ブラッド・ワーク

 マイクル・コナリーのベストセラーをクリント・イーストウッドが映画化した話題作だが、アメリカでは大コケ。その責任を巡って配給のワーナーとイーストウッドの関係も悪化したという。そのせいかどうか、日本でも2週間の地域限定興行となった「ブラッド・ワーク」。

 おかげで地元のシネコンには掛からず、やってきたのは横浜「相鉄ムービル」。平日、黄昏時の映画館で「ハリーポッター」でもなく「マイノリティー・リポート」でもないチケットを買ったのは、カップル一組、二組を含む男女が15名程。それぞれが適度に距離を空けて着席した館内には、倦怠、憂い、孤独といった気配がそこはかとなく漂っている。入れ替え制でない映画館の雰囲気も重なって、こんなもの哀しさは最近のシネコンじゃついぞ感じたことのない懐かしさだと、思わず昭和に還った開映前。

 場内暗転、予告編から本編開始と思いきや「神奈川ニュース」。あぁこういうのもあったなぁと、久しぶりの県の広報に懐旧の情は深まるばかり。やっと目当ての「ブラッド・ワーク」に辿り着いたが、都会の夜景にジャズが被さるオープニングがこれまた昔ながらのオーソドックスな空撮とサウンドで、実に60〜70年代的な感覚を思わせるリズムとタッチが申し分なく心地よい。が、しかし、この懐かしさの連鎖反応はどうしたことか。チケット売り場に時空の歪みでもあったか、どうも数十年昔にタイムスリップしたようだ。

FBIの凄腕分析官イーストウッドは重度の心臓疾患のため退職。心臓移植を経て隠遁生活を送っていたが、思わぬことから心臓提供者のトラブルを背負い込むことになる。

 ハードボイルド探偵にハンディキャップは付き物だが、それはあくまで心理的なものであって、身体の方は、殺しても死なないくらい頑丈だったりするのが通り相場。だから移植心臓というハンディを持つ、身体の弱いハードボイルド探偵という造形にコナリ−の独創がある。これを絵柄の面白さで表現するなら、見かけは頑丈だが実は虚弱という落差が主人公には必要だろう。ところが決して頑丈に見えない老齢のイーストウッドからはこの落差が生まれない。

 クリント・イーストウッドは原作のどこに惹かれたのだろうか。意外にも走り、拳銃をぶっ放し、タフな交渉をするイーストウッド。それは年令を考えたら健気としか言い様のない演技だし、この年令でこんな役をやる役者は他にいない。御本人はさぞかし充実感を得られたことだろう。しかもイーストウッドのすることなすこと、ほとんどハリ−・キャラハンなのだ。そうか、イーストウッドはダーティーハリーをやりたかったんだ。でもいくら動きたくても昔のようには動けない。その情けなさを、心臓移植者の設定で正当化できる。と考えたかどうか、しかし、移植心臓がパンクするというサスペンスが高まる前に、老衰で倒れそうな主人公に観客が戸惑ってしまうのは計算外だったろう。
 
 心臓移植なんて設定にせず、高齢を顧みず現役を通そうとするハリー・キャラハンという線で押したら、この作品はよほど面白くなったに違いない。実のところ、展開は快調だし、スコーピオンを思わせている悪党も、イ−ストウッドというより、ドン・シーゲルを彷佛とさせて、そうした懐かしさを感じさせる魅力もある。惜しむらくは、製作、監督、俳優の三人のイーストウッドのうち、最も発言力を持ったのが俳優だったこと。製作、監督がもっとしっかりしてたら、このキャスティングは無かったろう。良くも悪くもスターが作ったスターの為の映画。でも、うらやましい歳の取り方。枯淡の境地なんか逝かずに、「生涯一ダーティーハリー」。よれよれの裸さらして濡れ場もありだもんなー、なんだかんだ言ったって、結局やったもん勝ち。流石ですクリント・イーストウッド。

ブラッド・ワーク BLOOD WORK
2002年秋公開 (全米2002年8月公開)
監督・主演: クリント・イーストウッド
出演:ジェフ・ダニエルズ、アンジェリカ・ヒューストン