numero-4



バルセロナおばさんが「恐竜の鳴き声みたい」と言ったグアグアのことを思い出す、やたら蒸し暑いポリネシアンな夜。旅の記憶が記憶を呼び、もう眠れない。珍しくワインを飲まなかったせいか?それともこれはウニの呪いか?


 バルセロナおばさんが言うように、グアグアとは、アフリカのモロッコ沖に浮かぶスペイン領カナリア諸島のひとつ、グラン・カナリア島を走るバスのことだ。島民はみんなスペイン語を話すが、原住民グアンチェの使っていた言語がいくらか残っていて、グアグアという単語もそのひとつらしい。洞窟暮らしをしていたグアンチェたちの生活に、なぜバスという文明的な単語が存在したのか。キューバでもバスをグアグアと呼ぶが、何か関連はあるのだろうか。ま、そのあたりの細かいことは「世界ふしぎ発見」にでもまかせておこう。
 この島におけるグアグアの普及度には、ちょっとコワイものがある。バスの横にグアグアという文字がデカデカと書かれているのはもちろん、例えば誰かに「旧市街に行くバスはどれですか?」なんて聞くと、3人に2人が「ああ、そのグアグアはね……」とわざわざ言い換えながら答える。僕のスペイン語学校の先生は、テキストにアウトブス(バス)という単語が出てきたとき、「ここでは、グアグアと言わなければ、バスは停まってくれません」と言った。
 こんな感じだから、街を歩けば、いたるところでグアグア言ってる。
「グアグアで南のビーチへ行ってきたの」
「私は買い物してきたわ、グアグアで」
「週末にグアグアがストになるかもしれ…」
「え、グアグアが?」
「グアグアのドライバーたちが……」
「そしたら会社に行くグアグアは……」
 バルセロナおばさんは恐竜の鳴き声のようだと言っていたけど、バス・ターミナルに行ったりすると、ガマガエルの大群が一斉に鳴いているようにグアグアという声が聞こえてくる。きっと、恐竜の方がマシだ。

 冬のヨーロッパには泳げるくらい温暖な場所がほかにないため、11月に入ったあたりから、ドイツやスイス、イギリスの金持ちたちが渡り鳥のように集まり、中心部のラス・パルマス市は賑わいはじめる。
 島は5、6時間あればレンタカーで一周できてしまうようなサイズだが、観光パンフレットの「大陸のミニチュア」というキャッチ・コピーどおり、砂漠があり、火山があり、グランドキャニオンがあり、川や滝、湖まである。そして、どこまでも続く美しい白砂のビーチ。
 これほどのリゾート地にも関わらず、ツアーが出ていないせいか、訪れる日本人ツーリストは少ない。そもそも、スペインの旅行ガイドブックには、カナリア諸島のページすらない。パリやロンドン、フランクフルトから飛行機で3、4時間、マドリードやバルセロナからならわずか2時間でアクセスできてしまうのに、もったいない話だ。
 でも、ラス・パルマス市には、たくさんの日本人が住んでいる。日本総領事館や日本人学校が置かれ、街の中には寿司レストランも何軒かある。ツーリストはほとんどゼロなのに、どうして暮らしている人はいるのか。
 何だかナゾナゾみたいだけど、カナリア諸島周辺の海域は世界でも有数の漁場で、そこでとれる魚介類を買い付けるために水産会社の社員や商社マンたちが常駐している、というわけ。なにしろ、日本に輸入されるタコやイカの8、9割はカナリア産のものらしい。僕は帰国したらタコ焼きを食べるたびにカナリアのことを思い出すのかもしれない。

 街には高級ホテルがあふれていたが、バックパッカー向けの安宿は少なかった。僕の泊まっていたところも、売春宿といった方がいいような代物で、そこに滞在しているのは売春婦ばかりだった。
 ちなみに売春婦はスペイン語で「プータ」。スペインにいると、「イホ・デ・プータ!(売春婦の息子)」というセリフを聞かない日はない。使い方はいたって簡単。英語の「サノバビッチ!」と同じく、思いっきり吐き捨てるように言うのがコツだ。もちろん、ケンカの強そうな相手に言わないのもコツ。これに比べれば、日本の「お前の母ちゃんデベソ!」なんて、かわいいものかもしれない。
 この種の言葉で、もっと短いやつでは、「ミエルダ!」というのもある。クソ、丁寧に言えばクソ野郎という意味なのだけど、これもほとんどすべてのスペイン人が1日に3回以上使っているんじゃないだろうか。
 スペインには放送禁止用語というものがないのか、ラジオのサッカー中継で、地元チームのエースストライカーが決定的なシュート・チャンスを逃したときに、興奮した解説者はこれを連発していた。浮気をした夫を妻が「ミエルダ!」と叫びながら殴りまくる激しいテレビドラマもあったっけ。
 ミエルダ慣れしていない僕は、スペインのかわいい女の子に面と向かって言われたら、けっこうショックだろうな、なんて思いながらそのドラマを観ていた。だって、クソなんだからクソ。

 この売春宿では、どう見ても中学生のような少女から、誰が相手をしてくれるのか想像もつかないようなスタイルのおばさんまで、実にさまざまな女たちが自分の部屋で商売をしていた。
 壁が薄く、プライバシーなんて言葉から最も遠いところにあるようなホテルなので、午後になると、あちこちからさまざまな声が聞こえてくる。スペイン語のあえぎ声を興味半分で聞いていたのも、最初の日だけだった。エロビデオだって、何本も続けて観てれば飽きてくる。
 アァ、ウゥ、オォ、といった母音系ノイズの洪水にうんざりした僕は、2日目から、朝早くホテルを出て、街を歩きまわりながらアパートを探すことにした。

 ホテルにいる間、言葉を交わした売春婦はひとりだけだった。アフリカ出身の彼女は、いつもレセプションにあるソファで客からの電話を待っていた。
「お帰り。今日はどこへ行ってたの?」
 レセプションに部屋のキーをもらいに行くと、彼女はよくそう声をかけてきた。
「えーと、カテドラル行ってからレストランでランチして、ビーチの方へ……」
 たどたどしいスペイン語で、その日訪れたいくつかの場所の名前をあげると、彼女はチャーミングな笑顔を見せながらウンウンと頷いてくれた。僕は「またね」と言って、キーを手に部屋へ向かう。ただそれだけのことが、何となくうれしかった。
 夜、ベッドに入ると、暗闇の向こうから女たちのひときわ激しいあえぎ声が聞こえてくる。そのどれかが彼女の声なのだろうけど、わかるはずもない。
 どうして彼女はアフリカからこの島へやってきたのだろう、もうどのくらいあの仕事をしているのだろう、なんてぼんやり考えているうちに眠りに落ちていく。そんな7日間だった。
 ビーチ沿いには白亜の建物がいくつも並んでいたが、そのほとんどは僕に縁のないゴージャスなアパートだった。日本のような不動産屋がないので、ひたすら歩いてチェックし、気に入った物件を見つけたら、直接管理人と交渉するしかない。
 ようやく見つけたアパートは1LDK、家賃5万円という物件だった。ビーチまで20歩というロケーション。部屋は海ではなく路地に面していたが、窓から顔を出して背中の筋がつるくらい背伸びすれば、水平線がかすかに見えた。大きなバスタブとダブルベッドがあり、キッチンにはフライパンからワイン抜きに至るまですべてが揃っていた。
 いざ暮らしてみると、かなり古いアパートなので、部屋にはやたらとゴキブリが多かった。赤ワインのグラスに飛び込んだのに気がつかず、飲んでしまいそうになったり、残り少ない牛乳パックを逆さにした途端、ポトリと小さなゴキブリが落ちたり。でも、そんなことはあまり気にならなかった。何よりも、あのやかましい売春宿を出ることができたのがうれしかった。
 僕はこのアパートで4ヶ月間暮らし、スペイン語をマスターするために、小さな学校へ通った。午前中は授業を受け、宿題を終えてから午後はビーチで泳ぎ、夜は飲みに行ったり、映画を見たりした。ずっとひとり旅をしていたせいか、クラスメートたちとワイワイ遊ぶことが、とても新鮮だった。
 アパート暮らしに慣れてきたころ、ホテルにいたアフリカの彼女と街ですれ違ったことがある。話しかけようとすると、彼女は久しぶりね、というような笑顔を見せたが、立ち止まらずに去って行った。それっきり、2度と会うことはなかった。この島ではじめて僕に話しかけてくれた人の後ろ姿は、どこか寂しげだった。

 スペイン語学校のクラスの担任は、パコという太ったキューバ人のおじさんだった。ラテン系の肥満体というのは、ハンパなスケールじゃない。巨大な身体を折り曲げてルノーのトゥインゴという小さな車を運転するパコの姿は、箱からの脱出を試みようとしているマジシャンのようだった。
「今世紀のはじめに、カナリアからたくさんの人がキューバやベネズエラに移住したんだけど、どういうわけか、うちのファミリーはキューバからこっちにやってきちゃったんだよ。キューバという小さな島を逃げ出して、もっと小さい島へ来るなんて、ヘンな話だろ。僕には理解できない」
 彼は生まれてまもなくカナリアへ連れて来られたので、母国の記憶がない。子供のころにずいぶんいじめられたのか、「この島の奴らはキューバ人がキライなんだ」というのが口癖だった。友達なんていらない、ひとりでいる方がマシだ、と心を閉ざし、誰とも深い付き合いをしないから、同僚の教師たちともうまくいっていなかった。
 僕はレギュラー・クラスのほかに、週に何日か彼の個人レッスンを受けていた。普段はグラマーばかりやっていたので、このレッスンでは日常会話だけを学ぶことにした。つまり、2時間に渡って雑談ばかりするわけだ。サッカーやF1、食べ物などのたわいもない話をしているうちに、自分の語学力が少しずつではあるが、アップしていくのがわかった。
 彼はそれまでに会ったどんな人間よりもキレイ好きだった。午前中の授業を終えると、わざわざシャワーを浴びるために車で30分のところにある家へ戻る。毎日欠かさず、だ。それでランチを食べそこねることもあるというから、冬なら3日間風呂に入らなくても何ともない僕には、それが何かの修行のように思えた。
 ある時、個人レッスンでその話を持ち出してみると、彼は眉間にシワを寄せながらこう言った。
「何時間も同じ服を着ているなんて、信じられないよ。時間さえあれば、1日に5回くらいシャワーを浴びて、そのたびに服を替えたいくらいなんだ」
 太っているから、人一倍汗が出るのだろうが、それにしてもトゥー・マッチな気がする。
「神経質というよりは、マニアティコ(偏執狂)だな」
 と覚えたての単語を言ってみたら、パコは「そうそう、それだよ、まさに。ついでにもうひとつ、マニアティコなことを教えてやるあげようか」
 と、うれしそうに説明をはじめた。
「僕はシャワーを浴びたあと、腕時計や靴まで全部替えるんだ。それだけじゃない。いつも同じ色のアイテムを身につけるようにしているんだよ。ほら、この腕時計のベルトと靴が同じグレーだろ。朝の授業のときは黄色いタイと靴下だった」
「はあ。何のために?」
「同じ色のものをつけていると、幸運を呼ぶんだよ」
「それはキリストの教え?」
「いや、僕が考えた。もう20年くらい、こうしてるんだ」
 ワインの樫樽くらい太った男が、女子高生のようにそんなことを気にしているのがおかしかったが、パコの目はマジだった。

 2月になると、グラン・カナリア島はカルナバルの季節を迎える。カルナバルと言えばブラジルのリオが有名だけど、アパートの管理人ペペに言わせれば、「ブラジルは前座、こっちが本番」なのだそうだ。たしかにリオが終わってからグラン・カナリアのカルナバルがはじまるのだから、まあ間違いではない。
「それならさ、この島の後に隣りのテネリフェ島でもカルナバルがはじめるんだから、そっちが本番なんじゃない?」
なんていじわるなことを言ってみても、
「テネリフェ?ありゃダメだ」
という一言で、あっさりチャラにされてしまう。やっぱり60年近くスペイン人をやっているだけのことはある。
 街は1ヶ月に渡って仮装した人たちであふれ、港の広場では毎晩のように大音量のコンサートが明け方まで繰り広げられた。僕のアパートの1階にあるバルでもサンバのビートが途切れることはなく、建物全体が朝まで揺れ続けた。こうなると、眠ることはあきらめて、ビールを飲みながら踊りの輪に加わるしかない。
 長く熱狂的なカルナバルが終わり、睡眠不足がようやく解消されたころ、僕は島を去ることを決めた。旅は、いつかは振り出しに戻らなければならないスゴロクだ。振り出しがゴールでもある。このメビウスの輪のようなスゴロクを楽しむには、振り出しに戻る日がやってくるまで賽を振り続け、前へ進むしかない。のんびりとしたリゾート・ライフは快適だったが、いつまでも同じところにじっとしていると、賽の振り方さえ忘れてしまいそうだった。

 最後の授業が終わると、パコは少し悲しそうな顔をしながら自分のアドレスを書いたメモを僕に渡し、握手をした。それがいつもの表面的なコミュニケーションなのか、そうでないのか、僕にはわからなかった。 「旅先から絵ハガキを送ってくれるとうれしいな。またこの島へ来ることがあったら、今度は友人として迎えるよ」
 そして、こうつけ加えた。
「今日のマニアティコなこだわりは、いくら見てもわかんないだろう。このグリーンのシャツ、ブリーフと同じ色なんだ」
 僕は、グリーンのブリーフとシャツを着て、鏡の前で満足気な表情を浮かべているパコの姿を想像し、思いきり吹き出してしまった。
「何がおかしい?」
「いやいや、さすがパコ、って思っただけさ。でも、ブリーフは見せないでくれよ」
 パコがいつか心を開き、キューバ人であることを乗り越えて、この島で親友と巡り会うことができたらいいな、と思った。20年間も幸運を祈り続けている男に、神様はきっと何か素敵なプレゼントを用意しているはずだ。


 バルセロナおばさんたちは、まだテラスに残っていた。50歳くらいに見えたけど、すごいパワーだな。グアグアという言葉を聞いたときに話しかけなくてよかった、と思う。あの調子だと、朝までおしゃべりの相手をするハメになりそうだ。
 最近あまり身体を動かしていないせいか、ワインを飲まなかったせいか、なかなか眠れない。明日は、少し遠出をしてみよう。ヤモリが張りついた網戸の向こうから、「もう1本飲みましょうよ!」という甲高い声が聞こえた。おばさん、あんたの声の方が、よっぽど恐竜みたいだよ。