳打ちされたのだ。
 知らされる以前に私も気付いていた。
 彼と二人で並んでいるとさりげなく、でも意味ありげに、私の事を眺め回す女の子の存在。
 値踏みするようなその視線を不快に思いながら、けれど言及しなかったのは、単に興味がなかったからだ。
 でも。
「私ね、浮気したからってそれを責めるつもりはないよ。 だけど浮気されて、それを大人しく許す女でもないから」
 切り口上で告げた私に、彼は悪びれもせず反論もしなかった。
 むしろこちらの反応を覗っている様子さえ感じられた。
「じゃあ、どうする? 別れる?」
 ニヤケた顔。一年という交際期間が生む余裕なのだろうか。
 私は侮られる事に慣れていなかった。
 そして、これからも慣れるつもりは毛頭ない。
「いいよ」
 そう言った瞬間、瞠目して言葉を失った彼に、胸のすく思いがした。


 彼とは告白されるまで、親しく話をする機会が無かった。
 学科も違うし、趣味も違う。
 教養科目も選択授業が違ったし、サークルもゼミも違う。
 性格も友人も家庭環境も生活態度も違いすぎた。
 こんな私達が知り合うきっかけと言えば、お約束通り合コンだった。
 それだって、飲んでる最中に直接会話をしたわけじゃない。
 馬鹿騒ぎをしている一団の中心にいる彼を、遠くから見かけただけだ。
 第一印象は『調子のイイ奴』。
 そして最後まで彼の印象は『調子のイイ奴』のままだった。
 元々、好きで付き合い始めた訳じゃない。
 彼はいつも浮ついていて、誰にでも耳障りの良い言葉を繰り出し、性格に比例してフットワークも軽かった。
 反論できない素早さで妙な論理を組み立てて周囲を煙に巻く事に、彼は天才的な手腕を発揮した。
 咄嗟に反論の思いつかない私は、その手で行きたくもない場所に連れて行かれたし、やりたくもない行事に参加させられた。
 そんな彼の行動力に、巻き込まれてつきあい始めたのだと思う。


 つらつらと思い返しながら寝返りをうつと、自分の髪が二の腕にまとわりつく感触でぞっとした。
 放っておいたらいつの間にか、こんなに長くなってしまった。
 朝起きると、首を締める様に捲きついていた事もある。
 知らぬ内に伸びていた髪の様に、気付くと彼は私の大半を占めていた。
 彼に無理矢理連れ出された場所のいくつかは、今でも心に残る宝物だ。
 名前も学科も声も知らなかった人間の事を、考えない日は無くなっていた。
 私の嗜好も生活も、少しずつ変わっていった。
 ひきずられるようにして行動半径も広がった。
 ぎょっとした。
 そんな自分がおぞましかった。
 根拠もなく、強制されたわけでもなく、己の恣意を左右される現象に慣れる事はできなかった。
 ゆっくりと確実に、日毎、彼へと気持ちが伸びていく。
 断ち切りたかった。
 髪を切るように、彼も。
 ただなんとなく伸ばした髪に、存在意義を感じるような女にはなりたくない。
 明日になったら髪を切ろう。
 失恋したから断髪したと思われたら癪だが、頭は軽くなるだろうし、人の噂もいつかは消える。
 この想いを断ち切ろう。






完

2002.10.17



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