高校美術部OBの同人誌「樹」からのピックアップ


97.2.14 最 近 の 絵

 今年に入って4枚のスケッチしか描いていない。しかも色なしの素描だ。最初の絵を描い

た時、描いているうちに寒くて指がかじかんできて色までつける気になれずに終わりにして

しまったのだが、それはそれで面白く感じたのと荷物が少なくてすむという理由で、しばら

く色無しを続けてみようかと思っている。いつかS君に言ったように僕は居心地のいい空間

を描きたいと思っている。風景スケッチの場合、そういう所を探す。1本の樹や特定の家を

描きたいと思うことはなくて、空間全体の形がバランスがいいとか流れがいいというポイン

トに来た時、絵になる!という確信があって、あとはその感動を保てさえすれば素直に描い

てゆくだけ、というのが僕の絵。描いてゆくだけといっても容れる範囲、地平の高さ、描く

べき物の取捨選択、デッサンに狂いはないか、線の性質などなど沢山のことを同時に考えな

がら進めるわけだから疲れている時はだめだ。1枚描いてもう1枚と欲張ってもたいがい2

枚目は集中力不足で紙の無駄になることが多い。ポイントを発見できても描くパワーが足り

ないので諦めて帰るときは情けない気分だ。絵は指が動けば描けそうなものだが実際は気力

によるもので、気力は体力によるところが大きいから、絵は体力ということになる。バンド

に熱中していると絵を描く体力が残らないのでまずいなとは思っているのだが、今やってい

るバンドは僕の音楽生活の総決算と考えているのでクビにならない限りあと4、5年は続け

たい。それから先は絵をたくさん描けるような暮らしかたを模索していこうと思う。


97.6月 ほんとの直線(S君の問いに答えて)

そう、この世にほんとの直線はない。直線に見えてる範囲でだけ直線なんだ。

C 目の前に道路があって左右に延びているとしよう。

左を見れば遠くが高くなり、右を見ればやはり遠くが高くなるよね。それぞれ別の絵ならい

いけど1つの絵にしようとすると直線にはならないよね。これは1つの絵にできないんだ。

1度に見えないものを1枚の絵に入れようとすれば矛盾が出てくる。直線とか遠近法とかの

理屈がどうにか成り立つのは、頭の向きをかえないで見える範囲でのことだ。


D 論理で突きつめると四角い紙一枚、描けなくなる。僕たちが見て知っていると思ってい

る世界は瞬間瞬間、部分的に見えたものを頭の中でつなげて組み立てたものであって、本当

はどんな世界なのかわからない。目が見えない人は遠ざかる道をどんなふうに考えていると

思う? 遠くが狭くなるなんて思っていないかもしれない。目が見える人でも右目と左目で

はかなり違って見えているし。どんなに正確なデッサンも近似値にすぎない。デッサン力と

は近似値を使って真実のように見せる力だ。その真実は心が直感で捉えるものだ。


97.11月 相対性理論

S君から相対性理論の手ほどきを請われたが残念ながら僕にもよくわかっていない。でも、

時間や空間の尺度がとても大きくなったり、逆にとても小さくなったりすると日常の常識が

成り立たないということが信じられればそれでいいと思う。直線はまっすぐとは限らないと

か、まっすぐ進めば出発点から遠ざかるとは限らないとか、こういうことは地球のモデルで

も理解できてしまうので、銀河や超銀河のレベルではどんな不思議なことが起こってもおか

しくはない。前号の話しの続きになってしまうが、僕たちにはこの世のすべては近似値でし

か捉えられない。僕たちの日常生活の範囲ではそれでほとんど問題は起こらない。逆にいえ

ば厳密に考えないことで僕たちの日常生活は成り立っている。厳密に考えると例えば土地の

面積なんか単純に縦カケル横ではなくなるし、時間の約束も難しくなる。ドレミファソとい

う音階だって近似値だってこと知ってる? 純正律、平均律、ピタゴラス音階とか色々あっ

て一長一短なんだそうで、現在一般的には平均律のドレミファソが使われている。音楽は数

学的というがそれほど厳密でもないのだ。もっと人間くさい話題にしよう。「私」という概

念・・・。どこまでが「私」だろうか? 爪や髪の毛は私だろうか? 分泌された胃液は

「私」だろうか? 私の体のどこまでが本当に「私」なのだろうか? 日常は皮膚で囲まれ

た中身と若干の付属物を「私」と考えていてそれで間にあっているのだが、もし臓器提供と

いうことにでもなればそうは言っていられなくなる。物質的に曖昧である以上に心はさらに

曖昧だ。「私」がわからなくなってしまった人がたくさんいるし、多重人格というのもある。

生と死の境も近似値だ。このように「私」が近似値なのだから他人は推して知るべしだ。恐

ろしいことを書いてしまうが僕とS君、O君との関係も親友とは言いながらやはり近似値な

のだ。友人、親子、夫婦、兄弟、すべてわかっているようで本当にわかってはいない。それ

を悲しいこと、ととるか面白いと考えるか。僕は面白いと思っている。自分にどこまで近づ

けるか、妻や子そして友人をどこまで理解できるか。


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