トランキライザー
○ のり子の部屋・昼
青い服の子供が寝そべって漫画を読んでいる。
子供、せんべいを噛み砕く。
静寂を破り、階段を駆け上がって廊下を走る音。
大きな音をたててふすまが開けられる。
滂沱と涙を流す中学三年生、乃木のり子(15)が飛び込んでくる。
のり子(以下の)「トラえも〜ん! またシャイアンに苛められた〜!」
(注:シャイアン=のり子のクラスメイト。地黒でおかっぱでネイティブ・アメリカンの様な風貌である為、密かに流布する渾名。
ちなみにスネ子=シャイアンの腰巾着。本名はツネコだが、スネ毛が剛毛なので影でこう呼ばれている)
虎衛門(以下虎)「おやおや。今度はどうしたんだい?」
の「体育の時ペアで外された〜」
虎「クラスの女子の人数が奇数なら必然的な事じゃないか」
の「もう、こうなったら死んでやる〜!(聞いてない)」
虎「死んでやるとは穏やかじゃないね」
の「明日の新聞に『卑劣なイジメで美少女自殺!』とかでかでかと載って、マスコミ攻勢でヤツラに思い知らせてやるわ〜!」
のり子、握りこぶしを作って斜め上を睨む。
虎「どっちが卑劣なんだか……いやそれより自分で自分の事を美少女と言い切る豪胆さにある種の慕わしささえ覚えるよ」
嘆息する虎衛門。
の「遺書で名指ししてやるー! そんで、そんで、顔写真付きの個人情報をホームページで流しまくってー!」
虎「まあまあ落ち着いて。
あと十二年三ヶ月もすれば君は結婚して、貧乏だけど穏やかな暮らしができるんだから」
の「ちっとも慰めになってないわよ!!
どうせ未来を教えるなら、年末ジャンボ宝くじの一等の番号教えなさいよ!」
虎「基幹プログラムで現行法──未来のだけど──の犯罪幇助に当たる行為はできないって、最初に言ったはずだけど?」
の「そんな事言わずに、私の幸せな未来の為に協力してよ〜」
虎「僕の任務は君を幸せにする事じゃない。そもそも僕は、君が心安く人生を送れるようアドバイスするのが役目のカウンセラー・ロボットに過ぎないんだから」
の「役立たず!」
虎「どういたしまして」
涼しい顔の虎衛門。
の「褒めてないわよ! 私は世界一不幸なのに、どうして助けてくれないの?」
泣き崩れて畳につっぷすのり子。
虎「泣き言ばかり言うのはよしなよ。
自分がこれまでの人生でどれ程の事を成し遂げてきたか考えてごらん?
それこそ、死んだ気になって頑張ってみたらどうだい?」
のり子がふっと顔を上げる。
の「あんたって、冷たいよね・・・・・・」
虎「セイ子ちゃんが言ってただろう?
玄孫(ヤシャゴ:ひ孫の子)として恥ずかしいから、未来を変える事はできなくても、せめて恥ずかしくない人生を送ってくれって。
政・官・財界に優れた人材を輩出してきた乃木家で唯一の劣等生、それ故に一際目立つ汚点なんだよ、君は。
子孫が肩身の狭い思いをしないよう、くれぐれもみじめな生き方はしないでおくれよ?
名誉ある乃木家の歴史上、君だけが社会貢献度が異常に低い。
せいぜい人様の為に役立ってから死んでね」
の「今すぐ死んでやる。絶対に死んでやる」
(M)私は地獄の苦しみを味わってるのに……
こうなったら、私の死体の片付けや任務の失敗やカウンセラーロボットとしての評価が下がる事をタテに、未来の情報を脅しとるしかないわ!
虎「へえ、そう。で、どうやって死ぬつもり?」
の「手首をカミソリで切って死ぬわ! 傷口をバスタブに浸けるから、浸透圧で血がいっぱい出るわよ!」
虎「その死に方はよくないな。
バスルームを選んだ事は、後の処理が楽だから及第点だよ。
でもカミソリで手首を切ったくらいじゃ人は死ねない。
手首を切って死ぬ為には、骨まで達する程の切断面が必要なんだよ。
君みたいな女の子の力で、それもまともな刃物を使わずカミソリなんかで、しかも片手で出来る事だと思うかい?
それに、大量の水に浸けると確かに傷口はふさがりにくくなるけど、水圧で血が出にくくもなる。
もし君が本当に死にたいなら、熱いお湯にじっくり浸かった後、バスタブの外で切る方がいいよ。
血液の循環が良くなるから躊躇い傷程度でも驚くほど大量の血が出る。
さらに言うなら手首なんて末梢神経を切ったんじゃ、今の医学でもかなりの高確率で助かってしまう。
カミソリで確実に死ぬ為には、肘や腿の内側、いっそ首筋の頚動脈を切る方が簡単だね。
絶対に助かる心配はない」
の「アタシ・・・・・・死ぬの止めよっかなー」
虎「それは結構」
完
トランキライザー:精神安定剤
2002.10.6
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