<<10月9日>> 東北の山の中の気温をなめてた。『平地より2〜3度低い気温です』と案内にあったように、マジ寒かった・・・・。 夜中、寒くて何度も目が覚め、シュラフチームの長男・娘も『寒い・・・』とつぶやく。 長男は着込んで再度シュラフへ。娘に毛布かける?と言っても要らない、と(怒)。そうですかーー。 毛布チームの旦那と私は真ん中の次男に寄り添う。次男は体温が高い(笑)。あったかい〜^^ おかしいなぁ〜去年秋のキャンプでは同じ装備で暑いくらいだったのに。小さい空間のテントだからなのか? 朝方が寒さのピークで、ヒーター借りればよかったと後悔しきり。
30分ほどで出発。山を下ると左側に線路があるはずで、平走していきます。 陸前戸倉駅。6月よりあまり変化が無いようです。 6月の様子 震災前の陸前戸倉駅 水門周辺はキレイに片付いてました。それにしても三陸沿岸は水門が多いなぁ〜。 これを閉めに走って亡くなった方も多いそう。 前回 通った水尻橋は簡易橋から仮設橋に格上げになって気づいた時には通過^^;。 旦那が運転なんで止まって欲しいところで停めてくれません。 とりあえず入った道の先が浸水していて、向こうから来た車のおばさんに『この先通れないわよ〜』と言われちゃいました。 目標物が無いからココはどこか分からん。 空き地に停めればいいのに道の脇に車を停める旦那(怒)。 停めてたらおじさんが話しかけてきた。私と子供はすでに歩き始める(笑)。怒られるか?! どうやらウチの車の湘南ナンバーをみて話しかけたらしい。 このおじさん、開成町に20数年住んでいて、懐かしくて話かけたらしい。なんだ〜^^; しばらく話して、『ゆっくりしていってよ』と言って別れたようです。ゆっくりします。 この画像の左側(海方向)に公園があったようです。 その公園にあった機関車。遠目で見て、なんだ?と思ったら機関車でした。 元あった場所から20m流されて横転したようです。 画像左が瓦礫の山で、ここが公園だった場所のようです。 機関車の脇に倒れていたチリ地震津波の記念碑。どこから流れてきたんだ? その先にあったのがこれ。昭和の大津波の碑なのかな? 『異常な引潮津浪の用心』 津波は必ず来る。必ず逃げる。忘れないで。 鉄骨だけになったさかなのみうらさんの以前の店舗。6月同様、この方達が中心となって支援をしている拠点に荷物を届けます。 ↓こんな石碑も見つけました。機関車の近くにありました。 『昭和8年3月3日 大震嘯災記念 地震があったら津波の用心』 右側はもともとの石碑の状態。かなり大きい・・・。 三陸沿岸の各町は昔から津波に襲われていて、その教訓にこのような石碑が至る所にあるようです。 教訓が教訓になったところもあったし、教訓が忘れ去られて被害が大きくなったところも。 災害は忘れた頃にやってくる。昔の人の教訓は絶対忘れてはいけないですね。 ここは松原公園と言って、モアイ像やコンドルの像もあったらしいけど、どこに行ってしまったのか見当たらず。 公立志津川病院は解体作業が進められているのか窓枠が外されて外に投げ出されていました。 三階建ての確か警察の官舎だったところにまだ車が。これは残すのかな?6月の様子 この周辺ではボランティアチームが作業をしていました。 また近くにあったセブンイレブン、6月の時点では移動販売の車だったけど、現在はプレハブの仮設店舗で営業再開しています。 坂道を登って商工団地内に入り、さかなのみうらさんの拠点へ。 友人から預かった女性用の大きいサイズのフォーマル系の服を持って行きました。 恰幅の良いおかあちゃんばかりだそうで^^;、前回もビッグサイズのブラジャーなんかをお持ちしました。 今回もふつーの服ではなく、ちょっとフォーマル系のスーツや厚手のコート。サイズは13,15,17号と貴重?サイズ。 ただ服が服だけに必要なのか?と思い、事前に電話で確認。 大きいサイズなので欲しい方は居ると思います、との事。よかった。 汚れ、ほつれ、破れ、などなどフリマ好きの私としては厳しくチェックしてから持って行きました。結局、半分は落としたかな。 今回もたくさんのボランティアの方が仕分け作業をされていました。たくさんのこたつが運ばれていて大変そう。 震災から7ヶ月が経って、ちょっと忘れられちゃってる感もありますが、まだまだ支援は必要です。 忙しそうなので、預かった洋服類と別途購入したここでの必要物資を少しながらお持ちしました。 頑張って、としか言えないけど、頑張って下さい。 国道45号を北上します。道路の上に両サイドが落ちた橋が見えました。 画像の奥から私たちは来ました。橋をくぐって停車。 向こうに駅が見えたので近づいてみます。 JR気仙沼線 清水浜(しずはま)駅でした。階段の上の高台にあるホームまで津波が押し寄せ、フェンスがなぎ倒されています。 上の画像の駅の階段下の青い物体は、自動車整備工場なんかにある大きなリフトでした。 昔から津波の被害が多い地域で、線路も駅も高台の山陰に設置。 にもかかわらず被害は食い止められなかった。それだけ大きな津波だった。 ホームから気仙沼方向。橋桁がなくなってる。駅看板も倒れたまま。 駅から海方向。ここにも水門。津波はこちらからやってきて・・・ フェンスを倒し、ホームを越え、 山側奥にまで到達。一面なにもない。 ↑志津川方向。ホームの途中から線路が曲って落ちていました。津波はこの先奥からも山を回って押し寄せたようです。 この先の高い木にも布団や瓦礫が引っかかっていて、奥の畑にも到達。逃げ場が無いよね・・・。 地元の方でしょうか?数名を連れたって、駅下周辺を案内していました。連休だから県外から親戚?が来てるのかな? 私たちが駅から下りた後、このチームも駅へ登っていきました。 次へ続きます。
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