全国的な伝統行事の復活ムードに乗って浜降祭が見事復活した頃】

浜降祭異変 
  みこしかつぎに若者わんさ
         
15日に茅ヶ崎海岸で
            昭和49年(1974)7月13日 朝日新聞    
03.07.02


 15日、夜明けの茅ヶ崎海岸でくりひろげられる「浜降祭」が、戦後最高の
規模になりそうだ。
 茅ヶ崎市、寒川町の18の神社などからやってくるみこし23基、かつぎ手
志望の若者は2千人をこし、断るのに苦労しているという。一昨年あたりまで、
ひどい時は二基しか参加せず、十基もくれば上の部だった。
 アルバイトのかつぎ手に「海へ入るのはいいやだ」なんてダダをこねられてい
たことを思えば、これはちょっとした異変というべきだろう。

 
遠く県外からも  連帯・充実感求める?
 
浜降祭とは、県の無形民族資料に指定されている伝統行事。起源は天保年間
(140年ほど前;注;今は+29年ですよ!)といわれる。みそぎ−−−身を
潔める行事の変化したものと伝えられ、寒川神社をはじめ、茅ヶ崎、寒川町の
神社のみこしが7月15日早朝、茅ヶ崎海水浴場西側の浜辺に合流して海に入り、
その後神事を行う。

 特徴をひとことでいえば「勇壮」
 みこしをかつぎたいという若者に押しかけ
られた寒川神社の阿部儀典権禰宜は「私たちの神社と隣の菅谷神社のかつぎ手だ
けで三百人。本来、氏子の中から選ばれることになっているが、今年は川崎、
浅草あたりから申し込みがあり、断るのに苦労している」という。
ほかの神社もこと人集めに関しては、苦労なし。むしろ若者側から「やろう。
やらして」と参加したところが多い。


 寒川、菅谷神社のみこしの重量は、なんと750kg以上。ほかの神社もほぼ
375sといったところ。
うっかりかついだら肩の皮がむける。おまけに祭礼日
はことしはおりあしく月曜日。しかも半ば徹夜。条件は極めて悪い。それなのに
なぜ、と関係者はいちように首をかしげる。

 市内外にみこしの同好会や研究グループもある。しかし、それは消えゆく伝統
行事への愛着に始まっている。こんどの”異変”は、ちょっと違う。むしろ、は
ち切れそうなエネルギーを感じる、というのだ。そろいのはんてんにさらしの腹
巻き。暁の行事が終われば、地区へ帰って夕方までねり歩くことも決まっている。
 浜降祭は、日本経済の高度成長とちょうど反比例して衰退していった。参加者
の数は減る一方で、観光行事化が進んだ。ふえるのは、見物だけ、という傾向が、
少なくとも一昨年まではっきりしていた。

 阿部さんは、若者参加の理由を「ディスカバー・ジャパン的なものから一歩
進んで、祭りへ参加することの喜び、みんなで楽しむことから生まれる連帯感」と
みる。五年ほど前まで現役のかつぎ手だった茅ケ崎市観光係長鈴木忠昭さん(38)
は、もっと単純に考える。「みこしをねって歩く、あの男らしさ、勇ましさ、か
ついだ者でなければわからない充実感。底流には、いま流行のふるさと回帰の気
持ちもあるだろうが、昔だってかつぐ男、かつがない男ははっきり分かれていた。

 今だって、若者は同じ若者なのだ」と。「かりにふざけ半分だろうと、レクレ
ーションとしての参加だろうと、神社としてはうれしい」と阿部権禰宜。
 そして山口保茅ケ崎市観光課長は「無形民俗資料から無形文化財へ格上げされ
るには、今年のような状況が固定化しなければなりません。その意味でも大歓迎」
というのである。

<管理人記>
*浜降祭完全復活の兆しが見え始めた年ですね!
*みこし重量はどこから取材したのか?ちょっと疑問符がつくなあ?
*まだ、あちこちに新しい神輿の製作ブームが起きるちょと前の頃ですね!
*「担ぎ手がいなくて日当を払って頼んだ」なんてうわさを聞いたが、
やっぱりアルバイトがいたんだろうか?衰退期には。



二十三基繰り出し 戦後最高のにぎわい 茅ケ崎の浜降祭
       
昭和49年(1974)7月16日 神奈川新聞    03.07.02
 早朝の海にみこしが繰り出す茅ケ崎市の浜降祭が15日朝、茅ケ崎海岸で約5万人
(茅ケ崎署調べ)の見物客が見つめる中で勇壮に繰り広げられた。浜降祭は、各地の
神社で行われたみそぎ行事の変化したものと伝えられている

 伝統的な祭りで、昭和36年に県の無形民俗資料に指定されている。一時は担ぎ手が
なく、参加の神輿が数基という寂しい時もあったが、今年は寒川神社をはじめ、茅ケ
崎市、寒川町内の20の神社から戦後最高の23基が繰り出し、東京・浅草、横浜・
鶴見などの女性も交えたみこし担ぎの愛好者グループも地元の人たちにまじって初参加。

 時折、小雨のパラつく天気だったが、未明から海岸に向けて各神社を出発したみこし
は路上を練り歩き、威勢がよすぎて注意を受けるみこしもあった。それぞれの神社で
そろいのはち巻き、はっぴ、ももひきスタイルになった担ぎ手に担がれたみこしは、
朝五時過ぎから次々と海岸に集結して砂浜を「ワッショ、ワッショ」と練り歩き、次々
に海に入って行き、詰めかけた見物客から喚声と拍手が送られていた。砂浜に勢ぞろい
したみこしは午前7時、寒川神社の神主から祝詞やお払いを受け、再び、各神社に戻っ
て行った。



みこしたっぷり担がせて・・・・浜降祭 同好会、規制緩和訴え
  「トラック輸送は味気ない」    
               昭和51年(1976)5月16日 神奈川新聞  04.1219
 茅ケ崎、寒川一帯の神社から早朝の海岸にみこしが繰り出す浜降祭は、十五年前に県無
形民俗資料に指定されたことや、最近の伝統行事の復活ムードに乗って年々盛大になる一方。
去年は二十四基のみこしが参加、戦後最大の規模になったが、今年はさらに上回りそうな
気配だ。こうした中で、みこしを担ぐ若者たちからは、みこしの交通規制を緩和、もっと
担がせて、という要望が茅ケ崎署に出されている。

 浜降祭の起源は諸説あるが、明治10年以降、天皇が崩御された年を除いて毎年7月15日に
はみこしの渡御が行なわれている。みこしは、それぞれの神社から若者たちに担がれ、数
キロ離れた茅ケ崎市の西浜海岸まで降り、みそぎをしてまた戻る方式。ところが戦後一時
期、祭りがすっかりすたれ、担ぎ手不足に各神社とも悩む一方で、交通渋滞の原因になると
して、8年前から市街地で担ぐのが禁止された。
 
以降、みこしは神社からトラックに乗せられ、海岸近くの駐車場まで運び、そこから往復
約300mを担ぐだけ。いわばクライマックスだけが残された形。
 ところが、最近湘南一帯で続々とみこし同好会が結成され、ことしは同好会の連合組織
として湘南連合(6団体250人)が結成された。同連合会では「酒も飲まず整然と行な
うから、神社近くから担がせて欲しい」と茅ケ崎署に申し入れた。これを受けた茅ケ崎署は、
みこしを担ぎたい気持ちはわかるが、ひところあった酒を飲んでのトラブル、それに交通
の大動脈・国道1合、同134号線を横断するため、「慎重に検討」(黒川辰二同署長
)としている。いまのところ、まだ結論はでていないが、もし実現すれば久し振りに本格
的な浜降祭ができると若者たちは練習に余念がない。




人出10万人みこし27基 浜降祭 開催以来の盛況さ
              昭和51年(1976)7月18日 ウイクリー  04.12.20
 神奈川県の無形文化財(県無形民俗資料昭和36年7月)に指定されている浜降祭が恒例の
15日早朝から暁の茅ケ崎海岸で行なわれ、参加神社24、みこし27基がくり出し、観衆
10万という同祭始まって以来の最大の規模となった。
 これは伝統的行事の復活ムードが日本全国にもりあがりつつある傾向で、どう祭も例外
にもれず示したものと見られている。例年だとかつぎ手不足で悩むこの祭りも、保存会な
どの発足が相次ぎ、一つのみこしに百人以上のかつぎ手がつく程であった。
 また今年からは、寒川神社など寒川から来るみこしが、むかし通り自社から海岸まで
往復かつぎ通すなど復活ムードを一段と高めていた。


 昨年までは交通ラッシュ、騒音問題、更にかつぎ手の酒による傷害事件などのトラブル
も毎年のようにあり、ここ数年は祭典場の茅ケ崎海岸近くまでトラックで運び、ほんの数百
メートルをかつぐだけであったが、今年は寒川神社を始め各神社、保存会などからかつぎ手
の禁酒宣言も出、その結果目立ったトラブルもなくまずまずの成果をだし、来年以降の祭り
もより一層盛大なものになると思われる。

 更に今年の祭りには、香川に住む大工さんが手造りの重さ二百キロもあるみこしを造り上
げたり、昨年の寒川神社に続き今年は西久保でも、約千五百万円もする重さ百六十貫もある
大型みこしを新調するなど話題に事欠かない祭りになった。
 なお浜降祭の起源については諸説あるが、現在一般に知られているものは、天保九年
(1838)相模国の守神・寒川神社の御神体が大磯の国府祭・・・省略・・・年に一度寒川神社
ををはじめ寒川、茅ケ崎市内のみこしが総出で海岸を渡御、御神体を清め、豊漁、豊作を
祈願する行事とも言われている。今年の浜降祭を振り返って見ると、祭りもむかしのように
変わりつつあり、その中に
ルールを守る若者達が非常に増えた事が目に付いた




明治9年から茅ケ崎の浜降祭は7月15日でしたが
 来年からは7月20日
    
「海の日」に開催              04.12.20記
          平日ではみこしの担ぎ手も集まらず   
     1996年(平成8年)10月27日 朝日新聞 湘南版で大きな扱い

 
威勢のいいかけ声でみこしを担ぎ、湘南海岸の浜辺を練り歩くことで知られる、茅ケ崎市の夏の
風物詩「浜降祭」が、来年から7月20日の「海の日」に行なわれることになった。1876(明治9年)
から毎年、7月15日と決まっていたが、サラーリーマン社会の波をかぶって平日だと、みこしの担ぎ
手が足りなくなっていたことが大きな理由だ。

 9月下旬、寒川町の寒川神社に、浜降祭保存会(会長・伊藤留治茅ケ崎商工会議所会頭)の関係
者が集まり、日取り変更を正式に決めた。
 担ぎ手の不足の他、子供みこしで参加する子供たちが、祭りの途中で学校に行かなければならな
いなど、「日曜日にできないか」という声も上がり、数年前からの懸案になっていた。そんな中、今年
から7月20日が「海の日」の祝日として制定されて、開催日を変える機運が盛り上がった。

 茅ケ崎市の海岸で繰り広げられる勇壮な祭りだから、海の日にふさわしい。参加者も増え、歴史
ある伝統行事も継承されていくと、保存会などは期待している。
 みこしを出す神社関係者も「祭りの日をむやみに変えるのはあまり好ましいことではないが、祭り
は人の心をひとつにさせるもの。社会情勢の変化もあり、祝日など人が多く集まる方がいい」と話す。
 この祭りは県指定の無形民俗文化財にもなっている。未明から茅ケ崎市と寒川町の神社から数十
基のみこしが浜辺に続々と繰り出し、乱舞した後、ほとんどが「みそぎ」のために海に入る。未明から
行なわれることから「暁の祭典」とも呼ばれ、毎年十万人前後の見物客が訪れる。