numero-2



島での暮らしがはじまった。トレトレのマグロが売られている、という情報をゲットした僕は、さっそく魚屋へ走った。異国の空の下、ずっと夢にまで見ていたマグロの刺身。贅沢は言わない。トロがなければ赤身でもいいぞ。バックパックの中にしのばせたキッコーマンのミニボトルを使うときがやってきた。なぜかS&B本生チューブわさびも持ってるし。僕の頭の中では、映画「ターミネーター2」のメインテーマがダンッダダンッ、と鳴り響いていた。

 マルティン・イー・アニータの「イー」は、英語でいう「アンド」のことだから、マルティンとその奥さんアニータの名前を並べただけの、かなり安易な民宿名だ。日本で言えばヒロシ&キーボー、英語で言えばホール&オーツ、サイモン&ガーファンクルみたいなものか。どれも古すぎるぞ。
 10畳大の部屋は清潔そのもので、マルティン夫妻はこの点に関しては、そうとう神経質なタイプのようだった。大きなベッドがひとつと、やや小さめのベッドがひとつ。奥には洗面所とシャワー室があり、大きな窓は緑豊かな中庭に面していた。部屋の中央には、白いプラスチック製のガーデンテーブルのセットが置かれている。僕はこれから、そこで食事をとることになるわけだ。15ドルにしては、悪くないつくりだった。
 昨夜はビールの飲みすぎか、さっさと寝てしまいたかった。しかし、日が暮れたのは午後8時。1日が長すぎる。おまけに暑いし腹は減るし、ほとんど眠れなかった。

 さわやかな気分とはいえない朦朧とした意識のまま、今朝になってはじめてアニータに会った。彼女はマルティンと同じくらい太っているが、顔はポリネシア系というよりも、アジア系だった。細く切れ上がった目と薄い唇が、そんな印象を与えたのかもしれない。
「オハヨゴザイマス、タク。3週間もうちにいてくれるなんて、とってもうれしいわ、よろしくね」
 サンチアゴで買ってきたコーヒーをいれたいんだけど、と言うと、アニータは僕を連れてキッチンへ入っていった。そこには、4人の子供たちがいた。
 14歳の長女アナリキ、9歳の次女リロイ、父親と同じ名前である11歳の長男マルティン、そして2歳の次男フランシスコ。4人とも年齢のわりにしっかりとした体型、つまりデブで、両親の遺伝子をしっかりと引き継いでいるようだった。  

 中庭に面したテラスでコーヒーを飲んでいると、マルティンがやってきた。彼はこの島の出身だが、サンチアゴに出稼ぎに行って、8年間、コックとして働いていたらしい。そういえば、僕が持っている日本語のガイドブックにも、「元シェフの経営するグルメな民宿」ってなことが書いてあった。
 マルティンは島に戻ってからもレストランで働き、そこでウエイトレスをしていたアニータと出会い、結婚。ふたりで貯めたお金で家を改築し、10年前に民宿をはじめた。
「俺は日本人が大好きなんだ。部屋を汚さないし、礼儀正しいし、親切だ。よく思うんだ。どこか、この島の人間に似ているなって。同じようにアトゥンも大好きだしな」
「アトゥンが」

 アトゥンとはマグロのことだ。イースター島で、マグロという言葉を聞くとは思っていなかった。マルティンいわく、この島の近海では、マグロが腐るほど獲れるそうだ。
「毎日マグロばっかり食べていると、時々いやになるけどな」
 なんて、贅沢なことを言っている。すっかり頭がマグロ一色になってしまった僕は、彼に教えてもらった市場へ、さっそくマグロを買いに行くことにした。
 宿を出て、島で唯一の教会を通りすぎると、海へと続く坂道があり、例の商店街もこの坂道を左折してところにあった。昨日はうまく把握できなかったが、やはり相当小さな村のようだ。
 商店街の中心部に島最大のスーパーがあり、その前の木陰で魚屋が商いをしていた。いや、魚屋と呼ぶのは正確ではない。マグロしか売っていないから、これはマグロ屋と呼ぶのが正しい。
 古ぼけた木机の上に、横たわる5匹のマグロ。これだけ朝から暑いのに、マグロがグターッとしていないのは、獲れたてに違いない。

「お兄ちゃん、どのくらい欲しいんだい」 と、前歯がすべて抜けていて言葉を発するたびに口の奥が丸見えになる、ちょっとホラーっぽいじいさんが聞いてきた。真っ黒なしわだらけの肌。このホラーじいさんが、漁師であり、マグロ屋なのだろう。そう思うと、ますますマグロがおいしそうに見えてくる。
「普通、どのくらい買うんだろう」
「普通って、お兄ちゃん、そりゃ人それぞれだよ。うちの娘なんて、朝から500グラムも食べるしな。ワッハッハ」
 やたらと陽気なじいさんだ。
「それじゃ、とりあえず500グラム切ってみてよ」
「よっしゃ」
 ホラーじいさんは、ギロチンからはずしてきたような巨大出刃包丁で、マグロをドン、と輪切りにした。マグロの輪切りを見たのは、もちろんそれがはじめてだった。

「このじいさんは、500グラムでも、1キロでも、ほとんど狂いなく切っちゃうのよ。見ててごらん」
 僕の後ろにいたおばさんが、僕にそう教えてくれた。はかりにマグロを載せると、針は500グラムのところで、ホントにピタリと止まった。
 それがプロのワザなのか、はかりが壊れているのか、よくわからないけど、とりあえずスゴイ。でも、ホラーじいさんはべつに得意がるふうもなく、それを新聞紙でくるんで僕に渡した。
「1ドルだよ」
 1ドル……マグロ500グラムがわずか1ドル、か。よし、こうなったら3週間、マグロだけを食べて過ごそう。マグロの大群に襲われる夢を見るまで、食べまくるぞ。
 この島では、チリの通貨であるペソと、ドルの両方が使えるので、このじいさんのように、島の商人は、相手が外国人だとわかると、必ずドルで値段を言う。為替を考えると、損をしているような気もするのだが、島に一軒しかない銀行では、15パーセントもの両替手数料をとられるので、それに比べれば、ドルの現金払いの方がマシということになる。
 マグロを手に入れた僕は、スーパーで自炊グッズを買い込んだ。サンチアゴで買ってこれなかったワインやビール、パン、卵、塩、砂糖、こしょう、オリーブ油、にんにくなどなど。
 値段はやはり、本土の倍くらいする。ビール1缶の値段でマグロが1キロも買えるぞ、と半分怒りながら宿に戻る。

 すぐにキッチンに入り、さっそく刺身を作りはじめた。醤油とわさびは、旅の間も常に持ち歩いているので、米を炊いたら、あとはマグロを切るだけだ。
 日本で食べるマグロは、ほとんどが冷凍ものだが、このマグロはなにしろ今朝とれたて。皮はぎと骨抜きに悪戦苦闘しつつ、ようやく刺身らしきものが出来上がった。刺身というよりは、どう見てもブツ切りだが、まあいい。
 鍋で炊いた米とともに部屋へ持っていって、小皿に醤油をたらし、マグロをつけてガブッとほおばる。うまい。メチャクチャうまい。日本でいえば中トロ。それでいてプリプリした食感は、かなり衝撃的な味わいだった。大皿3杯分あった御飯も、500グラムのマグロも、あっという間に姿を消した。

 何とも言えない幸福感に包まれながら洗い物をしていると、マルティンがやってきて、自分たちのマグロをさばきはじめた。さすが元コック、手際がいい。
「マグロ、メチャうまかったよ」
「そうだろう。ここに来た日本人は、みんなそう言うよ。スシ、サシミ……日本人はマグロが大好きだからな」
「そう、でも日本では高いんだ」
「いくらするんだ」
「うーん、よくわからないけど、こんな小さな刺身が6枚くらいで、4ドルはするな」
「ホントか。ここじゃ、猫だってもっと食べられるぜ」
 マルティンは、手早く5人家族用の刺身を大皿に盛った。醤油は使わないらしく、オリーブ油とビネガー、塩、こしょうでマリネっぽく仕上げていた。
「今日はないんだけど、これににんにくと玉ねぎを入れると、もっとうまくなる」
 うん、わかる、わかる。今度それをやってみよう。そうそう、醤油に漬けておいて、鉄火丼ってのもいいな。いやいやマグロのステーキもうまそうだ。
 ああ止まらない。どうやら、しばらくマグロ料理研究家のような日々になりそうだ。

 午後も太陽は狂ったように照りまくっていた。ブラブラ散歩に出かけてはみたが、首やら足やらむき出しになっている部分がすぐに痛くなってくる。南海の孤島イースターは、今まさに真夏を迎えているようだった。
 ハンガロア村は、人口わずか3800人。はじからはじまで20分くらいで歩けてしまう程度の大きさしかない。商店街や空港付近には舗装道路もあるが、ちょっと脇に入ると土ぼこりたっぷりののどかな田舎道が続く。
 海岸沿いには、大きな草サッカー場やレストラン、倉庫のようなディスコが並び、岩で作った天然の海水プールも設けられている。いい波がたつこのあたりはサーフィンやボディボードのポイントで、夏休みということもあり、子供たちが波乗りを楽しんでいた。
 そうした風景のなかを歩いていると、何人もの観光客とすれ違った。たいていはドイツ人かアメリカ人、そして日本人のハネムーナーらしきカップル。
 ヨーロッパでも中南米でも同じことだが、普通の日本人旅行者から見て、僕のようなバックパッカーは近づきたくない対象らしい。いじけるわけではないが、何度も何度も無視されたことがあるから、この恨みの根っこは深い。
 ポルトガルの海辺にある町の路地で、向こうからやってきた日本人カップルと擦れ違うときに挨拶をして、無視されたこともある。なにもそんな状況で、と思うのだが、相手は関係ないらしい。せっかく日本を何日間か離れて、楽しく旅をしているのだから、わざわざ日本人と話すこともない、とでも思っているのだろう。
 そのときは、擦れ違った後で、挨拶なんてしなきゃよかったと後悔している僕のうしろで「うわあ、こんなところにも日本人がいるよ」という言葉まで聞こえてきた。おいおい、そうくるか。追いかけて延髄蹴りをくらわしたい衝動を必死に抑えた。
 ま、期待するこっちも悪いんだろう。長い旅をしているこちらからすれば、日本人と出会うことなんて数少ないから、見かけるとちょっとうれしくなってしまう。
 そんなわけで、この島に来る新婚さんたちも、僕にニコリともしてくれない。みんなモアイと同じくらい愛想がない。やれやれ。

 夕方になり、といっても午後7時半頃なのだが、ようやく僕はモアイを見てみる気分になり、村はずれにあるタハイに足をのばした。海水浴場の周囲にもモアイは3体あったが、何だかさえない姿のモアイで、いかにもツーリスト向けの広告塔的な観光モアイだった。
 タハイはその海水浴場から、海沿いの草原を20分ほど歩いたところにある。なだらかな最後の丘を上りきると、緑豊かな放牧地が広がり、数十頭の馬が草を食んでいるのが見えた。海に背を向けて立つ6体のモアイ。さらに、2体のモアイがその向こうに見える。なかなか孤独な姿だ。これぞイメージどおりのモアイ。
 タハイはたくさんのツーリストで賑わっていた。そのほとんどがドイツ人らしき団体客だったが、それでもこの島にこれほどの人がいたのかと目を疑うほどの数だ。
 6体のモアイの後方の水平線に大きな夕日が落ちていく。モアイに興味のない僕でさえ、その情景には感動を覚えた。無表情な石像が、逆光でシルエットになることによってさらに無表情となり、太陽がオレンジ色に水面を染める。その色は青空に散らばる雲にまで反射して、なんとも幻想的な空間をつくり上げていく。  

 誰もがカメラのシャッターを押すことさえ忘れて、その淡く心地よい時間に身をまかせていた。僕はスーパーで買ってきたワインの紙パックを開けると、草の上に座り込んで、コップも使わずに飲みはじめた。
「どうだ、こんな夕日は日本にないだろう」
 ひとりの馬飼いが寄ってきた。ヒゲを生やしているせいか、チャールズ・ブロンソンに似ている。右手を出して、ワインを指差す。僕はパックをブロンソンに渡してやった。
「日本の夕日だって、キレイだよ。モアイはないけどな」
「そうか。ところでハッパは好きか」
「いや、いらない。ワインだけで十分だ」
「ワインとハッパ、両方やれば、もっとハッピーになれるよ」
 ブロンソンはポケットからハッパを出し、何度か僕にすすめたが、脈がないとみると、丁寧にワインの礼を言って、また馬の群れの方へ戻っていった。
 マグロがうまい。ハッパの売人も礼儀正しい。 いい島じゃないか、なあモアイくん。ワインがだんだんまわってきて、気づくと何やらモアイに話しかけている。やばいな、これ。

 翌朝、テラスでコーヒーを飲んでいるときに、この島に着いてから時計を直していないことに気がついた。時差はマイナス2時間だったな、たしか。ま、いいや。この島にいて、時計がなければこまるようなこともないだろう。
 今日は日曜なので、ただでさえ静かなマルティンの家の周囲が、ひときわおとなしい。おそらく、今日一日は島中が、こんなひっそりとした雰囲気なのだろう。
 卵とパンで朝食をすませようと、キッチンで目玉焼を作っていたら、マルティンが眠そうな目をこすりながらやってきた。冷蔵庫から牛乳パックを出して、早飲み選手権の参加者のようにスゴイ勢いで飲みはじめた。
「よう日本人、朝から何を作っているんだ」
「目玉焼き」
「それなら、いいものを教えてやるよ。ラパヌイ風目玉焼きってやつを」

 ラパヌイとは、イースター島に住んでいるマルティンのような原住民を指す言葉だ。マルティンは油をたっぷりひいたフライパンに、ポットから取り出した塩をザッと投げ入れた。そして、割った卵を2個。
「塩を入れると、卵がフライパンにくっつかないんだ。そして、いいか、ここがポイントだ。フライパンを軽く揺する。油のなかで泳がせるようにな。タクは半熟が好きか」
 僕がうなずくと、マルティンはフライパンをかたむけ、スプーンで油をすくって卵の黄身にかけはじめた。
「この油のかけ具合で、半熟かそうじゃないかが決まるんだ。わかるか」
 寝起きのパンツ一丁の姿で、妊娠8ヶ月のような腹をガス台スレスレに突き出しながら、大きな瞳をさらに広げて真剣に調理するマルティンの姿は、やたらおかしかったけど、真面目に教えてくれているんで笑い出すわけにもいかない。僕はもう、呼吸困難になる寸前だった。
「ほら、出来上がったぞ。あとは油をフライパンに残すようにしながら目玉焼きを皿に移すだけだ。うまそうだろ」
 それは、不思議な目玉焼きだった。目玉焼きというよりは、どう見ても目玉揚げ。食べると、油の匂いが少しムッとする。いつもの目玉焼きの方がいい。でも、一度教わってしまった以上、僕はこの家にいる限り、この目玉焼きを作り続けなければならないような気がする。なぜなら、マルティンは僕がキッチンにいると、必ず見にくるからだ。こんなことなら目玉焼きなんて作らなければよかった。

 午前中は、のんびりと本を読んだりして過ごした。朝からかなり暑かったが、村のなかを歩き回るよりは、そこにいた方が、はるかにマシだった。
 朝のうちにテラスの掃除を終えてしまいたいマルティンは、「山には登らないのか」とか「今日は泳ぐと気持ちいいぞ」などと言って、僕を何とか外出させようとしたが、しばらくするとあきらめてどこかへ出かけて行った。
 昼前になると、ホラーじいさんのマグロを買いがてら軽い散歩をして、帰ってきて料理。今日も刺身だけを腹いっぱい食べるつもりだ。まったく、いつかマグロに呪い殺されるな、これじゃ。テラスで食べていたら、フランシスコが素裸で現われ、指をくわえながら、「このひと、なんでこんなに食べるんだろう。それに、なんで2本の棒を使っているんだろう」ってな顔をして、僕の顔と箸を交互に見つめる。
 フランシスコは、まだきちんと言葉がしゃべれない。なんとか発せられる言葉は、「イッシー!」と「ウッシー!」だけだった。マルティンに聞いたけど、ラパヌイ語でもないらしく、誰にもその意味はわからない。
 僕が箸を振って、「イッシー!」と言うと、フランシスコは大喜びで、「イッシー!」を連発した。その声を聞きつけて、長男の小マルティンがやってきた。

 小マルティンは、家族のなかで最もやせていた。あくまでも、この一家のなかでは、だけど。サッカーが大好きで、僕と会うと必ずワールドカップの話をしてきた。
「今日の夜、お父さんの知り合いの田舎の家に戻るんだ」
 マグロを食べている僕の正面に座った小マルティンはちょっと寂しそうだった。
「田舎、か。どこの」
「この島のさ。村から車で30分くらい行ったところ。夏休みの間、週末以外はずっとそっちにいるんだ」
「ここより田舎なの」
「もちろん。比べものにならないくらい」
 このハンガロア村よりも、さらに田舎。僕にはそのイメージが、どうしても湧いてこなかった。でも、その言葉を聞く限り、彼はこの村を田舎とは思ってないらしい。
 11歳の彼は、まだこの島を出たことがない。まるでヨーロッパの大都会のような本土の首都サンチアゴも、テレビのなかでしか見たことがないのだ。    

 僕は7年前に、インドのウダイプールという街で出会った、ひとりの少年を思い出していた。
 その少年は、小マルティンと同じくらいの年齢だった。やはり僕が泊まっていたホテルにいたのだが、小マルティンと違うのは、彼がそのホテルの従業員であったことだ。
 彼の名前は、たしか、イスマイル、だったと思う。値段が安いうえに、インドにしては珍しく清潔なホテルだった。
 広々とした庭でいつも本を読んでいるオーナーの老人は、かつてウダイプールを含むその地方を治めていたマハラジャ(王様)の弟という話だった。
 イスマイルは、そこでたったひとりの雑用係として働いていた。レセプションはもちろん、トイレや部屋の掃除から食料の買い出し、レストランの皿洗いまで、彼は一日中働いていた。日給1ドルももらっていないのに、何とかお金を貯めて、いつかアメリカで暮らしたいんだ、と僕によく自分の夢を語ってくれた。

 僕はそのピチョーラ湖に近い静かなホテルに1週間ほど滞在していた。ある日、イスマイルが2階の広間に置かれた卓球台の上で昼寝していた僕のところにやってきて、こう言った。
「ねえタク、もう湖は全部見たのかい」
「うん、死ぬほど歩いた。しばらくは、ここでのんびりするよ。この卓球台、気に入ってるしな」
「それならさ、僕の秘密の湖を教えてあげるから、行っておいでよ」
「秘密のって、なんだよそれ」
「ここからバスを乗り継いでいくと、山の向こうにスゴイ湖があるんだよ。世界で一番、大きいんだから」
「世界で一番……じゃあ、そこのピチョーラ湖よりもでかいってことか」
「もちろんさ。世界一なんだから。タクは僕の友達だから、特別に教えてあげるよ」

 僕は部屋からガイドブックを持ってきて、巻頭の地図を広げた。でも、ウダイプール付近にあるのは、ピチョーラ湖と3つの湖だけだ。少年は、そのどれでもない、と首を振る。
「地図には載っていないんだよ。まだ、誰も知らないんだから。僕も行ったことはないんだけど、お父さんがよくその湖の話をしてたんだ。僕は休みなんてないし、タク、代わりにそこへ行ってきてよ」
 どうせヒマな僕は、イスマイルの話にのってみることにした。
「よし、そこに行って、写真を撮ってきてあげるよ」
 イスマイルは汚れた紙切れをどこかから持ってきて、僕に行き方を教えてくれた。父親から聞いた話だから、彼もあやふやな記憶しかないはずなのに、一生懸命さまざまな地名を思い出して地図を書く。少なくとも、バスを3回乗り継ぎ、そこからさらにかなりの距離を歩くのは確かなようだった。
 翌日の朝早く、僕はその幻の湖を目指して出発した。イスマイルはもう起きていて、門のまわりを掃除していた。気をつけてね、と言って送り出してくれる。僕は自分よりもはるかに興奮している少年の顔を見て、彼のためにも絶対に見つけ出さなければ、と思った。
 長い一日だった。湖は、たしかに存在した。そこに辿り着いたとき、太陽はもう傾きかけていた。それは、小さな小さな湖だった。沼、と言ってもいいかもしれない。
 ほとりに並んでいる柳のような木の下で、僕は途中で買っていたパンを食べた。涼しい風が、水面を渡っていった。気持ちのよい場所だった。やはりな、という思いと、そこに湖らしきものがあってよかった、という思いが、頭の中で複雑にまじりあっていた。

 ホテルに帰ったのは、夜だった。フロントにいたイスマイルは、門が開く音がすると、飛び出してきた。
「どうだった、大きかったでしょ」
 彼は、湖があったか、とは聞かなかった。僕はもちろん、こう答えた。
「すごく大きかったよ、君のお父さんが言っていたとおり。それに、ピチョーラ湖なんかよりも、美しかったし。よかったよ、あんな素敵な湖を見ることができて。ありがとうな、教えてくれて」
 イスマイルは、ちょっと得意気な表情で「やっぱりね」と言った。そして、うれしそうにフロントへ戻り、ラジカセの修理を再開した。
 その夜、僕はインドのひどくまずいビールを飲みながら、イスマイルの人生を思った。学校にも行けず、ひたすら働くしかない11歳の少年。彼にとっては、この街が、このホテルが、その世界のすべてだ。
 それが、幸せなことなのか、不幸なことなのかは、わからない。さまざまな人生があるし、この街を通り過ぎていくだけの旅人には、何も言う資格はない。
 だから僕は、湖は大きかった、と言った。少年の心のなかに、世界で一番大きい湖がある。それでいいじゃないか、と思った。  

 その夜、小マルティンは、彼の“田舎”へと戻っていった。
 ねっとりとした熱帯夜だった。マルティン一家も眠れないらしく、薄い壁越しに、いつまでもフランシスコの「イッシー!」という叫び声が聞こえていた。