遥か頭上で唸り声がする。
 入道雲は銀で裏打ちされたように白く、目に痛い程だった。
 みいいんみいいんと蝉声がこだまする。
 夏は濃い死臭がした。
 焼かれて逝く生き物達の匂い。
 縁側から吹き込んだ風は甘く湿気を含み、世界の端を揺らめかせた。
「雨がくるよ」
 哲矢はおごそかに告げた。
 天に昇る竜の姿が見える。
 雨は夜明けまで降り続くだろう。






神鳴――かみなり――






    雲間に閃く銀鱗
    障子に映る血涙
    跳ね上がる鼓動と鳴り止まぬ雷音
    雨はいつも暗闇と熱とを連れてくる






 夢だ、と思う。
 いつもの夢だ、と。
 哲矢は鬨の声のただ中に立っている。
 目の前には戦場が開けていた。『ここ』が何処とも、『今』が何時かも、哲矢には知れない。
 手を伸ばせば木の実をもぐように、いくつも命が落ちてくる。
 懸命に逃れようとする物を、追いかけて斬り裂いた。
 血と脂とで刀は既に使い物にならない。切れ味の鈍ったそれを、力押しで皮膚にめり込ませる。
 裂けば酸い鉄の香りがした。
 懐かしい香りだ。
 安堵を呼び起こし、疲労感を拭う。
 この快さを表す言葉を『彼』は知らない。
 知らない言葉は要らない言葉だ。
 ただ己の四肢が自分を裏切らぬ事を知っておればよい。
 前にも後ろにも味方はいなかったが、『彼』が怖れを感じる事はなかった。
『彼』には力があった。
『彼』はそれに絶対の自信と全幅の信頼を寄せていた。
 生きている物と死んでいる物が森の木々のように寄せるこの世界を想い、『彼』は快哉を叫んだ。
『彼』は孤独だったが、それに気付く事はなかった。
 寂寥と言う言葉を、ついに『彼』が知る事はなかったのだ。
 腹は熱く煮えているのに、背は凍えるように寒い――




 引き剥がされるように、瞼が開く。
 哲矢は寝慣れた布団の中で天井を見上げていた。
 眠る時には豆電球も付けないから、部屋の中は暗く沈んでいる。
 雨が連れてきた夢の余韻が、体中のそこかしこに残っていた。
 急速に遠のいていく戦いの感触を掠め取る為、哲矢は目を閉じ深く夜気を吸い込んだ。
 甘美な酩酊感が追憶の血臭に乗って込み上げて来る。
 口元に、その幼さとは相容れぬ陶然とした笑みが浮かんだ。
 震える小さな手が、夢の残滓を掻き集めるようにシーツを握りこむ。


 遠く鬨の声が聞こえた気がして、ふと窓の外に目を向けた。
 そんなはずはない。
『あれ』はもう千年も昔の事だと、知識としては知っている。
 黎明の空は未だ重たげな雲を湛えていたが、不思議な明るさを保っていた。
 雨が降ってもまだ、雪見障子のこちら側の方が昏い。
 隔てられた障子ごし、ガラス窓を滴り落ちる雨の影を見ていた。
 向かい合う竜が彫り込まれた欄間から、時折光が洩れてくる。
 刳り抜かれた眼窩から雷光が閃く。




 ここはまるで、世界の終りみたいだ。











完

2002.10.5

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