カート・ヴォネガット 「スローターハウス5」

 09年、4月13日、カート・ヴォネガット氏死去のニュースが新聞に載りました。僕はその時、たまたま「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読んでいて、とても悲しかったです。以下、新聞からの転載。

2007.04.12
Web posted at:  16:29  JST
- CNN/AP/REUTERS

ニューヨーク──皮肉とユーモアに満ちた作風で戦争の愚かさを描き、科学の進歩に疑問を投げかけてきた米小説家カート・ボネガット氏が11日に死去した。84歳だった。

妻で写真家のジル・クレメンツさんによると、ボネガット氏は数週間前、米ニューヨーク市内マンハッタンの自宅で転倒し、頭部を負傷していた。

米インディアナ州インディアナポリスのドイツ系移民の家庭に生まれる。第二次世界大戦中、母親の自殺直後にドイツ戦線に配属されるが、連合軍がドイツ軍の最後の反撃に対抗した「バルジの戦い」で捕虜となり、ドレスデンでの拘束中に連合軍の爆撃を経験。これが後に代表作「スローターハウス5」を生んだとされる。

「猫のゆりかご」「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」など少なくとも19作の長編小説を執筆し、多くはベストセラーとなった。作品には短編小説やエッセイ、戯曲もあり、講演活動も行って、因習に囚われない鋭い視点で社会を批評した。

長編小説の執筆から遠ざかった後も、2005年にノンフィクションをまとめた「A Man Without a Country」を出版。ブッシュ政権を「歴史も地理も知らない上流階級の劣等生」と批判し、地球の未来に懸念を表明した。

 カート・ヴォネガットの本は、ともかく読んで面白い。でも面白いから軽いというのとは全然違って、その内包するテーマはひどく重たい。そのひどく重たいテーマをさらりとした、ユーモアに富んだ文体で読ませてしまう、他の誰とも似てない稀有な文体を持った現代文学の最高峰の作家の一人だと思う。そして村上春樹は、特に初期の作品においては間違いなくカート・ヴォネガット・ジュニアの影響をもろに受けている。例えば、以下は「スローターハウス5」の冒頭の章からの引用。

 これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ、なぜなら作者は塩の柱なのだから。それは、こう始まる―

 聞きたまえ―
 ビリー・ピルグリムは時間の中に解き放たれた。

 そしてこう終わる―

 プーティーウィッ?  

 そして以下は村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の冒頭部分からの引用。

 もしあなたが芸術や文学を求めているのならギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が産み出される為には奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で思索に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ。夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。そして、それが僕だ。

 この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる。

 しかしこのような文体の酷似の例を挙げても、それは全く無意味な行為だ。むしろ村上春樹がカート・ヴォネガット・ジュニアから受け継いだものはその精神であるといってよい。人間社会を操る得体の知れない巨大な力と、それに翻弄される自己というテーマ、そしてそれをストレートに大仰ぶって述べるのではなく、ニヒリズムととれなくもない黒いユーモアを散りばめた文体によって語る、その姿勢だ。

「タイタンの妖女」―壮大で、コミカルで、そして皮肉な宇宙ファンタジイ。もうラストは涙もの。
「母なる夜」―ナチス・ドイツの宣伝省で高い地位にのぼり、今はイスラエル政府に捕らえられてアドルフ・アイヒマンの隣の独房で死を待ち受けるアメリカ人、ハワード・W・キャンベル・ジュニアの告白という形式をとった現代小説。
「猫のゆりかご」―嘘の中に生きがいを見出そうとする新興宗教、ボコノン教と、ふとした過ちからこの世界に訪れる破滅の物語。
 そしてドレスデン無差別爆撃を生き残った作者の戦争体験が、奇妙な構成、空飛ぶ円盤、時間旅行、トラマファドール星人といったSF的要素と融合し、まさに誰にも到達できない高みにまで昇華したこの作品―「スローターハウス5」
 僕のお勧めはこの4冊なのだけれど、カート・ヴォネガット、僕が一番好きな作家の一人です。

 ところでこの「スローターハウス5」はあの「スティング」「明日に向かって撃て」のジョージ・ロイ・ヒル監督によって映画化もされていて、これはなかなかの名画であります。機会が会ったら是非ご覧になってください。村上春樹さんもこの映画を見て涙が出るくらい感動したと、何かのエッセイで書いておりました。「タイタンの妖女」あたり、村上さん、翻訳してくれないかな。

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