numero-6



えっ、何でいきなりサハラ砂漠の話?それもやたら長いぞ。せっかく盛り上がってきたところなのに、いいのか、このネタで?書いておきたいんだからしょうがない、この先のことは、また考えればいいさ、というA型人間とは思えないアバウトさが、ついに炸裂。


 その日は、乾季だというのに1日中シトシトと雨が降っていた。赤ワインを冷蔵庫から出して、本を読みながらテラスでグビグビ、ときどき気分を変えるためにベッドでグビグビ。いつもなら、そうしていたかもしれない。
 しかし、マルティンたちは朝から親戚の家に出かけていた。ほかに客はいない。いつかこういう静かな日があったら、ワインなんか飲まずに、やろうと思っていたことがあった。
 僕はパックから1冊のノートを取り出すと、部屋の安っぽいイスに座り、久しぶりにボールペンを握った。
 街から街へ、国境から国境へ。中南米の旅は、激しくタフなもので、日記をつけるヒマもないくらいだった。大切なことはちゃんと記憶に焼き付いている。そう信じて、僕はノートをパックの奥にしまいこんでいた。
 ヨーロッパを旅していた自分が、なぜ南米へ向かったのかを、一度じっくり書いてみたいと思うようになったのは、この島に来てからのことだ。
 きっとそれは、言葉だけではうまく説明できないものなんだと思う。でも、それでもいいから、あの砂漠のことを何か書いておきたかった。僕に大西洋を渡ることを決めさせた黄金色の砂のことを。


 1996年4月。サハラ砂漠に最も近いモロッコの小さな町エルフードの中央広場で、僕は1台のバンを探していた。昼飯を食べていたレストランで、1日に1便だけ人や物資を運ぶために砂漠のオアシスを巡るバンがあるという話を聞いたからだ。
 ようやく砂漠だ。モロッコに入って、もう4週間が経とうとしていた。
 ボロボロの蒸し暑いバスを乗り継ぎ、シャウエンやフェズ、マラケッシュといったいくつかの魅惑的な街にはまりつつ、何とかエルフードまで辿り着いた。
 この国を訪れる前、僕は4ヶ月間、カナリア諸島のグラン・カナリア島に滞在していた。そこで友達になったスペイン人にサハラ砂漠の話を聞かされてから、その見知らぬ土地に強い憧れを持つようになっていった。
 もっとも、彼の話の大半はモロッコ人をからかったジョークだったが。
「去年の春先、島に赤い風が吹いてきて、そこらじゅうが砂だらけになったんだ。1週間くらい洗濯物も干せやしなかった。知ってるか。サハラ砂漠で、モロッコのやつらがウチワであおいで、砂漠の砂をみんなこっちに飛ばそうとしてるんだよ」
 それは「シロコ」と呼ばれる砂漠からの熱風が引き起こす現象だと、彼は言っていた。その後、たまたま島の本屋で見つけた「ナショナル・ジオグラフィック」誌のサハラ砂漠特集記事にも、シロコのことが書かれていた。
 季節風に乗ったサハラの砂は、カナリアどころか、大西洋を越えて、南米大陸のアマゾン川流域までも飛んでいくらしい。サハラ砂漠-----たまらなく、その砂に触れてみたくなった。そして数日後、僕はマラガまでのエア・チケットを買っていた。
 マラガからアルヘシラスまでバスで行き、そこからフェリーでジブラルタル海峡を越える。
 この海峡を渡ったのは、3度目だった。過去の2度とも、モロッコ北部のいくつかの街をまわると、砂漠方面など見向きもしないで、スペインへ戻ってしまっていた。

   何人かの人に尋ねて、ようやく1軒の小さな靴屋の前に白い乗り合いバンが止まっているのを見つけた。出発のわずか5分前だった。バンの中はツーリストとモロッコ人でぎっしりと埋まっている。
 僕は荷物運搬用のレールが敷かれた屋根の上によじのぼることにした。少しでも広く砂漠を見渡すために、少しでも早く砂漠の風を感じるために。
 屋根の狭いスペースには、同じ思いらしき3人のバックパッカーたちが、すでに座っていた。
 バンが走り出す。エルフードの町を出て5分もすると、もうそこは土漠だけが果てしなく広がる世界だった。
 顔の皮膚を刺すように強く吹きつけてくる風。遠くの方から、高さ2メートルほどの小さな竜巻がバンに向かって突進してくる。
 土漠が、次第に砂漠へと変わっていく。それまで灰色一色だった風景に、やや赤みがかった黄金色が混ざるようになる。それがサハラの砂の色だった。
 大きくカーブを描いて進んできたひとつの竜巻が、バンに正面からぶつかった。隣にいたイギリス人の女の子が、思わず「あっ、轢いちゃった」と叫ぶ。その声はバンの中にいた人々にも届いたらしく、大きな笑い声が聞こえてきた。
 道なき道が、目印らしき目印がないのに、バンはオアシスからオアシスへと走る。
 大きなオアシスには数十軒の家と商店があり、ちょっとした街のようだった。バンはやがて、大砂丘が正面に見えるひとつのこじんまりとしたオアシスに止まった。そこには小さなオウベルジュ以外は何もなかった。テラスでは、のんびりと1組の老夫婦がミント・ティーを飲んでいた。

 コーラや野菜をバンから降ろしている主人に、部屋は空いているかと尋ねると、彼は何やらフランス語で答えた。わからないというジェスチャーをすると、彼は右手の親指を立てながら何度も頷いてみせる。どうやら部屋はあるらしい。このオウベルジュに滞在することを決め、屋根の上の仲間たちに別れを告げた。
 案内されたロビーには、もちろん冷房も扇風機もない。自家発電の電気は夜9時に止まってしまう。土にワラを混ぜて塗った壁、竹を張り巡らせた天井、エメラルド・グリーンの木枠の窓、籐のテーブルと椅子が並べられたテラス。庭には遊牧民が使用する大型の黒テントが4つ建てられていた。
 僕の部屋は2階、というより屋上の隅にある塔の内部にあった。中世の城塞のようなデザインの建物なので、展望塔で暮らす見張り番になったような気分だ。
 4畳半ほどのスペースに古いがしっかりとした木製ベッドと机が置かれていた。洗面所もないシンプルな部屋だったが、眩しいばかりの陽光が差し込む小窓からは、ヤシの木とその向こうにそびえる大砂丘が見える。それは、大胆なタッチで描かれたプリミティブな1枚の絵のようだった。
 テラスに出て、持ってきたミネラル・ウォーターを飲んで一服する。隣のテーブルの老夫婦が話しかけてきた。
 カサブランカで暮らしているモロッコ人で、毎年この時期になると、車でバケーションにくるらしい。
「ここの主人夫婦はフランス人でね、パリに住んでいたの。とても優しい人たちだから、きっとあなたも気に入るわよ」
 と、奥さんが言った。左手の薬指には、大粒のダイヤが光っている。その時、オウベルジュに着いたときに玄関前で目にしたニュー・モデルのベンツを思い出した。
 貧しさばかりが目立つモロッコにも、さまざまな顔がある。

 翌日から、砂漠を歩きはじめた。オアシスを離れれば、どこにいても文字どおりパノラマのような絶景を味わうことはできたが、朝日や夕日を眺める時には、必ず大砂丘に登ることにした。
 地平線を、遠い地平線を見たかった。その世界の果てのような地平線をかすめていく太陽を見たかった。
 砂に足がめりこみ、なかなか前に進めないので、大砂丘を登るのには1時間以上かかる。ビルで言えば、どのくらいの高さなのだろう。10階か、20階か。どうしても、うまくビルを想像することができなかった。
 頂に着いた頃にはいつも、汗にまみれた顔や腕が黄金色の砂だらけになっていた。
 砂は、どこまでも続いていた。夕暮れ時には、地を這うような光を浴びて砂漠全体が発熱し、輝き、それは波打ったまま眠ってしまった海のように見えた。
 時折、ジープのシルエットが小さな舟のように、その大海原を横切って行った。
 そこにいる間だけは、心をからっぽにすることができた。さまざまなことを、素直に感じることができた。
 たとえば、砂漠の上を吹く風。初めは神秘的な形の竜巻を夢中になって目で追っていた。強い風が撒き散らす砂の圧倒的な迫力に、ただただ言葉を失っていた。
 しかし、やがて風があらゆる方向から自分に向かって吹いてきていることに気がついた。微妙にずれながら、まるで当番制で吹いているような場合もあれば、四方八方から攻撃するかのように同時に吹いてくることもある。
 言葉にすると、妙な言い方になるかもしれない。でも、そのとき、こう思った。風はひとつじゃない、と。
 今まで想像したこともないことだった。風を目でとらえることはできないけれど、微かに、その後ろ姿らしきものが見えた気がした。
 この砂漠に来なければ、一生、風のことなんて考えなかったかもしれない。

 それは久し振りの静寂だった。
 モロッコという国は、日本人に限らず、全ての旅人が商人やチンピラとのやりとりで疲れ果ててしまうところだ。「街を案内してやる」「絨毯が安く買えるところに行こう」「ハッシッシいらないか」といった連中が、入れ替わり立ち替わりやってくる。そのやり口は、インド人よりも強引で粘っこい。毎日、喧嘩ばかりしていた。
 あんまりしつこくチンピラにつきまとわれたので、
「シャラップ!」
 と思わず叫んだことがある。そいつは、
「シャラップだと。シャラップってのはモロッコではファック・ユーよりもひどい言葉なんだぜ、この野郎」 と、さらにからんできた。
「おいミスター・シャラップ、おまえの国ではたばこ1箱いくらする」
「2ドル」
「ここじゃ、それで3日暮らせるんだ。俺はおまえにシャラップって言われて傷ついた。だから2ドル払えよ」
「シャラップ!」

 そんなことが日常茶飯事だった。もちろん親切なモロッコ人もたくさんいるのだが、その見極め方が難しい。
 マラケッシュで出会ったアメリカ人は、「この国を旅していると、だんだん人間不信になっていくな」と言っていた。何人かのモロッコ人の友達もできたが、エルフードに着いた頃には、僕もかなりまいっていた。ありとあらゆる種類のノイズから逃れたい気分だった。
 砂漠に入って2、3日経ったころには、騒がしい日々をもう遠いことのように感じていたが、それは甘かった。
 ある日、夕暮れ時の大砂丘の頂で、深い静けさに包まれて、いつのまにか眠ってしまった。どのくらいの間、そうしていたのだろうか。砂丘の下の方から、誰かの声が聞こえた。
 それは確かに「ラクダ」という日本語だった。その方向に目をやると、ひとりの老人がラクダを数頭引き連れて歩いていた。
「ラクダ、ヤスイヨ。タカクナイ」
 さすがモロッコ。砂漠にまで商人がいるとは。笑うしかなかった。どこか憎みきれない悪ガキのような国。
 僕がラクダに乗るのを断ると、老人は「マタネ、サヨナラ」と大声で歌うように言いながら、去っていった。

 午後のテラスにはいつも何人かの宿泊客が集まり、それぞれがゆったりとした時間を過ごしていた。
 ペーパーバックや雑誌のページをめくりながら、たまに遠い砂丘を車が通ると、顔を上げて、その方角を眺める。風のせいか、エンジンの音がやたらと近くで聞こえる。
 地図にもガイドブックにも載っていないホテル。たまたま、そのそばを通り過ぎる車。
 どんな人が乗っているのだろう。旅人なら、どこの国から来たのだろう。メルズーカへ行くのだろうか、それともエルフードか。
 たかが1台のジープに過ぎないのに、いろいろなことを考えてしまう。
 ホテルの主であるフランス人夫婦も、毎日そんなことを思って過ごしているのだろうか。
 電話はない。おそらく予約というシステムもない。すべては、このホテルの前を通り過ぎた車に乗っている旅人次第だ。エンジンを切って降りてくることもあれば、そのまま行ってしまうこともある。
 テラスに座っている時、僕は本を読むのに疲れると、よく彼らの暮らしをぼんやりと想像していた。
 彼らに聞きたいことや話したいことはたくさんあったが、いくつかの数詞と「こんにちは」「いくら」「高い」「まけてよ」「さよなら」程度しかフランス語は知らない。
 ほかの言葉が話せない彼らとコミュニケーションをとるのは難しかった。
 僕が他の客から聞いて知っていることは、彼らが2年前にパリからやってきたということと、パリでは旦那がレストランのシェフ、奥さんが歯科医だったということだけだ。

 毎朝、夫婦は食事の後に、ここへ越してきたときに植えた木々の成長をひとつひとつ確かめながら、オウベルジュのまわりを散歩する。
 ふたりには高校生くらいの年齢の男の子がひとりいたが、彼は毎日、それが何かのリハビリであるかのように、ひたすら庭の畑を耕していた。不思議なことに両親と一緒に話している姿は、ほとんど見たことがなかった。何か精神的な障害があるのだろうか。それとも単なる反抗期なのか。
 父親は、時折そんな息子の背中を遠くからじっと見つめていた。それはどこか哀しそうな目だった。
 僕がエルフードへ帰る前日、首都のラバトまで買い物に行っていた奥さんが、2日振りに帰ってきた。彼女が不在の間、主人はいつもひとりで庭を歩いていた。ひとりで夜のテラスにいた。でもそれは、きっと彼自身も感じているように、どこか不自然な姿だった。
 バンから降りた奥さんを強く抱きしめた主人は、そのまま彼女を庭に連れて行き、手をつないだまま、いつまでもそこにいた。彼らしく過ごせなかった2日間を取り戻そうとしているかのように。
 ラバトでの出来事を話しているのだろうか、楽しそうな笑い声が聞こえていた。やがて彼らは僕のいるテラスにやってきた。いつもの椅子に、ふたりで大砂丘に向かって並ぶように座り、奥さんの左手は、いつものように主人の後ろ髪を撫でていた。
 主人はジタンに火をつけると、こちらをチラッと見て、微笑んだ。「ほら、彼女が帰ってきたんだ」とその目が無邪気に語っていた。

 僕はこのオウベルジュに10日間滞在した。毎日、何をするわけでもない。早朝に大砂丘から朝日を眺めると、部屋に戻って少し眠る。
 朝日、朝食、洗濯、昼食、散歩、夕日、夕食。そのほかの時間は、テラスに置かれた椅子に座って本を読み、夜は月や星を見ている。
 それだけのことで、1日が過ぎていく。
 ある夜、家族と泊まっていた若いドイツ人の女の子が、テラスにいる僕に尋ねてきた。
「あなたはもう4日もいるらしいね。私なんか昨日来たばかりだけど、もうフランクフルトへ帰りたくなってるわ。砂漠は好きだけど、退屈すぎる。ほかに何もないでしょ、ここには。せめてディスコでもあればいいのに。あなたは毎日、何をしてるの?」
 こう答えた。
「たぶん、何もしていないし、何も考えてないんだよ。でも、こうして月を見てると、たとえば、こんなことを思うことはある。
 ずっと月を見上げてるとね、首が痛くなるんだ。だからって、砂漠で寝っ転がって見てると、砂が冷たいから身体が冷えてしまう。そんな時に思うんだ。結局、人間って、月や星にはかなわないんだなって」
 そんな程度か、とでも思ったのだろう。もしかしたら、こいつはおかしい奴だと思ったのかもしれない。
 彼女は「OK」とだけ言って、自分の部屋へ戻って行った。

 唯一仲良くなったバックパッカーも、ドイツ人だった。彼はオウベルジュに1泊しかしなかったが、その夜、僕らはモロッコ産のチープなウイスキーを飲みながら、遅くまで話し込んだ。
 ドイツ南部の小さな町でコンピューター技師をしているという彼は、もう5回も砂漠に来ていると言った。
「最初に来たのは、11年くらい前かな。その時にどうしてサハラを選んだかは、今でもはっきりとはわからないけど、たぶん日常をまったく感じさせないような世界へ逃げたかったんだと思う。
 それこそ、君がさっき話してたアマゾンでもよかったんだろうな。でも僕はサハラに来た。ここはヨーロッパから一番近い『誰もいない場所』だからね。
 自分の仕事も生活もすごく気に入ってた。でも、誰かと出会うことが怖かったんだ、あの頃は」
「出会うことが?」
「そう。まだ僕も20代前半で、いろいろ恋もしてた。くっついたり、別れたりしてるうちに、だんだんわからなくなってきた。女の子に限らず、誰かと知り合うことって何の意味があるんだろう、って。
 君だって経験があるだろう。たいしたことのなさそうな出会いが実は重要だったり、意味ありげな出会いが、その時だけのものだったり。僕はいつも戸惑っていたんだ。ひとつひとつの出会いに、それぞれの結果をつけていくことがよい事なのかさえ、よくわからなかった。
 世の中には悲しい結果とうれしい結果だけじゃなくて、それ自体を結果と呼んでいいのかわからないようなものまであるんだよ。それでも、朝がやってきて、街に出ると、またいくつかの出会いが待っていた。
 そして僕をこう責めるんだ。ねえ、早く結果を見せてくれよ、って。僕はもちろん首を横に振る。その繰り返しだった。どんなに何も考えないようにしてもね。それが日常ってやつなんだ」
「だから、誰もいない、何もない砂漠に来るようになったんだ」
「ここではラクダくらいだからね、出会うのは。でも、昔の話さ、それも。今ではずいぶんタフになったよ。人並みに友人もいるし、一緒に暮らしている彼女もいる。パーティだって、そこそこ楽しめるようになった。
 ただ、あの頃の気分を忘れたくなくてね、何となく。だから、時々こうして砂漠に会いにくることにしてるんだ」
 酔って話し過ぎたと思ったのか、彼は少し照れた顔で夜空を見上げた。さまざまな旅人が、それぞれの思いを胸にサハラを訪れ、寡黙な砂の海は、優しく彼らを迎え入れてくれる。

 最後の夜がやってきた。主人はオウベルジュの宿泊客が感想を書き込んだノートを見せてくれた。フランス語、アラビア語、イタリア語、スペイン語、英語。それを読む限り、日本人は僕でふたり目のようだった。
 たまたま開いたページに、スペイン語で短い詩のようなものが書かれていた。

美しい夕日に出会うと、
君はいつも車をとめようと言った。
そして僕らは膝をかかえて、
日が沈み、空が紫色に染まっていくのを
いろいろなことを話しながら待っていた。
いつも。
だから、旅先で夕焼け空を見ていると、
隣に君がいるような気がして、
僕は何だかうれしくなる。
君がどこにいても。
僕がどこにいても。

 かつて同じように夕焼けを一緒に眺めた女の子の横顔が頭をよぎった。彼女があの海に沈んだ夕日を思い出すことはあるのだろうか。僕は自分が日本から遥か遠いところにいることを、あらためて感じていた。

 「砂漠の夜は寒いので風邪に注意」とガイドブックにはあったが、この季節は寝苦しい熱帯夜が続いていた。日付が変わるころ、僕は部屋を出て、最後の散歩に出かけた。
 風が吹いている分、外の方が少しは涼しかった。サソリのことが少し気になってはいたが、細かくさらさらした砂がヒンヤリと足の裏を撫でる感触の誘惑に負け、夜の砂漠ではいつもサンダルを脱いで、裸足で歩くことにしていた。
 月の光が強すぎて星の輝きがすっかり薄れてしまっていた。それでも天空を駆けるいくつもの流れ星が、はっきりと見えた。ふと、なかなか眠れなかったのは、あのノートの詩のせいかもしれないな、と思った。
 あれほど会いたい人がいるのに、どうして彼は旅を続けたのだろうか。それは、自分への問いでもあった。もう7ヵ月。あと1年。これから、まだまだ続く長い旅だ。
 8年前、21歳の時から、いくつかの旅をしてきた。いつも大きな川の底を下流へと少しずつ転がっている小石のようだった。
 流れ、流され、ようやく海へ辿り着いた小石。海の中で、しばらく平穏な日々を過ごしていると、ある日、また誰かがそれを拾い上げ、再び川の上流へと持っていく。誰か----それは、もうひとりの自分なのだろうか。
 ぽちゃ。川に投げ込まれる微かな音。そして僕は、また流れはじめる。その繰り返しだった。
 旅を繰り返す。リスボンの安ホテルのドミトリーで、同年代の日本人旅行者とそのことについて語り合ったことがあった。その時の彼の言葉を、今でも憶えている。
「俺はもっと優しい人間になりたくて旅をしていると思ってる。上から下まで、いろんな人やものに出会うほど、日本で暮らしている時に、許せることが増えるような気がするから。許すことって優しさのひとつだし、その優しさは巡り巡って、ちゃんと自分に返ってくるんだよね。自分も幸せになれる。だから、俺は旅を繰り返すことには、必ず意味があると信じてるな」

 サハラに来る直前、グラン・カナリア島でスペイン本土に住む知り合いから、手紙を受け取った。そこには、こんなことが書かれていた。
「現実から逃げる旅は心地よいものですが、その間にも、あなたは確実に大切な人生の時間を消費しているのです。気をつけてください」
 その手紙を、何度も読んだ。60歳になろうとしている彼は、きっと残り少ない人生の時間をいかにうまく消費するかを常に考えているのだろう。
 しかし、僕の考えは違った。楽しいだけではない、旅には旅の厳しい現実がある。だからこそ、旅人は自分の国にいる時よりも、金に対して神経質になる。金という最も現実的な問題は、こちらが無視していても、向こうからやってくるからだ。
 旅には、よりリアルに「生きている」という現実を感じられる魅力がある。
 それは、幸福感であり、達成感であり、あるいは深い失望感や絶望感であるかもしれない。日本でもあちらこちらに転がっているものだが、旅をしている時の方が、それらを実感する機会が多く、感動や絶望の度合いも大きい。
 たとえば、A地点からB地点へ行く。辿り着く。旅の目的のひとつが「前に進むこと」である以上、それだけのことで達成感が得られる。ちょっとした感動がある。
 普段の人生においても、僕らは確実に前へ進んでいるはずであり、同じことをしているはずなのに、それは見えづらい。そういうことなんだと思う。
 家や車、仕事もない。友人や親、恋人もいないし、何のしがらみもない。これまでのキャリアには何の意味もない。言葉もあやふやだ。誰からも話しかけられず、1度も時計を見ないで終わる日もある。安ホテルの部屋には電話もなく、あっても鳴ることはない。そんな純度の高い孤独の中に自分を置いてみたかった。
 そこにいるのは、裸同然のひとりのアジア人。この国で、この土地で、お前に何ができるんだ。そんなふうに、自分を第三者的な目で観察すると、同じようにスペインを旅していた21歳の自分と、今の自分との違いがわかる。曇ったガラスの向こう側に、何かが見える。
 自虐的かもしれないが、僕にはこの作業が必要だった。自分という生き物のカタチを再確認するために。
 それは、決して彼が言うような現実からの逃避ではないと思う。実際、日本にいる時の自分は、逃げ出したくなるほどひどい現実はひとつも抱えていなかったのだから。
 その後も、いろいろな人たちの言葉が、頭の中を通り過ぎていった。さまざまな方向から吹いてくる砂漠の風のように。

 大砂丘の頂上へ到着した時、まだあたりは薄暗かったが、1時間もするとナイジェリア方面の東の空が次第に白みはじめた。
 振り返ると、完璧な形をした満月が、重力に屈したかのような勢いで、遠い地平線へと落ちて行くのが見えた。
 雲がうっすらと赤く染まり、やがて砂漠の彼方、荒涼とした岩山が延々と連なる国境付近から、太陽が生まれる。まっすぐに天を目指して上昇していくその姿は、地面に落とされ、緩やかに跳ね上がった鉄球のようだった。

 昔読んだ小説のことを思い出していた。人生のあらゆることに絶望した主人公は、死に場所を探して、このサハラまでやって来た。
 だが、彼は結局、ここでは死ねなかった。その理由は忘れてしまったが、彼が「死ななかった」のではなく「死ねなかった」ことは不思議によく憶えている。
 ひとつの巨大な輪のような地平線によって、くっきりと上下に分けられた黄金の砂と青空との目が眩むほどの強烈なコントラスト。風に消えかかった僕の足跡が、数十本もの椰子の木に縁取られたオアシスへと続いている。
 僕は、その風景を見ながら、たとえ自分が同じような事情を抱えていたとしても、やはりここでは死ねないだろうな、と思った。サハラは、死ぬにはあまりに美しすぎる。

 出発前に、ミネラルウォーターのボトルいっぱいに砂を詰めた。荷物が重くなってしまうことはわかっていたが、再びこの地を訪れることがあるのだろうか、という思いの方が強かった。
 それからしばらく砂漠に座り込み、砂が指と指の隙間から滑り落ちる感触を、何度も確かめた。すべての爪の先が、あっという間に黄金色にふちどられていった。もっと、もっと爪の奥へ入りこめばいい、と思った。
 グラン・カナリア島まで飛んでいったその砂が、サハラ砂漠へと導いてくれた。そして、季節風にのった砂粒がアマゾンまで旅をするように、大西洋を越えて南米大陸へ向かおうと、僕は決心していた。そんなきっかけの旅が、あってもいい。

 エルフードに戻ったら、カナリアの友人に手紙を書こう。
「10日間、モロッコ人と一緒にサハラ砂漠をウチワであおいできたよ。今度の週末には、この世界で最も美しい砂が君の島にも届くと思うから、洗濯物は干さない方がいい」と。
 熱で歪んだ地平線上に、壊れた噴水のように砂埃が上がった。乗合いバンの、不規則なエンジン音が聞こえてきた。
 屋根の上は、空いているだろうか。