小文集’2001
01.1.9 あけおめことよろ21
昨年のお正月は2000年問題が騒がれたが、今年は新世紀騒ぎもなく年があけた。
世紀の数字は500年代が6世紀というようにズレがあって、歴史の勉強の妨げになった。
最初の100年を1世紀とせずに、99年までを0世紀とし、100年から199年までを
1世紀としてもらえば歴史がもう少し好きになれたかも。満年齢と同じ考え方だ。どっちみ
ち血生臭くていやな勉強だ。元日の午後、江の電の腰越駅から七里ケ浜づたいに陽をあびて
12世紀の鎌倉へ歩いた。
01.2.1 あいだにあるもの
滑らかにつながっているものを切り分けて考える1つの例が春夏秋冬。時代区分や様々な
分類。分けることでものがよく見えてくる反面、区分した先入観でものを見てしまいがちだ。
2月は冬だ、とかハタチになったら大人だ、とか女でなければ男だ、とか。そこにデジタル
思考の利点と欠点がある。0と1の間に無限の小数や分数、無理数がつまっている。ドとレ
の間にも無限の音がつまっている。緑と黄緑の間にも。娯楽と芸術の間。アマとプロの間。
表と裏の間。
01.3.6 音楽 と 美術
音楽が放送やCDなどのメディアを使って複製品として過剰なまでの生産・消費・流通をし
ているのに較べ、美術はさびしい。たれそれの新しい絵が大ヒットしたとか、版画のニュー
アルバムが売れているとか、そういう話にはならない。音楽は商品になりすぎているが、
美術は一部の人のものでしかない。これからは美術作品の流通革命がすすんでほしいと思う。
01.4.4 春
春まっただなか。寒と暖がめまぐるしく交替しながら、こぶし、もくれん、えにしだ、ゆき
やなぎを花ひらかせ新緑へと向かう。いま人の目は桜に奪われているが、どの樹木も春の変化
をしている。古い枝に新しい芽が膨らむ。人もそうでありたい。
01.5.1 治 っ た ?
例年、花粉アレルギーがやっと終わるのが今ごろ。ところが今年、症状がほとんど出なかった
。昨年もほとんど出なかったのだが半信半疑だった。今年も出なかったことで確信がもてた。
薬も飲まず、医者にも行かずに治ってしまった。勝った!という気持ち。本当は年のせいで感
じ方が鈍くなった、ということらしい。どっちにしてもありがたいことだ。ヒャッホー!!
01.6.1 画 集 完 成 !
昨年末に絵画クラスの高山さんの発案で進められてきた自主制作の画集が5月に完成した。
私と8人の生徒さんの各4枚づつの自選作品のカラーコピーをB4のクリアファイルにまとめ
たもので、なかなかの出来映え! 「えのぐばこ」というサークル名もつきました。18年の
成果と、9人の個性が満開の画集です。非売品ですが、教室でごらんください。
01.7.2 なんでもないということ
5月号で花粉症が治ってヒャッホーしたら、6月初めに2年ぶりの腰痛が出て快復に丸1ヶ月
かかってしまいました。しかも第3週末には風で高熱が出るというダブルバンチで、人の体の
もろさを味わってしまいました。しまいました。なんでもない状態というのは実は最高の状態
なのだということを身にしみて感じています。大好きな夏がひときわまぶしく近づいてきます。
01.09.01 過ぎゆく時
また夏が終わってしまった。真夏日が好きな私には、ちょっともの足りない8月だった。
朝晩の涼しさが季節の経過を告げる。過ぎた時は戻らない。でも私の体や心は「過ぎた時」が
つみ重なってできている。「過ぎた時」は消えてはゆかない。私の教室もたまった本や録音、
録画、アレンジした譜面でいっぱい。これらの過去がビレッジ教室をつくっている。
01.10.6 無 題
小学生のころ、戦争は昔の話で今はもうこの世に戦争はないのだと思っていた。そうではない
と知った時、ずいぶん驚いた。それでも戦争は特別な所でだけ起きているのだと思っていた。
実は平和な国のほうが少ない、という悲しい現実。人はネコより賢くなれるのだろうか。
01.11.5 パソコンが新しくなりました。
バンドのメンバーが私をむりやりIT化してインターネットにひきずりこんでしまいました。
Eメールで連絡がとれて便利なのだそうで・・・。FAXで十分だったのですが。まあ、ブル
ーグラス関係のホームページが見られて結構たのしい面もあります。ワープロも一太郎から
ワードに変わったので、この文章も四苦八苦しながら作ってます。目が疲れるう!!!
01.12.1 いろいろありました。
個人的には座スペース(バンド)への加入(1月)、最新パソコンの導入(9月)、父の逝去
(9月)、娘の独立(11月)など、そして私をとりまく世界は激動の中。テロ、戦争、狂牛
病・・・。千年前と変わらない青空の下で、人間だけが落ち着かない。千年後の青空は人間が
なくしてしまうかもしれない。人間が増えすぎた、とも思う。ものを作り過ぎると思う。