numero-5



島へ来て5日目、ついに僕は村を出て、観光名所ラノ・カオ山へと向かった。久しぶりに再会したジョンは、ジャンキーになっていた。島には「1000人の日本人が船でやってくるらしい」というウワサが流れていた。何かが動き出しているのか?平和なマグロの日々は終わったのかぁぁぁ!なんて一瞬ひとりで盛り上がったけど、結局、晩飯のメニューは鉄火丼だった。

 この季節のイースター島は、チリ本土とは比べものにならないほど暑く、昼過ぎになると日差しがガンガンに照りつけるので、ハンガロア村を歩く人影も少ない。今日はうす曇りで、珍しく乾いた涼しい風が吹いている。僕は運動がてら島の西側にあるラノ・カオ山に登ることにした。
 ラノ・カオ山はいわゆる観光名所のひとつで、僕は滞在5日目にして、ようやくツーリストらしいことをやるわけだ。マルティンとアニータにそう告げると、ふたりともやたらうれしそうだった。
 きっと、僕がいない間に、どこか壊れたり汚れたりしたところがないか、部屋のチェックをするんだろう。デブに潔癖症が多いという説を聞いたことがあるけど、そういうDNAって、太平洋の小島にまで散らばっているんだろうか。
 ラノ・カオ山は、隣りの部屋にいるアメリカ人が「あそこには神がいるんだ。絶対に行けよ」と、やたら熱心にすすめてくれたところだ。「それで、君は神を見たのか」と聞いたら、「いや、ガイドブックにそう書いてあった」と言っていた。何だよ、そりゃ。
 雨あがりのせいか、村を歩くと、木々の緑がひときわ濃く感じる。ホラーじいさんが、デカイ出刃包丁を振りながら、「今日はマグロいらんのかね」と声をかけてきた。
 どうやら珍しく売れ残っているらしい。マグロは宿のフリーザーにまだ残っているけど、値切って買うチャンスかも。いやいや、今日は山へ行くんだ、そんなことをしてちゃいけない。マグロを買ったら、ワインが飲みたくなる。ワインを飲んだら眠くなる。やめよう、やめよう。
 珍しくストイックな自分にちょっとしびれながら、僕はホラーじいさんに手を振った。

 ふだんの僕はどちらかというと、泳ぐこと以外には運動という行為にあまり魅力を感じないタイプだ。日本にいるときは、ライターという仕事柄、取材の対象がその街に散らばっていれば、何日もかけて歩きまわるし、山の上にあれば、もちろんそこまで登っていかなければならない。でも、そんなのは月に何日かのことで、あとは典型的なデスクワークだ。
 ひどいときは1週間くらい、家から一歩も出ないこともある。そんなときは、「あの人、内職して暮らしてるのよ、きっと」「オウムの残党じゃないの」なんて近所の人がウワサしていても不思議じゃないくらい、地道にひたすらキーボードを叩きまくって原稿を書く。
 でも、「だからこそ」なのか「それなのに」なのかわからないけど、ときどき発作的に、激しい運動をしたくなる。身体にムチ打って何かを成し遂げた時の充実感が欲しくなる。
 その思いが、ボーリング程度の運動で満たされればいいのだけど、いきなり論理がスッコーンと飛躍して、「やるからにはデッカイこと」となってしまう。今回の旅でも、そんなことが何度かあった。

 一発目は、スペイン自転車横断。それ以前にチャリで遠乗りしたのは、中学生のころにまでさかのぼる。神奈川の大磯から茨城の利根川まで行ったのだが、それから数年後、都内でタクシーと接触事故を起こして以来、チャリにはまったく乗っていなかった。
 つまり、チャリダーでも何でもないわけだが、ある日突然、都内のドトールでコーヒーを飲んでいるときに「そうだ、ヨーロッパをチャリで走ろう!」という、ワケのわからない熱い思いが沸き上がってきた。
 キッカケは単純なことだ。ドトールの窓の外に、派手なサイクルウェアに身をつつんだ外国人が、南欧っぽいのどかな田園風景のなかをマウンテンバイクで走っている大きな広告看板があった。その写真を見た瞬間、そのころ長い旅をヨーロッパからはじめようと思っていた僕は、男の姿に自分を重ねていた。
 寝袋やテントやミネラルウォーターのボトルをチャリにくくりつけ、ひたすら地平線を目指して疾走する……いいじゃないか。

 どこのスイッチが入ってしまったのかはわからないが、アドレナリンが体中を駆け回り、頭の中ではナゼか受験生のようなハチマキをした自分が、「ファイト!」と書かれた大きな旗を振っていた。そんなことは滅多にないので、しばらくそのまま待ってみたけど、残念ながらかわいいチアガールまでは現れなかった。
 このプランを友達に話すと、どんなルートで行くのか、とすかさず尋ねてきた。そう、それが普通の感覚だ。僕はまだ地図も見ていなかったが、何となくパリからスタートするのがカッコイイ気がしていたので、「パリから南下して、ピレネー山脈にぶち当たったら左折、地中海に出たら右折、かな」と言った。
 そのときの彼の眼差しには、冒険家への畏敬の念というよりは、壊れかかった人間に対する思いやりのようなものが感じられた。彼はため息をつきながら、「標識がちゃんとあるといいな」と言った。

 結局、野宿するにはフランスがまだ寒い時期だったので、パリをスタートするのはあきらめ、バルセロナからカディスまで、温暖なスペインの地中海沿いを3週間かけて横断した。チャリを押しながらピレネー山脈を登り、尻の皮が何度も剥がれ、通り過ぎるトラックの風圧に吹っ飛ばされそうになりながら高速道路を走った。
 足の感覚がなくなるまでペダルを漕ぎ、疲れ果てた身体で安宿に転がり込む。薄っぺらいベッドの上で地図を眺めながら翌日のルートを考え、ワインのボトルを空けても、窓の外にはまだ強烈な日差しが残っていた。一日がやたら長く感じたけど、ドトールからはじまったプランとは思えないほど、ハードボイルドな楽しい日々だった。
 これですっかり自分が体育会系だと錯覚したわけではないが、イースター島へ来る2ヶ月前にはギアナ高地の最高峰、標高2800メートルのロライマ山で4泊5日のトレッキングをしてきた。

 高校生のころに垂直に近い岸壁がそびえるロライマの写真を見たことがあり、あんなのは、ほとんどロッククライミングの世界だと思い込んでいた。
 しかし、中米で会った旅人から、「テーブルマウンテンのトレッキングって、タフらしいっすよ」と聞いたとき、スペイン以来消えかかっていたアドレナリンが、「タフ」という言葉に反応してしまった。
 何だ、あれってロック・クライマーじゃなくても登れるんじゃん。そう思ったが最後、3日後にはベネズエラの首都カラカス行きのチケットを買っていた。そこからロライマ山まで、どうやって行くのかも知らないまま。

 結局、ボリーバルという街でトレッキングツアーを申し込み、Tシャツにジーンズ、バックパックといういつも通りのラフな格好でロライマに挑んだ。
 同行のドイツ人たちはみんな山登りのベテランらしく、服装も道具も脚力も違う。僕はメジャーのゲームにナゼか紛れ込んでしまったリトルリーグの少年のようだった。
 おまけに頂上で小川を飛び越えたときに靭帯を傷めてしまい、ドイツ人に借りた登山用スティック2本を松葉杖のようにつき、片足を引きずりながら山を降りるハメになった。
 急斜面でコケて、何度も転がり落ちているうちに掌も肘も擦りむき、自分の軽いノリを後悔したこともあった。それでも、みんなより数時間遅れてゴールし、振り返ってロライマ山を見たときには、つらい思いはすべて消え去り、ジーンと涙があふれてきた。
 そのときに味わった充実感が、チャリ旅のときよりも大きかっただけに、自分はいつか、さらに大きな感動を求めてしまうかもしれないな、と思った。これはドラッグのようなもので、僕はいつの間にかジャンキーになっていた。

 1ヶ月後、ペルーに入った僕は、日本人宿で刺激的な旅情報ノートを見つけた。そこにはベレンというブラジルの街から舟を乗り継いでペルーのイキートスまでアマゾン川を上るルートのことが説明されていた。早くて3週間、長くて6週間かかるらしい。
 今度は、襲いかかってくるピラニアを反政府ゲリラたちと一緒にちぎっては投げている自分の姿が思い浮かんだ。ハチマキはしていなかったが、例によってよくわからんイメージだ。
 そんなこともあろうかと、アメリカで黄熱病の予防注射は打ってきた。マラリアの薬も売るほど持っている。船のスケジュールは不定期らしいが、何とかなるだろう。ノートに「イカダでアマゾン川を旅した人もいます」と書かれているじゃないか。
 広大なブラジルを北へと縦断し、アマゾンを上ってペルーへ辿り着く。それはこの旅の理想的なフィナーレに思えた。ノートの情報をすべて書き写すと、僕はイキートスからリマへの航空チケットを買いに走った。

 そのチケットは今、宿の机の上に置いてある。イースター島を出たら、アルゼンチンや南極を巡って、ブラジルに入るつもりだ。昨日、マルティンにそのプランのことを話したら、彼は「クレイジーだ」と顔をしかめた。
「ブラジル人なんて、めちゃくちゃアバウトな民族なんだ。船がなかったらどうする。イカダの作り方なんて知ってるのか?」
「いや、知らない」
 マルティンはスペイン語のノコギリという単語を教えてくれ、
「これだけは、忘れない方がいいぞ」
と妙に神妙な顔で言った。ブラジルはポルトガル語なのだが、とりあえずメモっておくことにした。

 村を出てラノ・カオ山へ向かう途中、パイナップル畑の柵によりかかるようにうずくまっている男に声をかけられた。その姿が見えたときから酔っ払ったパッカーだと思い込んでいたので、「ヘイ、タク!」と呼ばれたときにはビックリした。
 それは、島へ来る飛行機で一緒にビールを飲んで騒いだジョンだった。
「あそこの海でキャンプをしてるんだよ」
 と、ジョンはパイナップルの向こうを指さした。まだ昼間だというのに、かなりラリっているようだった。不精ひげとクシャクシャの髪のせいか、ずいぶんイメージが変わっている。ジョン、お前は英国紳士だったよな、たしか。

「どのくらいいるつもりなんだ?」
「そうだな、できるだけいたいな」
「あれ、お金がないとか言ってなかったっけ?」
「うん。でも、予定を変えたんだ。タヒチもオーストラリアも長くはいないことにした。この島は最高だよ。安くていいハッパばっかりだ。タクも吸ってるか?」
 どうやら、ジョンはわずか数日間ですっかり島のハッパにはまってしまったらしい。身体をこわすことはないだろうけど、ちょっと心配だ。
「モアイは全部見たのか、ジョン」
「そんなもん、見てるヒマがないよ」
 おいおい、たしか幼いころにテレビで見てからモアイに憧れてたんじゃなかったっけ。
 ま、ほかのツーリストのように2、3日滞在してモアイ巡りに走り回るよりは、ハッパを吸いながら、のんびりと島暮らしを楽しむ方が、ある意味ではマトモといえばマトモなのかもしれない。
 彼は僕に山頂への近道を教えてくれると、「また会おうぜ」と言い残して、テントのある方へ去って行った。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのナンバーを陽気に口ずさみながら。

 ジョンがすすめてくれた坂道は、かなり急でキツかった。毎日マグロやウニを食べてワインを飲んでばかりいたツケだろうか。あいつ、ジャンキーなのによく登ったな、こんな道。
 途中で何度も休みながら、何とかトイレに行こうとする寝たきり老人のようにヨロヨロと進み、結局2時間かけて頂上へ辿り着いた。これってホントにショート・カットだったんだろうか。スペインを走ったのは、ロライマに登ったのは、ホントにオレだったんだろうか。

 ラノ・カオ山の頂上部分はオロンゴと呼ばれ、トトラ葦の生い茂るクレーターが、空に向かって大きく口を開けていた。内部に湖があり、ここにたまる雨水が村人の飲料水になっているとマルティンは言っていた。
 かつてオロンゴでは、年に1度、村の男たちの激しい闘いが繰り広げられた。切り立った岸壁から海へ飛び込み、沖合いにあるモツ・ニュイという小さな島から誰よりも早くグンカン鳥の卵を取ってきた勇者は、その後“鳥人”として1年間に渡って村民に崇拝されたそうだ。
 その名残りなのか、崖の上の岩に、人間の身体に鳥の頭がついた鳥人の姿が彫られている。見ようによっては、けっこうグロなルックスだ。「猿の惑星」あたりといい勝負かもしれない。
 この鳥人たちが、どんなふうに崇拝されていたのかはわからないが、何年か連続して鳥人になった男なんて、きっとモテモテだったんだろう。「今年も鳥人なんて、超ステキよねえ」「キャーッ、鳥人さまと目があっちゃったわ、どうしよう!」なんて。でも、顔は鳥なんだよな、鳥。

 晴れた日には青空を映して、湖の水面がミステリアスに輝く、と観光パンフレットには書かれていたが、今日は曇り空。どうせしばらくいるのだから、また来ればいいやと思い、しばらく周辺を散歩してから山を下る。
 同じ道を通るのもつまらないので、帰りはノーマルな登山道を歩くことにした。途中でジムニーを運転する村人が、乗っていかないか、と声をかけてくる。歩きたいからと断っても去ろうとしないので、仕方なく空港の近くまで送ってもらった。好むと好まざるとに関わらず、この島はヒッチハイク天国のようだ。
 それにしても、どうしてこの島を走っている車はジムニーとエスクードばかりなのだろう。どこかにスズキの秘密工場があるような気がしてならない。

 フィルムを取りに一度宿へ戻ると、マルティンが興奮した様子でドスドスと巨体を揺らしてやってきた。震度3、いや4はあるな。
「知ってるか?金曜日にスゴイ数の日本人が島にやってくるんだってさ」
「どこから?」
「船だよ。ウワサによると1000人くらい乗ってるらしいぞ」
 マルティンは、すっかり金儲けモードに入ってるらしく、レンタカーを借り、その日本人たちを案内して金を稼ぐつもりらしい。リビングではアニータがあっちこっちに「余ってる車ない?」と電話していた。
 外から「おーい、ハポネス(日本人)!」という声が聞こえたので庭へ出てみると、見知らぬ若いカップルが立っていた。よく考えると、ハポネスと呼ばれてノコノコ顔を出すというのも変な話だが、つい反応してしまった。

「金曜日、ヒマか?」
 さっきの話かと思いつつ、とぼけて知らないフリをすると、やはり「ガイドやんないか、ガイド」と言ってきた。何でオレが、日本人観光客のガイドをやらなきゃいけないんだよ。
「僕はただのツーリストだから」
「じゃあ、島内ツアーの勧誘だけでもポルファボール」
 もちろん、イヤだとはっきり言う。すると、マルティンが再びドスドスとやってきて、
「タクはうちの客だ!勝手にヘンなことに誘うのはやめてくれ」
 おっ、珍しい。やるじゃんマルティン、なんて思っていたら、2人が帰るなり、
「なあ、一緒にガイドやらないか?ちゃんと儲けはシェアするからさ。ワタシ、マルティン、ヤクソク!」
 と言ってきた。何だ、その日本語。だいたい、日本人1000人なんてウワサ、どっから聞いてきたんだよ。そんなこと、あるわけないだろ。

 しつこく食い下がるマルティンを振り切り、タハイへ遊びに行った。モアイの足元にある海水浴場で泳ぐつもりで、水着をつけていったのだが、磯にムリヤリ作られた小石だらけの浅い海水浴場を見ていたら、そんな気分は消えてしまった。小石が足の裏のツボを刺激してくれそうだけど、これ以上健康になりたくもない。
 醤油は部屋に置いてきてしまったが、ウニを探してオヤツ代わりに食べることにした。トロトロしたオレンジ色の身を頬張りつつ、磯の向こうに並んだ2体のモアイを眺める。
 毎日のようにここへ来ているうちに、モアイは横から見るに限る、と思うようになった。重そうな頭を必死に支えているような、曲線を描いた背中のラインが何とも美しい。昔はすべてのモアイの頭に巨大な石の帽子が載っていたそうだから、きっともっと猫背だったのかもしれない。

 ウニを腹一杯食べて、せっかくちょっとした幸福感に包まれていたのに、男たちが入れ替わり立ち替わりやってきて、
「オレのハッパは島のじゃなくて、コロンビア産のホンモノだぜ」
「誰よりも安くて、一番ハイになれるブツがあるんだ」
 なんて声をかけてくる。
 やたらとこの手の売人に縁があるのは、長髪のせいなのか、それともいつもヒマそうにしているからなのか。
 左手にウニ、右手に殻を割る石を持った新種のラッコのようなポーズのまま、僕は首を振って「ノー」と言う。売人はウニと石をチラッと見てから「それじゃまた明日」と去っていく。その繰り返しだった。
 そうしているうちに、例のブロンソンがまたしても20頭ほどの馬の群れを引き連れてやってきた。「ヘイ、アミーゴ!」と、親しげに握手を求め、勝手に隣りへ座る。今日は、かなりハッパが効いているようだった。ジョンといい、ブロンソンといい、今日はラリってる男に縁があるようだ。
「俺の家の庭は大麻だらけさ。でも、最近はこの島にも悪いやつらが増えてな。よく盗まれるんだよ、寝ている間に。
 いいか、お前にはわからないかもしれないが、大麻ってやつは最高にハッピーなもんなのさ。何の問題もありゃしない。ノー・プロブレム、だ。
 でもな、誰かがそれを盗むと、それはプロブレムなんだよ。そのときから、プロブレムがはじまるんだ。わかるか、オレの言ってることが。まったくひどい話さ」
 ブロンソンは、あごのヒゲを撫でながら、いつまでも、ひとりごとのようにつぶやき続けた。

 そんなもんよりも、安いたばこを分けてくれ、と思う。この島では、たばこの値段がチリ本土の倍以上する。1日2箱吸うヘビー・スモーカーにとって、これほどつらいことはない。
 水平線を覆う雲に太陽が入り込んでしまったので、それ以上待っていてもたいしたサンセットは期待できそうになかった。相変わらずブツブツ言っているブロンソンに別れを告げ、タハイをあとにした。
 ふと、彼は何のためにあんなにたくさんの馬を飼っているんだろう、と思った。今度会ったときにラリってなかったら聞いてみよう。

 夕食は、鍋で米を炊き、冷凍しておいたマグロで鉄火丼を作った。塩味の強いゴマ油風味の韓国ノリはイマイチあわないが、醤油とチュープわさびがあれば、たとえスープ皿に盛られていたとしても、立派な鉄火丼だ。
 それを片手にテラスへ行くと、アンドレアというスイス人が晩飯を食べていたので、向かいの席に座って話しかけてみた。会えば挨拶は交わしていたが、彼女のことは名前以外には何も知らない。職業を尋ねると、アンドレアはレタスの切れ端をくわえながら拳銃を打つマネをした。警察官、か。

 彼女は僕が来る前からここに滞在しているのだけど、野菜と果物以外のものを口にしているのを見たことがない。ついでに言えば、笑っているのも見たことがない。
 いつもペットボトルを半分にカットしたものを皿にして、そこにいろんな野菜や果物を山のように盛り、おいしそうな顔もまずそうな顔もせず、ただ黙々と食べていた。映画「ブレード・ランナー」に登場するレプリカントのようだった。いや、警察官だからロボコップだな。
 ずっとに思っていたので、たまらなくなって「それ、ドレッシングか何か、かけてるの?」と聞くと、「塩だけよ」とキッパリ言う。「皿を洗うのがラクそうだね」と返してみたが、まったく反応はなく、パリパリとキュウリを噛む音だけが聞こえてきた。寒すぎるぞ。

 当然のことながら、ふたりの会話がそれ以上発展することはなかった。彼女はムシャムシャと生のマグロを食べる日本人を、ときどきコワイ目で見ていた。僕も、塩だけで大量の野菜をたいらげるスイス人を、馬を見るような目で見ていた。
 こんな女ばかりなら、スイスでは暮らせそうにない。