numero-7



マルティンが何だかエキサイトしている。エキサイトしたデブは近くにいるだけで暑い。「ようこそいらっしゃいました」「一番安い島内ツアー」なんて日本語の案内板を作ってくれと言ってきた。いよいよ明日、1000人の日本人が上陸する、らしい。それがホントなら、わずか3800人の村民は、どう立ち向かえばいいのか?あ、別に戦うわけじゃないんだよな……。


「レンタカーでどっかに行ってきたらどう?」
 アニータがマルティンと同じくらいデカイ腹をボリボリかきながら言った。
「そんな金ないよ」
 つられて腹をかきながらそう答える。
「お金がない?こんなに遠いところまで来た日本人が、何を言ってるのよ」
「宿がこれほど高いなんて思わなかったからさ」
「タカクナイ!トーキョー、モットタカイ!」
 それ、マルティンが教えたのか。そんなときだけ、いきなり日本語話すなよ。でも、アニータだけじゃなく、この島では誰もが日本人イコール大金持ちだと思っているから、土産店でも遠慮なしにふっかけまくる。モアイをかたどった石のペンダントが50ドル。高さ1メートルくらいのミニチュア・モアイ像が400ドル。物価の高いチリでも破格の値段なのに、旅慣れていないハネムーナーたちの多くは言われるままに金を支払ってしまう。
 彼らは帰国して玄関にモアイ像を飾って満足すれば、まあそれでいい。悪趣味だとは思うけど。そうした積み重ねが、島民の間に石を喜んで買ってくれる金持ちというイメージを作り上げてしまったことは確かだ。ま、これがイースター島に限った話ではないところが、また悔しいのだけれど。
 だからアニータは、レンタカー代50ドルをケチる男を、こいつホントに日本人なのかという目で見る。やれやれ。

 アニータが買い物に出かけた後、僕はテラスで本を読んで過ごしていた。今日も、島の反対側にあるモアイを見に行く気になれない。ガイドブックには、モアイが海に向かってズラッと並んでいる写真が載っていた。その近くにはモアイを切り出した石山が当時のままの形で残っているらしい。
 レンタカーがなくてもヒッチハイクすれば行けることはわかっているけど、イマイチ心がときめかない。「まだだ」と独り言をつぶやいてから、そのセリフをどこかで聞いたことを思い出した。そうそう、かき氷のおじさんだ。
 小学生のころ、僕が住んでいた小さな町に、毎年7月になると“かき氷”と書かれた暖簾を出す和菓子店があった。つぶあんがたっぷり盛られたかき氷は、プールで泳いだ後の楽しみのひとつだった。
 ある夏、その店は8月になってもかき氷を売ろうとしなかった。おじさんに「氷は?」と聞くと、「まだだ」という答え。プールに行く度にのぞいてみたが、彼はいつも腕組みしながら厳しい顔で「まだだ」と繰り返すだけだった。結局、かき氷を一度も食べないまま、夏は終わってしまった。おじさんが何を待っていたのかは、今もわからない。
 あのおじさんのように「まだだ」とつぶやきながら、モアイを見に行かないまま、島での生活が終わってしまってもかまわないと思った。 とりあえず今の僕には、ここでのんびり本を読んだり、いろんなことを考えたりしている方がよっぽど意味があるような気がしていた。

 ランチの仕込みを終えたらしく、マルティンがキッチンからエプロン姿で出てきた。エプロンが小さすぎるので、桃太郎のようにも見える。白いひもは太い首にしっかりくい込み、生きているのが不思議なくらいだった。彼は四角い段ボールの切れ端とマジックペンをテーブルの上に置いた。
「なあタク、ガイドしてもらうのはあきらめたからさ、このスペイン語を日本語に訳して、そこに書いてくれないか」
 渡されたメモには「ようこそいらっしゃいました」「車の方へどうぞ」「一番安い島内ツアー」「楽しい乗馬体験」など、いくつかの言葉が書かれていた。さすが商売人、マジでひと儲けするらしい。
「でも、1000人の日本人なんてホントに来るのかな」
「それがさ、明日みたいなんだ、どうも」
「明日?」
「さっき聞いたウワサだと、日本人か韓国人のどっちからしい。韓国人でも、日本語を話せる通訳が乗っているから、案内板の文句は日本語でいいんだってさ」
 どんなウワサだ、それ。ま、どこか憎めない男なんで引き受けてやるか。何枚か仕上げるとマルティンはうれしそうに、その中の1枚をクリップでエプロンの前に取り付けた。
「こうして彼らを迎えるんだ。カンペキだろ?」
「エプロンがなければ、ね」
 よっぽど上機嫌らしく、マルティンはそのデモに参加した桃太郎のような格好のまま、僕にコーヒーまでいれてくれた 。彼は毎晩サンチアゴやタヒチからの飛行機が到着するたびに、客を探すためエアポートへ行くが、そのときの表情とは明らかに違う。これほどのビジネス・チャンスは、滅多にあることじゃないんだろう。
 そういえば、2台の大画面テレビや革張りのソファ・セット、ソニーのステレオ、携帯電話、ファックスなどがズラッと揃ったマルティンの家は、「酒もタバコもやらず、ひたすら金儲けに励めばこんな暮らしができますよ」というモデルルームのようだ。なにしろ子供たちはファミコンまでやっているんだから。
 マルティンに協力したことをちょっと後悔した。ま、どうせ日本人も韓国人も来ないだろうから、いっか。

 ところが翌日の昼、彼らはマジでやってきた。
 マルティンがノックもせずに部屋のドアを開け、興奮気味に「タク、ハポネスが来たぞ!」と教えてくれた。僕はほかの村人たちと同じように、港への坂道を急ぎ足で降りていった。日本人を見たかったワケじゃない。ただ、彼らが何をしに来たのかを知りたかった。
 沖に停泊した巨大な客船の方角から、何艘かのボートが島へと近づいてくる。村のはずれにあるもうひとつの港を目指しているようだ。昔、下田の郷土資料館で見た黒船来航の絵を思い出した。村人たちはマルティンのように案内板を胸に付けたり、プラカードを手にしたりして、準備万端。空港で使っているものを持ってきたのか、「安いホテル!」なんてプラカードも混じっていた。
 それにしても何なんだろう、あの人たちは。観光クルーズにしては、あんまり豪華客船って感じじゃない。モアイの調査隊にも難民にも見えない。アジア系であることは確かだけど、言葉を聞いてみないことには日本人かどうかもわからない。
 ボートから降りた人々がバスに乗り換えて広場へ到着すると、5ダースくらいの村人が、口々に「コンニチハ!」とか「イラッシャイ!」とか言いながら、そのアジア人たちをフーリガンのように取り囲んだ。ひとりの女の子が「うわぁ、すごい!」と言っているのが聞こえた。日本人、か。
 マルティンが人混みをかき分け、何人もはじき飛ばしながら、女の子の方へ進むのが見えた。すごい迫力。こうして見ると、やっぱりマルティンの体重は島一番かもしれないな。「ワタシ、マルティン、ヨウコソ!」という例の得意ゼリフが聞こえてくる。でも、その女の子たちはスルッとマルティンたちをかわし、広場の中央へと向かった。どうやら、そこが集合場所らしい。
 バスは次々とやってきて、マルティンたちは次々と無視される。やがて広場は大勢の日本人で埋め尽くされた。「400人はいるわね、ハポネスたち」「いや、300人くらいじゃないの」という囁き声が聞こえてくる。やっぱり1000人というウワサは嘘だったが、ま、300人でも十分多い。若者から老人まで年齢層が幅広く、女性もかなり混じっていた。

 「みなさん、お疲れさまでしたぁぁぁ」とハンドスピーカーを持ったメガネのおじさんが叫んだ。全員が律儀に「お疲れさまぁぁぁ!」と、叫び返している。PTAの集まりなのか、この人たちは。「まずは写真を撮りましょうぅぅぅ!」と叫ぶメガネ。隣りに立っていた青年が、巨大な垂れ幕みたいなものを出してきて、全員参加の記念撮影がはじまった。島の人たちは遠巻きにしながら興味深げに見ている。いつの間にか僕の側にいたマルティンが「ドイツ人と日本人は、どうして写真が好きなんだろうな」と言った。そんなことはキャノンにでも聞いてくれ。
 その垂れ幕には、ピースボートという団体の名前が大きく書かれていた。まわりには世界平和とか文化交流、フレンドシップ、なんて言葉がいくつも並んでいた。かつて高校時代のクラスメートが一時期この団体に加わっていたことがあったけど、彼の説明を聞いても、その活動内容はよくわからなかった。若者たちが講師のレクチャーを受けながら、チャーターしたロシアの客船で発展途上国を巡って行く。それが、僕の持っているアバウトなイメージだった。
 きっと彼らは、この島にも何かの交流に来たのだろう。そりゃバリバリに発展途上だけどさ、ほかにもっと行く場所があるんじゃないの、って気がする。通訳がハンガロア村の代表らしき人物との打ち合わせを終えると、メガネはスケジュールを発表した。
「島内を見学して、4時間後にこの広場に集合してください。それから準備に入り、夕方6時に文化交流会をスタートしますぅぅぅ!」
 やっぱり、どうしても交流するつもりらしい。この団体にとっては、オリエンテーリングのチェックポイントをひとつひとつクリアしていくようなものなのだろう。メガネの合図で解散すると、マルティンたちはスゴイ勢いで営業をはじめた。もう誰も無視することはなかった。彼らはきっと、4時間で島中のモアイを見るんだろう。

 そのまま港に残り、ビーチでボディボードをしている子供たちを見ていた。ピースボートに乗っていたおじさんが何人か近づいてきたが、海を見ると「なんだ岩ばっかだなあ」と言ってUターン。しっかり目が合ったのに無視され、静かな日々の中で忘れかけていた怒りがジワジワとこみあげてくる。お前ら、日本人同士で挨拶もできないくせに、文化交流なんてもんができんのかよぉぉぉ!と、メガネのハンドスピーカーを奪って絶叫したい気分だった。
 ウロウロしている日本人の顔を見ないようにしながらタハイに行くと、モアイの前に仮面ライダーの死神博士が立っていた。いや、死神博士を演じていた俳優が、だ。彼の「スペイン巡礼」という本を読んだことがあったけど、どうしても名前を思い出せない。
 向こうから僕を見つけて「日本の方ですか?」と聞いてきたので、思わず「死神博士の……」と言うと「アマモトです」。あ、そうそう、天本英世って名前だっけ。スペイン文化の講師としてクルージングに招かれたらしい。
 死神博士は、かなり大きい人だった。180センチ以上あるんじゃないだろうか。どうして仮面ライダーに負けたんだろ。僕らはその場に座り込んで、しばらく話をした。博士によると、この島に滞在するのはわずか9時間。今回のクルーズは90日間の日程で、シンガポールからオーストラリア、タヒチ、イースターとまわってきて、これからペルー、パナマ、カリブの島々、エジプトなどを経由してシンガポールに戻るそうだ。
 死神博士の横でさっきからモアイを見上げていたおじさんが、脱いだ野球帽で顔をパタパタ仰ぎながら、「いっやぁ、人間一人じゃできないことって、やっぱりあるんだなあ」なんてベタな感動を口にした。死神博士は唇の端にうっすらと笑みを浮かべながら「わかりませんよ」とつぶやき、僕に軽く会釈をして去っていった。何がわからないのかわからないけど、ニヒルなニュアンスの言い方が死神博士っぽくてよかった。交流会では、ぜひ黒マントを着てほしいもんだ。




 夕方になると、マルティンが帰ってきた。今にも踊り出しそうな顔をしている。今日一日でかなり稼いだらしい。
「借りてきたミニバスに15人も乗ったんだ。それでモアイを見て戻ってきたら、別のグループがやって来て、1時間でラノ・カオ山の頂上まで往復できないかって聞くんだ。もちろん、できると言ったさ。それだけで、いくら払ったと思う?ひとり20ドルだぜ、20ドル。」
 アニータが4人の子供を連れてやってきた。やっぱりニターッと笑っている。気のせいか、子供たちの顔までウキウキしているように見えた。アダムス・ファミリーもびっくりの金の亡者たちめ。
「さあ、フィエスタがはじまる時間よ。みんなで行きましょう」
 広場に到着すると、マルティン一家から離れて、ひとりでフィエスタ、つまり交流会を見物することにした。これ以上マルティンの自慢話を聞くのは不愉快だった。島の若者たちが作ったステージが置かれ、そのまわりでは日本人たちが何やら準備をしていた。目の前でハチマキを巻いているおばさんグループは、今日の午後、民芸品市場で見かけた人たちだ。
 「うわぁ、25ドルですって、安いわぁ!」「この木彫りが80ドルなの?買っちゃおうかしら」なんて言いながら、モアイ系土産を買いまくっていたっけ。生まれてはじめて見たモアイのグッズを、どうして安いと判断できるのか僕にはわからないが、「トモダチ!」と言われればイヤリングを買い、「オネエサン!」と言われれば置き物を買う。もちろん、ボラれまくり。もうちょっとタフな団体だと思っていたぞピースボート。お前ら、ただの観光客じゃないか。

 スピーカーからサルサが流れ出すと、ピースボートの連中はいくつかのグループに分かれてステージの前に並んだ。今度は普通のマイクを握って、メガネが言う。
「今日一日、お疲れさまでしたぁぁぁ。これから、イースター島の人たちとの文化交流会をはじめたいと思いますぅぅぅ!」
 文化交流したいなら、少しは勉強してこいよ。イースター島は英語名で、スペイン語ではパスクア島だろうが。続いて村のお偉いさんが挨拶をする。
「いやいや御苦労さん、遠くからよく来てくれましたね。日本人がこんなに来ることなんてないから、村人にとっても良い機会です。一緒に楽しみましょう」
 通訳はそんなことを言ったのだけど、日本人は着替えや打ち合わせに忙しそうで、誰も聞いちゃいない。拍手しているのは、村人たちだけだ。イヤな予感がした。いきなり、着物姿のお姉ちゃんがステージに上がった。
「さあみなさん、まずは私たちがラパヌイのダンスを踊ります。今日の午後、一生懸命練習した女性チーム、どうぞ!」
 ラパヌイの民族衣装を着た女性が20人くらい出てきて、腰をくねらせながら踊る。うまくはないが、仲間たちにはバカウケだった。「いいぞミユキちゃん!」なんてかけ声が飛び交う。ストリップ小屋じゃないんだからさ。
 次に男たちがズラッと登場した。みなさん、ふんどし一丁。しかも身体中をいろんな色で塗りまくっている。そして、「オッス!」と気合いを入れたリーダーらしき男を中心に「フレー、フレー、ラ・パ・ヌ・イ!」とやりはじめた。どういう意味があるんだよ、それ。通訳も訳しようがなく、村人たちは絶叫するフンドシ姿の男たちをキョトンとした表情で見ていた。
「今ここにいる2つの男性チームで、いよいよ最終決戦を行いますぅぅぅ!」
 メガネが叫ぶと、ハポネスたちはウォォォ!という異様な盛り上がり。説明によると、彼らは島へ来る途中の船の中で、このステージに上がるチームを決めるための予選をしたらしい。そこから悪夢の時間がはじまってしまった。

 最初のチームは、久保田利伸のアップテンポな曲にあわせて踊ったが、耳慣れないビートに身体を揺らす村人はひとりもいない。それなのに、ピースボート的には相変わらずノリノリのハイテンション状態。もうひとつのチームは「月が出た出た、月が出たぁ〜」と盆踊りをはじめる。南春夫の甲高い声が、モアイが倒れそうなくらいの大音量で響き渡った。おいおい。「さあイースター島のみなさんも御一緒に!」と、ムリヤリ踊りの輪に引っぱり込んでいる。だんだん頭がクラクラしてきた。すると音楽が突然変わり、今度はどこかで聴いたことのある声が聞こえてきた……ヒデキ?
 そう、それは、あの「ヤングマン」だった。ステージの上も下も、新興宗教の信者のように全員が踊り、両手を突き上げ、YMCAの文字を作っている。コワイぞ、こいつら。文化交流なんて忘れて踊ってる。僕の近くにいる村人の何人かが、仕方なさそうに手拍子を打ちはじめた。彼らがハポネスを見つめる眼は妙にやさしかった。それは幼い子供のお遊戯会を見ている母親のような眼だった。
 結局、多数決によってヤングマンのチームの優勝が決まった。互いに握手をしながらステージを降りてきた彼らは「やったぜオレたち」「いいなあ文化交流って」という満足感に包まれているようだった。何だか知らないが、泣いているやつもいた。後頭部を鈍器で殴ってとどめをさしてやろうか、と思った。

 最後になって、ようやく村人たちのグループがステージに上がった。全員でラパヌイ・ダンスを踊ろう、ということらしい。ところが、踊りがはじまっても、ほとんどの日本人はこれに参加せずに座り込んでしゃべったりしている。「お土産、お土産」なんて口走りながら広場を足早に去っていくグループもいた。自分たちが盆踊りをやるときは、なかば強制的に踊らせてたくせに、どうしてそんなヒドイ態度をとれるのか。だだっ広い空間に、空しく流れるメロディー。 こいつら、きっと行く先々の国でこんなことをやってるんだろう。想像しただけで情けなくなってくる。
「それではこのへんで終わらせていただきます。みなさん、8時30分のバスに乗り遅れないよう……」
 やたら明るい声のアナウンスが流れ、島民を巻き込んだ日本人による日本人のためのイベントは、やっと終った。ステージの片づけが終わると、村人たちはさっさと散っていき、子供たちはいつものように広場でサッカーの練習を開始した。1週間たったら、この夜のことは誰も覚えていないような気がした。
 宿に帰ろうとすると、ブロンソンが僕を見つけて「おいアミーゴ、あいつら、何をしに来たんだ?」と尋ねてきた。「文化交流だってさ」「あの踊りのことか?」「そうなんじゃないかな」「あのパンツは何だ?」「フンドシ」「フンドシ?フィエスタ用のパンツなのか?」「いや、そういうわけじゃない」「あのパンツも文化なのか?」「ま、そうだ」「でもパンツが……」。ブロンソンはよっぽど気になったらしく、フンドシをめぐる会話は、その後もしばらく続いた。なんだよ、オレの方がよっぽど文化交流してるじゃん。