国府祭夜話              平成23年 2011.3.20 寸雅爺

大名行列と格式が同じだった神輿行列
 さむ川 その昔を語る第一集  昭和54年3月1日 発行
 皆川  起司 さん(78歳)
 
 非常に興味深い話なので、皆さんに披露しておきたいと思います。
 読みやすくするため、送り仮名を追加したり、文章の組み換えをしたりして
いますが、ほぼ原文の通りです。

 私どもが子供の(明治40年)頃、60歳から70歳のお年寄りは、誰でも口を
そろえて国府祭が素晴らしいお祭りであった事と、寒川大明神さまのありがたかっ
た事を話して聞かせてくれました。
 江戸時代、東海道で大名行列に出会うと道端に土下座をしたものです。万一にも
失礼があれば、無礼討ちにされても仕方がなかったのです。
 文久2年8月(1862年)生麦村で、日本の風習を知らなかったイギリス人が、
馬上から行列を眺めていて無礼討ちにされてしまいました。(いわゆる生麦事件)
 明治元年が1868年ですから、これが日本最後の無礼討ちということでしょう
が、まことにお気の毒なことでした。

<大名行列と格式が同じだった神輿行列>
 このように恐ろしい大名行列でも、国府祭の神輿の行列を止めることは出来ませ
んでした。なぜなら、その頃のお定めで、(神輿行列は)大名の格式があるので、
道半分ずつという事になっていました。
 一之宮様、四之宮様、八幡様、神輿を担ぐ大勢の若者、そしてそれをお守りする
十数騎の馬にまたがる神官たちの御神幸は、たとえようもない厳かなものであった
そうです。

<祭りのあとの一寸した事件>
 ある年の事、神揃山も大矢場の祭りも無事に済み、まもなく各神社引き上げとい
う時、馬にまたがった武士二人があわてて飛び込んで来て、大声で次のようなこと
を言いました。
「一之宮、四之宮、八幡宮の神主と村役人は前へ出なさい。」
「身共は大磯宿の役人であるが、ただ今、大老伊井様御行列が小田原方面へ向かわ
れ、花水川をお渡りになった故、十分粗相の無き様にとの急なご沙汰である。」
「よって、当所の出発を一時(いっとき)程、待ってもらいたい。」

 この時、宮山の村役人”祭り宰領大行事掛”西山十右ェ門が進み出て・・・・・
西山;「それは、おことわり申し上げます。」
役人;「何を言うか、万一粗相のあった時は、二三人の切腹は覚悟するがよいぞ」
西山;「なんと申されましても、定まっている時刻には発ちまする。だいいち、

   国府祭は、寺社奉行のお係りでござる
。小田原城主 大久保伊賀守殿の御家
   来衆のお指図は受けません。


 この問答を聞いていた若者達は、喜んで大喝采、
そして意気揚々と出発いたしました。

 間もなく行き会う大名は、幕府最高職 大老 井伊直弼でありますので、神輿の
行列は緊張して威儀も正しく小磯の切り通しで大老の行列と出会ったのであります。
 すると、大老の一行は道端に行列を止め、お籠脇の重臣などは、冠りものを取っ
て礼拝をされ、お籠の中の大老は、垂れを揚げさせられ、敬虔な祈りを奉げておら
れたようであります。

 時あたかも、日本の夜明け、日本の国の事に心を痛めておられたお方、一国を背
負っておられるお方が、全霊を奉げて祈念なさるお姿は、誠に見事な絵巻物であっ
た事でしょう。

 管理人(注)
 この当時は、今のような神明造りの仮宮(昭和14年製作)ではなく、本神輿が
出御していましたから、ワッショ、ワッショと国府祭の神輿行列が東海道を進み、
時の大老井伊直弼が籠を止めて神輿に祈りを奉げている・・・なんとも・・・ 神輿好き
にとっては胸のすくようなお話ですね。神輿行列が、そんなに格式があるものとは
知りませんでした。宮山の村役人の啖呵?が心憎いですね。

 私どもが子供の頃、60歳から70歳のお年寄りは・・・とありますが、
 皆川起司さんが、昭和54年で78歳と云うことは、明治34年(1901年)の生
まれとなりますが、話を聞いた明治40年(1907)頃に60〜70歳だったと云う
お年寄たちは、1838年〜1848年(天保)の生まれということになります。

 井伊直弼が大老と云うことは、安政年間(1854〜1860)の話だと思われますが、
その頃、このお年寄り達は、青少年と言える年齢ですから、十分に正確な記憶に基
づいて、皆川さんに聞かせてくれたんだと思います。
 また、この話は、寒川町文化財保護委員の吉田剱作さんが、神奈川県史 第五編(P321)に、この話の裏付けとなるようなことを書かれているそうで、信頼できる話
だと思います。(該当ページを探したところ、見当たりませんでした。しかし皆川
さんが、この稿の終りにはっきりと記述しておられるので、もう一度探してみよう
と思います。)
 
 天保神輿のことを語っている木村慈太郎さんや前田喜一さんは、皆川さんよりも
10年も早く生まれているので、天保より前の文化、文政生まれのお年寄り達に、
国府祭の帰途に馬入川で流された神輿のことも聞いていたんでしょうね。

「さむ川その昔を語る」は、創刊が昭和52年9月であり、話をされた明治生まれ
の人達も、執筆された方々も、現在では鬼籍にはいっておられる方がほとんどなの
で、あらためて聞いてみたいと思っても、それが出来ないことが残念でなりません。

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