numero-3



胃袋全開、マグロざんまいのグルメな生活。そんなある日、マルティンがとんでもないことを教えてくれた。「もう、ウニだらけなんだ、ここの磯は」……ああ神様仏様マルティン様、あなたは知らないだろうけど、日本にはカイテンズシってのがあってね、そこでクルクルまわってるウニでさえ2ドルもするんだよ。食い倒れモードのスイッチ入りっぱなし。ヤバイぞ。モアイ像を見に行くのはいつになる?

「そういえば、エリソ食べたことあるか?」
 ある朝、いつものようにキッチンで朝食用の“目玉揚げ”を作っていると、マルティンがいきなりそう聞いてきた。
 エリソ。聞いたこともない単語だ。首を横に振ると、マルティンは、冷蔵庫に吊されたメモ帳に、何やら絵を描きはじめた。
 中心に円があり、そこから何本もの鋭いトゲが、あっちこっちにのびている……下手な絵だったけど、マルティンが円の部分を黒く塗りつぶす前に、僕はそれがウニだということに気がついた。
「ウニ、じゃないの?」
「ウニ……そうそう、ウニだよ、アミーゴ」
 マルティンはその日本語を思い出してうれしそうだった。彼は自分の記憶力にかなりの自信があるらしく、学校にもろくに行ってないけれど、英語とフランス語は普通に話せるし、日本語もそこそこ知っている、と誇らしげによく言っている。
 そんなとき、マルティンは、
「語学は、学校の勉強じゃない。ここさ」
 と言って、モンキーバナナのような太い指で、耳のあたりを差す。たしかに、この宿に泊まった旅行者と言葉を交わすだけでマスターしてしまうのだから、なかなかたいしたものなのかもしれない。
「この島にはビーチが1ヶ所しかないんだ。あとは全部、岩がゴロゴロしているような磯なんだけど、そこに何がいるかわかるか。ウニだよ、もう、ウニだらけなんだ、ここの磯は」
「ウニだらけ……」
 ああ神様仏様マルティン様。モンキーバナナのような指だなんて、もう思わないからね。マグロの次は、ウニか。それもとり放題、食べ放題。生きててよかった。これまでずっと寿司屋でウニを注文するのを躊躇してきてよかった。
 
 僕はさっさと朝食を食べ終わると、宿を飛び出した。太陽がギラギラ照らす道を、早足で歩いた。もちろん、一番近い磯を目指して。食べ物がからむと、途端にフットワークが軽くなる。
 ちょうど干潮らしく、港からモアイたちがいるタハイまでの海岸線のあちらこちらで、うまい具合に岩場が露出していた。
 試しにひとつの岩場へ降りてみると、たしかにある。いやいや、あるなんてもんじゃない。岩にウニが張り付いている、というよりは、ウニとウニの隙間に岩が見えている、というくらい、ある。
 僕はウエストバッグからナイフと醤油、チューブわさびを順番に取り出し、何かアヤシイ宗教の儀式のように、それらを岩の上に並べていった。
 ひとつの大きなウニと岩の間にナイフの刃先を差し込み、ベリッとはぎ取ってみる。
 無防備な、あまりに無警戒なウニは、ポロリと下の潮だまりに落ちた。容赦なく、海水の中で、第二次攻撃。ナイフを中心部に突き立ててから力を込めてひねると、ウニはあっけなくパカッとくす玉のように割れた。
 そのまま左右に何度か振ると、鮮やかなオレンジ色の身だけがユラユラと水面に浮かび上がってくる。すかさず手ですくい取り、岩の小さなくぼみにたらした醤油につけて、パクッ。
 ああシアワセ。何とも言えないトロッとした甘さ、海水の塩味がまた絶妙だ。「おいしゅうございます」なんて料理評論家のような独り言をつぶやいてしまってから、ちょっと孤独を感じる。ま、うまければ孤独でもOKだ。
 よし、次。さらに大きいのを見つけた。入り込んでいる岩の隙間で太ってしまい、自分では二度とそこから出られそうにないような肥満ウニだ。今、助け出してあげるからな。
 何度も隙間に手を突っ込み、ナイフではがそうとしたが、かなりしぶとい。
 仕方ない、最後の手段だ。ウニを岩から離すことをあきらめ、そこで潰してしまうことにしよう。ちょっと残酷だけど、離れないコイツが悪い。どっちにしろ、食べられる運命なんだし。ナイフで何度も刺すと中身が少しずつ出てくるが、タイミング悪く波が押し寄せると、どこかへ消えてしまう。
 逃してなるものか。僕は岩に這いつくばり、波の動きをチェックしつつ、海中で両手を必死に動かしてウニの身を集めまくった。そのまま休む間もなく10個は食べただろうか。誰にも見られたくない姿だな、と思っていたら、「よおアミーゴ!」という声。その情けない体勢のまま振り返ると、釣竿を持った見知らぬおじさんが微笑んで立っていた。
「エリソ食べてるのか?」
「うん、最高にうまいよ」
「そうか。俺たちは子供のことから飽きるほど食べてるから、大人になると誰もとらないよ」
「日本じゃエリソは高いんだぜ」
「知ってる、知ってる。1ヶ月くらい前、ここでお前のようにエリソを食べている日本人の女の子がいてな。やっぱり、そんなことを言ってたよ。でもさ、最初に見たときはビックリしたぜ。口のまわりが血だらけなんだよ、エリソのトゲで。それでもエリソを割っては、かぶりついているんだ、かわいい顔した女の子がさ」
 そう言って、おじさんはガハハと笑った。その女の子の気持ちがよくわかる。これだけのウニの大群を目にして、理性を保つことができる日本人は少ないだろう。まあ、血だらけになってまで食べるのは、どうかと思うけど。
「また会おうぜ、アミーゴ。俺はいつもこのあたりで釣りをしてるからな」
 ガハハおじさんはヒョイヒョイと岩の上を跳ねながら去って行った。結局、昼までに、さらに7個のウニを堪能した。今夜は夢の中でウニたちに串刺しにされるかもしれない。

 宿に帰ると、マルティン一家がリビングに勢揃いしてテレビのワールドカップ予選を観戦していた。チリ対ペルーだ。
 セバスチャン・ローゼンタールという何やらスゴイ名前の金髪プレーヤーがチリのエースなのだが、名前だけじゃなく、ルックスも少女漫画に出てくる王子様みたいでカッコイイ。おまけにチリのサッカー選手で初めてイングランドのプレミア・リーグに入り、その契約金がなんと400万ドルとか。
 そんなわけで、このセバスチャン、チリでは女の子たちに絶大な人気を誇っている。セバスチャンが微笑んだりすると、その場にいる女の子たちの少なくとも5人が失神して倒れ、10人が感激のあまり泣き出す、という話があるくらいだ。実際、僕も旅の途中で、何度かそんな場面をテレビで見かけた。
 それだけの二枚目スターだから、チリの男たちにはホモ以外まるで人気がない。代表チームのゲームは、勝つと他のプレーヤーばかりが誉められ、負けると必ずセバスチャンのせいにされる。
 この日もそうだった。スコアは2対0でペルーが優勢。マルティンは画面を食い入るように見ながら、セバスチャンを交代させろ、と何度も呪文のようにつぶやいていた。
 後半44分、チリがようやく1点を返したが、遅すぎた。試合終了のホイッスルが鳴り響くと、マルティン一家は大騒ぎ。口々に「ひどいゲームだ!」とか「すべてはセバスチャンのせいだ!」とか叫び、フランシスコまでが「イッシー!」を連発していた。
 その夜、マルティンはかなり不機嫌だった。僕がトイレットペーパーをもらいに行くと、彼は黙ったまま、それを投げてよこした。
「まったく、あんなに大事なゲームを落とすなんて、信じられないよ、あのセバスチャンのクソ野郎は」
「セバスチャンひとりのせいでもないと思うけどな」
「いや、あいつだ。チリがワールドカップに行けなくても、セバスチャンはイングランドで食ってけるから、どうでもいいんだよ」
「そういえば、この島の人たちは、やっぱりみんなチリを応援してるの?」
「そりゃ、してるさ。4年に1回、ワールドカップのときだけだけだからな、俺たちがチリの国民になるのは」
「どうして?」
「だって、ここはポリネシアだぜ。確かにサンチャゴの連中は、この島がチリの一部だって言うだろうけど、ここじゃ誰もそんなふうには思っちゃいないよ。見てみろよ、サンチャゴから来た観光客が、この土地のやつらとうまくやってると思うか?」
「それって、ずっとそうなのかな、これまでも、この先も」
「そうだろうな。いつかチリがワールドカップで優勝したら、ちょっとは変わるかもしれないけど。まあセバスチャンがいるかぎり、そんな日はこないさ。いくら待ってもな」
 やれやれ、またセバスチャンの話か。一度も女の子を失神させたことのない男のネタミって奥深いんだろうな。ま、オレにもそんな経験はないんだけどさ。

 隣の部屋に滞在しているバルセロナから来たおばさんが、部屋の外にあるテラスで他の客とワインを飲みながらしゃべっていた。
 バルセは治安が悪くて、とか、オリンピック景気が数年しかもたなかった、とかいうたわいもない内容の話だった。
 僕はベッドに寝そべって、リビングの棚から持ってきた山田詠美の小説を読んでいた。日本にいるときは、自分が興味を持った作家の本しか読まないものだが、「それしか読むものがない」という状況の旅先では、意外な本に出会うことができる。この本もそうだった。
  僕はそのSM嬢を主人公にした風変わりな話に引き込まれていった。SMが登場する小説をちゃんと読むのもはじめてだったし、イースター島でそれを読んでいるというのも、不思議な気分だった。あまりに面白くて、あっという間に読み終わった。時計の針は、午前2時を指していた。
 テラスから、すっかり酔っ払ったバルセロナおばさんの声が聞こえてきた。
「グラン・カナリア島ではバスのことをグアグアっていうの。グアグア、よ。なんか、恐竜の鳴き声みたいでおかしいでしょ」
 グアグア、という言葉をずいぶん久しぶりに耳にした。
おばさん、僕は去年の今ごろ、その島で毎日グアグアに乗っていたんだよ。いきなり窓から首を出して、そう言ったら、きっとビックリするだろうな。「世界は狭い」って、スペイン語ではどんなふうに言うんだろうか。