小文集’2014
まとめるにあたって原文の一部を書き直しています。
2014.1.6 個 性
人間の脳の働きが共通であることによって、たとえば一緒に見ている空の色を同じ青に
感じることによって、人と人はつながり言葉が通じ孤独でなくなる。だから感覚は共通で
なくてはならないが、そのあとは人によってちがってくる。たとえばその空の色から何を
思い出し、何を考え、何をし始めるか。入力が共通でも出力はちがうということだ。
入力と出力の間にはその人独自の何かがあり、それが個性なのだが個性はわざわざ作るもの
ではない。いつのまにかできてしまっているものだ。絵も音楽も個性は出そうとしなくても
出てしまう。それよりも人に共通に伝わることを大事にしたい。
2014.2.1 過去を形にする
パソコンで表を作るソフトのエクセルで自分の年表を作り始めた。1年を1月1日から
12月31日まで縦一列に日付を入れる。その右の列に音楽活動、その右に絵の活動、その
隣に私事、その3項目だけ。たとえば*月*日 *バンド練習 海岸スケッチ 歯医者とか。
特にない日は空欄となる。2013年から過去に遡って20年分くらいを入力した。毎月の
教室のスケジュール表や手帳が元だが入力は中々大変だ。こんなものを作って何の役に立つか
わからないが作ること自体が楽しい。20年も前のことはけっこう忘れていてACとかGG
とか自分で書いた略号の意味がわからない。やっと、アカデミー、ガンディガン(店の名)だ
と思い出す。月日の流れは速いが、こんなにたくさんの過去があったのだと感慨深い。人生を
味わい直している。
2014.3.1 記 憶
パソコンで自分の年表を作りはじめたと前号に書いた。その作業はまだ続いている。この教室
を始めてからの32年分だけでも中々の量で、あとまだ7、8年分残っている。子供が幼いころ
にもっと遊んでやればよかったと思っていたが、スケジュール表には「子供と公園」とか「子供
とプール」とかけっこう頻繁に出てきて、思っていたよりも子供と接していたのがうれしかった。
最近、茂木健一郎さんや養老孟司さんの脳科学の本をよく読むが記憶というのは不思議なものだ。
コンピーターなら文字でも画像でもそのままが全て保存されるが人間の記憶は取捨選択され、編集
されて保存される。その過程で捨てられてしまったものを過去の記録や日記、写真などで取り戻す
ことができる。自分の大部分は過去でできている。
2014.4.4 私 の 始 ま り
3月が終わりまた一つ年をとった。67才である。ここまで生きてこられたことをうれしく思う。
67年前に私は誕生したがその10か月ほど前に私は受精卵としてスタートした。そういう意味では
昔のかぞえ年の方が正しい。しかし物心ついたのは3才か4才なので意識としての自分はそこから始
まる。受精、出産、意識、どこが自分の始まりだろうか? それはたぶん決められないし決める必要
もない。私の終わりも同じようなものである。
2014.5.8 止 ま る 時 間 (1)
たまに日本舞踊を見る機会がある。日本舞踊では時々ポーズを決めて動きを止める。外国の踊りには
ふつうこういう部分はなく最後まで動き続ける。始めはそれを単なるひと休みかと思ったがどうもそう
ではなさそうだ。この静止部分こそが一番大事なところで、動いているところはそれをつないでいるの
ではないだろうか。そうだとすれば動き続ける外国の踊り(音楽も)と静止を中核にする日本の踊り(
音楽)のちがいはとてもおもしろい。
2014.6.2 止 ま る 時 間 (2)
前号で日本舞踊のキメのポーズについて書いた。それは踊りの単なるひと休みではなく、重要な部分
なのだろうと。そこではフッと時間が止まったような気持ちになる。西洋音楽にはフェルマータという
目のような記号があって英語ではポーズという。静止と訳されるが音楽は止まらずに続いている感じが
する。音は伸びても時間は止まらない。日本の踊りや音楽の中のポーズはそこでフッと時間が止まる。
一瞬音楽が消えてなくなる気がする。西洋音楽には時間は常に流れているという暗黙の了解があるのに
対し、日本の音楽は時間を動かしたり止めたりする。止まった時間を味わおうとしているのではないか。
2014.7.1 個展ご支援ありがとうございました。
6/19〜24の4日間にわたる「西村丈彦・絵と音の個展」が皆様のご協力で無事終了いたしました。
よい個展ができました。厚く御礼申し上げます。特に搬入・展示・搬出・演奏でご協力いただいた生徒
さんやOBの方、会場へ足を運んでくださった皆様、絵を買ってくださった皆様、本当にありがとう
ございました。私にとってこの個展は1つのゴールであり、同時にまた1つのスタートでもあります。
終わりは始まりです。少しでも画家に近づいてゆけたらと思います。次回11月もよろしくです♪
2014.8.4 あの世 と この世
「この世界」と「この世」とではニュアンスがちがう。「この世界」と言うときは私はこの世界の中に
いるが、「この世」と言うときは「あの世」と「この世」を外から眺めている。人それぞれだが私の「
あの世」は生まれる前と死んだ後の両方を併せたものだ。その中間に存在する「この世」も裏では「あの
世」が続いており、「あの世」の中に「この世」があると感じている。「あの世」には何もない。空間も
時間もない。何もないから美しい。現代科学がたどりついた宇宙の誕生以前の世界こそが「あの世」だと
思う。スイカがうまい!
2014.9.1 く り 返 し (1)
また夏が終わった。何十回もくり返してきたこの気分。くり返しながら先へ進む不思議さ。目覚めて寝
る毎日のくり返し、教室だよりを作って月謝をいただいて家賃を振り込む毎月のくり返し、箱根のフェス
が終わって秋が来て冬が来て青色申告の春が来て、再び夏に向かう毎年のくり返し。それがいやだとか、
うれしいとかいうことではなくて、この世のこういう構造がおもしろくて不思議なのだ。そしていつかくり
返しは終わる。私がいなくなったこの世もいつか消えてなくなる。
この宇宙が存在したこともわからなくなる。
2014.10.1 く り 返 し (2)
前号にこの世の「くり返し構造」について書いたが、その周期は1年、ひと月、1日という長いものから
オシッコのように2時間、呼吸のように数秒、脈拍のように1秒以下という短いものまでが重なり合って私
の時間を作っている。それはちょうど一本の弦の振動の中に倍音と呼ばれる沢山の振動が隠されていて、そ
れで豊かな音に聞こえるのとよく似ている。私という一本の糸の中でたくさんのちがう周期がくり返されて
いる。生きているということは実に不思議なことであり、この世は実に不思議なところだ。この世の不思議さ
に驚きつづけて67年たった。
2014.11.4 個 展 (1)
ちゃんとした個展は初めてだというのに今年は2回も行う。思いつくと盛大にやっていしまう癖がある。
いままでの自分の絵をいったんまとめてみたいと思った。水彩と油彩は自分にとって違う世界なので個展を
2つに分けた。6月に終えた水彩展では並べた40枚の絵を毎日眺めて自分の絵はこういう絵なのだとわか
った。今後もそれほど変わらないだろうと思った。油彩展は今月の20日からだが30数枚の絵を毎日眺め
てどんな感想になるだろうか。たぶん水彩とはちがう答になるだろう。30年も人に絵を教えてきたが今や
っと画家への第一歩を踏み出した気持だ。
2014.12.1 個 展 (2)
今年は2回の個展を実行して多忙だが実りある年になった。充分に実っての刈り入れとは言えないが収穫
はあった。年代順に並べた油絵を6日間眺めて必ずしも進歩してはいないと思った。しかしこれからの展開
は期待できると思った。次の個展は2年後か3年後になるだろう。古希記念の個展かな。この世に絵と音楽
があってよかった。それを仕事にすることができてよかった。年賀状はどなたにも出しません。あしからず。