思い出の写真
       かけがえのない大切な人達 

「唯一の父の写真」
幼い頃「パパそっくりね」と
言われるのがとても嬉しかったです

「若き日の母」
本当に身も心も美しい人でした

カーヌおじさんと私
兄が経営する「アンコル・トム」(町田)
カンボジアレストランにて

    くつろぐカーヌおじさん
 芸術家であり、哲学者でもあるカーヌおじさん。
 両親の次に、私が最も尊敬している人物の
 一人です。母のたった一人の血を分けた
 弟に当たります。
 しかし残念ながら、2002年4月1日に、
 アメリカの自宅にて永眠致しました。
 ご冥福をお祈り致します。

プノンペンの自宅の庭にて
前列左からトー兄さん、母、私、オーク姉さん
後右はタル兄さん

 前列左 次男トー兄さん
 内戦中、私に焼き野ねずみを差し入れて
 くれたり、夜遅くまで一緒に畦作りをした。
 とても平和主義的な性格です。
   「色のない空」−明らかになる差別−

 前列中左 母
 どんな時にも、子どもには
 笑顔を絶やさない母。

  前列右 次女のオーク姉さん
 色白でえくぼがあって、ロングヘア、
 スポーツ万能の17才。
 内戦が始まって数ヵ月後、あっけなく
 この世を去りました。
 息を引き取る前、「日本に留学中の
 セタリン姉さんが迎えに来るの...」
 との言葉を残して...。
   「色のない空」−オーク姉さんの死−
 後列右 タル兄さん
 戦時中、高熱を出して仕事を休んだ私に
 「へびのスープ」を差し入れてくれた
 やさしい長兄のタル兄さん。
 今頃どこにどうしていますか。
    「色のない空」−タル兄さんの逃亡−

     自宅の前で、妹のナエット(右)と
  1975年4月、内戦の約一週間前にカーヌ叔父さんが
  撮影し、日本に持ち出してくれた写真。
  妹とは2つ違いですが、よく近所の方に「どっちが
  お姉ちゃん?」と言われます。
  それに、「ケンカする程仲が良いね。」とも言われます。
  全く何の罪もない妹も、殺されました。
          
「色のない空」−そして母たちが・・・−

        三女のマオ姉さん
  この写真は、中学三年生くらいと思われます。
  典型的なカンボジア美人です。
  強制労働で体を痛め、「仕事が出来なく
  なったから」との理由だけで殺されました。

    「色のない空」−そして母たちが・・・−

  生前のカーヌおじさんを囲んで

   トラ兄さんとセタリン姉さん
 カンボジアレストラン「アンコル・トム」オーナー
  であるトラ兄さん。(左)
  『私は水玉のシマウマ』(講談社)『アンコール・   ワットの青い空の下で』(てらいんく)の著者で   あるセタリン姉さん。(右)他人には優しく、妹で
  ある私にはとても厳しい2人です。
  スター家族対抗歌合戦
 今から20年前『スター家族対抗歌合戦』にきょうだい
 4人揃って招待されました。
  左から、トー兄さん、トラ兄さん、私、セタリン姉さん。
  右のお二人は司会者です。
   大好きなニーおばあちゃま
 身寄りの無い私達きょうだいの未来を心配して、
 命がけで共に国境を越えて下さいました。
 私たちは日本へ。そしておばあちゃまは、息子
 さんとアメリカへ渡りました。
 結局一度も再会出来ないまま、ニーおばあちゃま
 は、天国へと旅立ちました。
 本当にありがとうございました。
       ピンおじいちゃん
 実の孫以上に、私をかわいがって下さいました。
 とても心の温かい方でした。
 『これからの時代は、男も女もない時代になるん
 だよ。』と、素晴らしい言葉を贈ってくれました。
 この世におじいちゃんにめぐり合えたことは、
 私にとって大変幸運なことです。