釜石に近づいた頃、巨大なクレーンが目に飛び込んできた。
あそこの湾からかなり離れてるけど、それでもこんな大きく見える巨大クレーン。
帰宅後のニュースで、陸に打ち上げられたアジアンシンフォニー号を海に戻すためのクレーンだそう。

陸に打ち上げられた船で2番目に大きかったアジアンシンフォニー。堤防を突き破って道路を塞いだ為、通行の妨げになっていたそう。
この作業が20日だからこの日(9日)は作業準備だったのかな?

釜石湾に近づいた時、間近に見えたんですけど写真に撮れず。とっさの景色は付いていけず>娘。




娘の目線で撮った写真。











大槌病院ってことはこのあたりが大槌町。







巨大な水門が見えてきた。見覚えのある水門。




破壊された防潮堤。




見覚えのある防潮堤横の道路。




ここは宮古市だ。テレビ番組で宮古市の震災時のドキュメントがやってた。この上の道を走って津波に襲われ間一髪で逃れた車とか。
↓ここが宮古市役所。正面の防潮堤から黒い津波が溢れて町を襲った。




何度もテレビで見た世界一の防潮堤。田老地区だ。



西日の逆光でボケボケですが^^;
北リアス線・太郎駅。高台にあり駅自体は被害が軽微。
駅併設の観光センターが津波の直撃を受け骨組みを残すのみ。


この防潮堤に守られて、津波に強い町のはずだったのに。
住民のおじさんが言ってた『防災都市宣言』なんてしたから安心しきてったんだ、と。




津波が来ても真っ直ぐ逃げれるように、海から垂直に山へと伸びる道路と角を落とした四つ角。
これが皮肉にも津波を奥の地区へと通す水路になってしまったそう。
テレビでは奥の墓地へ逃げる人々が映し出されていた。




ぽつんと残った建物の防潮扉から防潮堤の向こう側に行ってみました。




こちらもなーんにもない。




破壊された外側の防潮堤。




防潮扉だけ残して両側が破壊されてました。




防潮扉から一直線へ中学校に向かう道。生徒は逃げ切れたよね。




道の駅たろうに到着。
ここは内陸にあるので被害なし。

全国の道の駅から応援品が送られていて、
ここたろうでも岐阜の道の駅から送られた陶器が売っていました。

娘のお茶碗にヒビが入っていたので、
すずめ柄の可愛いお茶碗を購入。


そろそろ夕焼け。大きい水門が見えました。小本川にかかる小本水門かな?




沿岸部はどこもこんな状態。




広い土地が瓦礫置き場になっていました。




そろそろ日没。写真撮影も終了。このあと18:30の八戸入りに間に合わせるべく、走る、走る、走る・・・・・。
結果、18:15に予約していた寿司屋に到着。間に合った〜^^

義両親・義弟も一緒なので写真は無いんですが、ここでは八戸ばくだん丼を食べました!
こちら2010年1月に行われた『ふるさと祭り東京2010』の特別企画「ご当地どんぶり選手権」で準優勝したご当地グルメだそうです。
新鮮なイカとイクラをにんにく醤油で絡めた丼で卵の黄身を混ぜて食べます。味が染みてておいしい〜^^
八戸市内のいろいろなお店で出しているようで、食べ比べもしてみたいなぁ〜。
興味のある方は検索かけて下さい(笑)。

長かった9日がようやく終りました〜。お疲れ〜〜。


10/9B 10/10・11







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