ブログ・新築改装の日々のかをりさんに賛同し、4月23日、縁あって石巻のMさん宅に物資を届けました。その記録です。
*画像多し


ブロ友さん、姉より支援金を提供して頂き、
新品の灯油ストーブ2台、遠赤カーボンヒーター800W、
灯油18L×2を購入することが出来ました。

高校時代の友人にも声を掛け、たくさんの物資が集まりました。
運んだ物資・中古自転車、タオル類、毛布類、耐油ゴム手袋、
皮手袋、ビニール袋、ブルーシート類、コスメ、使い捨てカミソリ
歯ブラシ、生理用品、ポーチ、バッグ、照明、新品靴下、衣類、食品、
ラップ類、トイレットペーパー、キャリー、文具、灯油用ポリタンク、そして植物。

皆さんの思いがたくさん詰まった我が家の車で、いざ石巻に向けて出発!
東北道は白河から先がかなり荒れていました。
普段の高速道路ならこんな凹凸はありえないはず。
周りの民家も瓦屋根の家に軒並みブルーシートが掛けられていて、
地震の被害が大きかったんだと思い知らされます。

でもこの大災害で空路も海路も遮断され、とにかく陸路を何とかしなくては!
って頑張りがホント伝わってくる突貫工事(良い意味で)。

路肩が半分崩れている場所はパイロンで目印があります。
地割れや凸凹した部分は舗装を直してセンターラインは簡易白ペンキっぽかった。

それでも東北道が早く再開したおかげで被災地に物資が
届くようになったんだもんね。工事関係者に感謝。
自衛隊車両、災害派遣の車両、ボランティアを乗せたバスetc...
いつもと違った東北道でした。

橋のつなぎ目、高速の下を走る農道のトンネルなんかは凹凸が大きいので
あまりスピードを出しすぎると車がジャンプして操作不能に陥るので注意。
上り線で単独事故を2件見ました。
仙台に近づくと交通量もかなり増えてきました。三陸道が渋滞していると予測して大和ICまで行き、そこから道の駅おおさとへ。この周辺はところどころ道路がボコボコで地割れがあったりしいますが、スーパーもホームセンターもコンビにもガソリンスタンドも通常営業。灯油もここで調達して行きました。


松島方面に進み、松島大郷ICから仙台松島道に乗り、そのまま三陸道へ。『三陸道渋滞』と表示されていましたが、海沿いの道の状況が掴めてなかったので渋滞覚悟で三陸道に乗りました。・・・がしかし、首都圏の常時渋滞を経験している人は、ゆっくりでも動いてるので渋滞って言えないかも^^;そんなに時間は掛かってません。


だんだんと石巻に近づいてくるとなんとなく様子が変わってきます。川の土手にはゴミ?ガレキの一部??
堤防は乗り越えてなさそうだけど、ここまで津波が上がってきたんだ〜って分かる瞬間。
石巻南ICを降り、国道45号線を目指します。45号線に近づくとガレキが散乱していました。・・・コレが津波の被害か・・・。




ただこのあとの45号線は回転寿司が再開してたり、津波の被害はあるけどかなり片付けが進んでいているようでした。
更に様子が変わったのがこのあたり。↓45号線から国道398号に右折で入り渡った大街道新橋。




車がいっぱい。これって運河に押し寄せた車。折り重なった車がそのまま放置。あまりの変わりようにただただ言葉が出ず。
この先にヨークベニマルの看板。あぁスーパーは再開してるんだ。ガレキはあるけど端に寄せてあるし。ここで買い物していこう・・・・
・・・と思った瞬間・・・





駐車場は片付けてあるし、建物はしっかりしているようだけど中身は津波に洗われてからっぽ。
どうやらこの付近はかなり被害が酷かったらしく、運河の左右から津波が押し寄せ道路に大きい陥没穴が出来、
そこに車が何台も流れたそうな。最初の橋のたもとの写真はその名残。駐車場が片付いているのは炊き出し等があるためでした。
陥没穴があるため国道は通行止め。道を大きく迂回し、かをりさんのブログでも見たカメラのキタムラの交差点へ。
本来ならストレートで行ける道。通行止めになってるので国道は大渋滞。





紺色の線が私たちが通ったルート。丸印のスーパーがヨークベニマル。
本来ならタイヤ館とヨークベニマルの間の道が通れるはずなんですが、ここに大きな穴が出来て通行止め。線のように迂回が必要。
日産とある交差点の角がカメラのキタムラの交差点。ここの信号は4月23日現在も使えず、警察官の手信号でした。










道路は片付いてるけど左右は車がどっぷりそのまま。従業員も被災しているのでお店の片付けはまったく出来ていない感じ。
それでも大きなお店(車のディーラーやコンビニ)は片付けが進んでいて、『4月27日再開』の看板があるコンビにも。

なんか言葉が出ないと言うか、車の中でカメラのシャッターに手を掛けたまま呆然と風景を見ていたようで、
ここからMさん宅を出るまで写真を撮っていませんでした(汗)。
避難所?(校庭にテントがいっぱい建ってた)になっている学校のプールには1BOXがどっぷり浸かってるし、
ただただ見つめるしかない、と言った状態。一緒に行った末っ子くんも外の風景に固まるだけ。





大して迷わず、Mさん宅に到着。ちょうど水没して動かなくなってしまった車がレッカーで運ばれていくところでした。
Mさんご家族はとても元気で安心しました。 かをりさんの話してた『元気でした』と言うのがホント当てはまる(笑)。
ご夫婦とも気さくな方でウチの旦那も普通に話せて(旦那は人見知り)逆に安心(笑)。
いろいろとお話をお伺いして、ご自身も被災しているんだけど、すごく前向きでした。

石原軍団の炊き出しの話も、炊き出しの拠点は被害の少なかった避難所で行われて、避難所の人には良かったけど、
車で見物に来た人もたくさんいたらしく、車の無い在宅避難者には全く炊き出しの恩恵に預かれなかったそう。
確かに色んな問題もあって被害が大きかった場所での炊き出しは難しいとは思うけど、
同じ避難所じゃなくてもっと報道されない小さな避難所とかに行けばいいのに。。
食べる物が無い、温かいものが食べたいでも行けないのは在宅避難者も同じだと思うんだけど。

ずうずうしくお茶もお昼も頂き(汗)、14時過ぎMさん宅をあとにしました。
このあと街中を見学。あいにくの雨で車中からでしたが、ちょっとここで思うことが。
私たちは他県ナンバーで、物資を運んできたんだけど物資を下ろした瞬間から野次馬と同じになってしまう、と。
ちょっとした葛藤もあったけどやっぱり見て感じて伝えなければと。

1ヶ月以上が経ってもこの有様。










車内からの撮影だと窓の水滴が映ってしまうので、窓を開けたとたんなんともいえない悪臭が。
雨が降ってるのにこの悪臭とは・・・・。晴れて暖かくなったらどんな酷い臭いになるかと思うと恐ろしい。
ヘドロや水産物の腐敗臭、まだ見つかっていない遺体もあるようで、この臭いは正直辛い。















向こう側に見える橋もこの後渡ります。







↑工場のシンボル缶詰の看板。もともと工場前に建っていました。この道路沿いではなくもっと海より。
中央分離帯でくちゃっとなって倒れてました。

下の地図、丸印の石巻水産の工場から赤丸のところまで流された缶詰。
矢印の通りに走りました。





お店も外観だけ残して中はすっからかん。津波が全て持って行ってしまいました。





雨が降ったり潮位が増すと水没しそうなくらい。




それでも桜が咲き、鯉のぼりが泳ぎ、前を向いている気がする。




中心部商店街はだいぶガレキは片付いた感じだけど、まだまだこんな状態の場所が至る所に。





『見ていってください』 『あの状態を見たら考え方が変わる』と言ったMさんご夫婦の言葉。
『本当にこの状態から復興できるとは思えない』と言う気持ち。すごく重いです。
でも必ず元の街以上に素敵な故郷、街になるはず。

このあと比較的被害の少なかった蛇田のイオンで日本酒一乃蔵を買い溜め(汗)。
20日に再開したばかりだけど、雨なのにすごい人出&車の数。
帰宅後知ったんですが、どうやらアニソンのライブがあったらしい。混むわけだ。

この時点で夕方4時。車中泊にはまだ早い。かと言って渋滞もしてるし、雨も降ってるしで、結局仙台まで行くことに。






仙台編






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