サボテンの記憶



50万人の住民よりもサボテンの数の方が、
はるかに多いと言われているバハ・カリフォルニア。
ラパスの郊外には、
この半島を象徴するような荒涼とした風景が広がっている。
コンスティトゥーションと呼ばれる国道の両側に
どこまでも連なるサボテン、
ギアナ高地のテーブルマウンテンを思わせる垂直な岩山。

ここで暮らす動物は、
家畜以外にコヨーテやチゴス(鹿の一種)くらいしかいない。
道端には時折、サボテンや教会の形をしたモニュメントが建てられている。
交通事故で亡くなった人を偲ぶためのもので、
家族の捧げた季節の花が、色の乏しい風景の中で、一際鮮やかに輝く。

クジラを見るためにプエルト・サン・カルロスへと向かう途中で、
そんな荒野にポツンと建つ
「ロンチェリア・エル・オスチョン」というレストランに立ち寄った。

トマトソースのランチェーロと干し肉料理を食べていると、
ひとりの少女がテーブルに寄ってきて、
メキシコ風梅干しのチャモイを差し出してくれた。
彼女は「うちのお兄ちゃんはラパスにいるの」とちょっと自慢気に言った。
田舎で暮らす女の子にとって、
きっとラパスはとてつもない大都会なんだろう。

店の主人、つまり少女のお父さんが、
乾燥したイポカンポ(タツノオトシゴ)と、
巨大なアンモナイトの化石を見せてくれた。
「昔このあたりは海の底だっだから、いろんな貝が見つかるんだよ」。
店の外に目をやると、乾き切った風景が広がっている。

僕は、海が枯れ果て、
やがて大地がトゲだらけの植物に覆われていく様子を想像した。
サボテンの記憶に存在しない海、
海の記憶に存在しないサボテン。
はるか彼方で、農作物を運ぶプロペラ機が、
砂埃を上げながら地面スレスレを飛んで行った。

プエルト・サン・カルロスからラパスへ帰るときも、同じ道を走った。
地平線に沈む夕日。
車から降りて、逆光を浴びながら、
1本1本違うポーズで佇むサボテンをボーッと見つめていた。

サボテンはバハだけでも3000種類以上あり、
代表的なハシラサボテンは1メートル成長するのに約30年かかるそうだ。
僕の目の前にそびえる高さ10メートルほどのハシラサボテンは、
300年間もひたすら水を探してきた、ということになる。
驚くべきことに、どんなに大きなサボテンでも、
根の長さは6、7センチしかないらしい。
 
そういえば、ラパスで会った男は、こう言っていた。
「人間はひとりでは何もできないけど、
サボテンは水も栄養もないところで精一杯やっている。
だからオレは、同じ生き物としてサボテンをリスペクトしてるんだ」と。

空の赤味が深まるほどに、
ハシラサボテンのシルエットは濃くなり、輪郭が艶かしく光る。
風の音だけが聞こえる世界。
この大地とサボテンは、雨あがりの午後、どんな匂いを放つのだろうか。

その夜、ホテルのベッドで不思議な夢を見た。
大海原の水面のあちらこちらから、無数のサボテンが突き出している。
クジラたちは、サボテンの間をすり抜けるように、ゆったりと泳いでいた。

一頭のクジラが、
優雅な背びれを誇らしげに見せるように、
何度もブリーチングをする。
その背で、チャモイの袋を抱えたあの少女が手を振っていた。

「ほらね、昔はみんな海だったって、お父さんが言ってたでしょ」。
彼女の唇は少しも動いていないのに、そんな声が聞こえてきた。

ようやく海と出会うことのできたサボテンたちが、
波間で左右に揺れて、踊っているように見えた。