小文集’2004


04.1.5       想 像 力

 創造力は無かったものを生み出す力、想像力はあるものを思い描く力である。イランや

イラクの人々のようすをどこまで想像できるだろう。知ってはいても目の前に見えていな

いことは想像しにくい。メディアが報道しない国のことも想像がむずかしいが、世界の

平和は想像力から始まる。


04.2.2      北 緯 4 5 度

 ¥100ショップで買った世界全図をトイレに貼った。東京から左へ目を移してゆく。

まず韓国、そして中国、チベットをへてインドの北部、パキスタン北部。戦乱のアフガニ

スタンは日本の本州・九州とほぼ同じ緯度だ。つぎのイランはかなり広い。首都のテヘラン

は東京とほぼ同じ緯度。そして毎日報道されるイラク。首都バグダッドは福岡くらいの緯度

か。そしてシリア、レバノンをへて地中海に出る。これらの国の子供たちを想像する。


04.3.1         時 の 流 れ

 昨年、歳が明けたと思ったら夏が来て秋になってしまった。今年も始まったばかりのような

気がするのにもう3月だ。時間の流れがはやい。それを嘆くよりも、ありがたいと思いたい。

苦痛があれば時の流れは重くなる。10日間に感じる苦しい1日より、1日に感じる楽しい10日間

のほうがいいに決まっている。世界中の人が時の流れをはやく感じられるような日がいつになっ

たら来るのだろうか。


04.4.1           想 像 す る と

 牛や鳥の病気が社会問題になっているが、肉を食べるということは恐ろしいことだ。20

年かそれ以上前にそのことに気づいてから、私は肉をあまり食べない。味つけの一部として

使うくらい。牧場の牛のやさしい大きな目を想像し、その牛が屠殺される光景を想像すると

単純においしいとは思えなくなる。売場の肉を見て、つくる料理よりも殺される牛を想像し

てしまう。肉食は必要最小限にしたい。


04.5.6            幸 せ

 痛みを味わうと痛みがないことの幸せに気づく。痛みのない状態がつづくとやがてその

幸せに慣れてしまう。どこかにもっと幸せがあるように思ったりする。幸せのてっぺん近

くにいても気がつかなかったりする。想像力が眠ると慣れが心を錆びつかせる。腹痛は心の

錆を落としてくれる。いい映画も同じ。「コールド・マウンテン」はよかった。


04.6.3            水 芭 蕉 音 楽 祭
 初夏、梅雨入り前のさわやかな青空の日がつづいている。演奏ででかけた南会津の山あいの

村は緑のグラデーションにつつまれ、春ゼミが歌っていた。私たちも歌い奏で天国のような

3日間をすごしたが、音楽祭を企画した7軒のペンションのオーナー達にとっては、生き残りを

賭けた背水の陣のプロジェクトであり、実現までの苦労は大変なものであることを知った。


04.7.1     夏 の 光 (詩)

 空き地の草が夏空にむかって
  ひしめきあいながら伸びてゆく
 燃える緑に私の心は共振をはじめる
 記憶の夏があざやかによみがえり
  まぶしい光につつまれる
 生まれてくる前からあったような気がする夏の光


04.8.2    学 校

 多くの子供たちにとって昔は楽しい場所であった学校が、今はとても恐ろしい場所になっ

ていると想像する。遊びをうばわれた子どもたちは神経質でこわれやすい人間関係の中で

身がまえながら、その日を何とか無事に過ごすことを念じているのではないだろうか。

あたりまえのように続いている義務教育は本当に必要なものだろうか?

郵政よりも、道路よりも、重要な問題だと思うのだが。 


04.9.1     夏が終わった・・・

 箱根のブルーグラス・フェスが終わった。アテネのオリンピックが終わった。

スイカが終わった。誕生日は3月だが、夏が終わるとひとつトシをとった気がする。

さんざん練習を積み重ねたオリンピツクの選手でもプレッシャーと闘わなくてはならない

、ということが同じ人間としてホッとしたりする。体の鍛えとコントロール、それと同じ

くらい心の鍛えとコントロールが必要なのだと痛感した毎日、毎晩だった。


04.10.1    4 3 年

 9月に中学の同窓会があった。教室に入ることができた。教室は当時とさほど変わって

いなかった。自分たちだけが変わっていた。でも43年前の自分もそこにいた。おじさん

になったM君の中にも、あの日のM君がいた。この日、私のタイムマシーンは43年の時空

を何度も往復し、時間の平衡感覚を失い、脳細胞が興奮して中々寝つけなかった。

43年のなんという短さ・・・。


04.11.4     長くて短い時間 (1)

 同窓会の話がつづくが10月には小学校の同窓会があった。2年前に何十年ぶりかで

出席した同窓会だが、そのとき会えなかった人もいたので晩秋の雨の中、5つの電車を

乗り継いで行った。千葉県の流山市である。4年生までそこで暮らしていたが思い出は

明るくない。私の心が内を向いてちぢこまっていたからだ。しかしふるさとの友はそんな

私に同窓会を知らせてくれた。
そして2年前、昔の自分に会いに行った。温かい人たちが

いた。私の心の中のふるさとが温かいものに変わりはじめた。


04.12.1     長くて短い時間 (2)

 子供のころには戻りたくない。自分に自信がもてず自分がきらいだった。青の時代は

中学までつづく。高校で美術部とマンドリンクラブに入り、友を得て青の時代は終わった。

この3年間の部活動が今の仕事につながる。大学時代は迷いの中にあってブルーグラス・

バンドにひとときの安らぎを得た。卒業までには迷いをぬけだし、教員となって平塚へ

来た。それから35年半がたつ。


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