1973年のピンボール
 
 初めて読んだ村上春樹の本は「1973年のピンボール」だった。確か大学2年生の秋だった。酒を飲んで友人のアパートに泊めてもらい、次の日の午前中も遅い時間にのろのろと起き出し、友人の本棚のふと目に付いた本を取り出したのがこの本だった。友人も「この本きっとお前が気に入ると思うぜ」というので何気なく読み始めら、もう止まらなくなってしまって、友人が出かけた後もその部屋にいさせてもらって最後まで一気に読み通してしまった。大学をサボったことなど、どうでもいいほど引き込まれていた。
 
 それまで家にあった世界文学全集とか日本文学全集とかを読み、好きな作家といえば北杜夫、遠藤周作、谷崎潤一郎あたりだった僕にとって村上春樹の「1973年のピンボール」はともかく強烈だった。なんと言うか、すごく身近な感じがしたのだ。今まで読んでいた本があくまでも文学という感じで、どこか一歩距離感を保っていたところに「1973年のピンボール」は僕の心にすっと入り込んできた。
 
 その頃の僕は付き合っていた女の子の影響で大学の演劇部に出入りしていて、芝居をすることは楽しかったのだけど、酒の席でくだを巻く連中のどこかじとっとした演劇論にはとことんうんざりしていた。今になって思うのだけれど、戦後の日本の文学って大体自我がどうのこうのって悩む話ばかりで「1973年のピンボール」みたいに、いかにも作り物のストーリーにぐぐっと引き込んでくれる話ってあまりなかったような気がする。あなたの自我の悩みを延々聞かされてもさ、こっちはうんざりしちゃう。そういうことだったんだよね。確か田中康夫の「なんとなくクリスタル」のほうが先に出てて世の中はバブルに浮かれ始めてた頃だったけれど、ブランドで身を固めた大学生なんて、どこの世界の話だよって思ってた。貧乏学生の俺なんか車なんかあるわけないし、ディスコもサーフィンも縁なしで、でもそっちのほうが普通だったと思うんだけど、それがなんか恥ずかしい事だって思わせるような風潮が出始めた頃だったような気がする。そんなの関係ないじゃんと開き直れるほど意志も強くなかったしね。高校生の頃から出入りしてたジャズ喫茶でバイトしてて、その暗い店内でジョン・コルトレーンを聞きながら、自分が明らかに世の中からずれてるって感じながら読む「1973年のピンボール」は実にはまっていたんだ。
 
 「1973年のピンボール」にはその後の村上春樹の世界の原型となるものが全て詰め込まれている。ピンボール編と鼠編に分けた2つの物語が同時進行していく形式はその後の「世界の終り」や「海辺のカフカ」にも引き継がれて村上春樹お得意の手法となっていくし、ピンボール編における「羊」や「世界の終り」「ダンス」その他の読者をどんどん引き込んでいくストーリー・テリング。「ノルウェイの森」において全容が明かされる僕と直子の物語までが、冒頭のシーンにちらりと登場する。
 
 でも何よりもこの物語が僕を惹きつけたのは主人公である僕の生活スタイルそのものだった。翻訳事務所という知的な職業にあって「僕たちは実に豊かな鉱脈を掘り当てた」と成功すること。スタン・ゲッツのサックスを聞きながら仕事をするところ(これがジョン・コルトレーンとかマイルス・デイビスを聞きながらではカッコよくないのだ)。カントの「純粋理性批判」をベッドに入って何度も読み返すところ。何よりも208と209という双子の女の子との共同生活。どれもとてもありえない夢物語だ。でもその夢物語がちょっと背伸びしさえすれば手が届きそうなところにある。その微妙な距離感が絶妙だった。実際、その頃の僕は「1973年のピンボール」を何度も何度も読み返し(何度読んでも飽きるということがなかった)主人公達の台詞を全て覚えてしまい、その生活様式や考え方を自分自身の価値観にどんどん染み込ませていった。それがよかったのか、実は大きな落とし穴だったのかは今となってはわからない。その当時は、そうする他に自分を惹きつける物が他に見当たらなかった。

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