羊をめぐる冒険                              

 「1973年のピンボール」を読んで、それまでの価値観を全て転換させられてしまうくらいの衝撃を受けた僕は、文字通り本屋まで走って、他の村上春樹の本を探した。その時点で既に村上春樹は評価を確立していて、本屋の棚の一番前のほうに人気の新刊として「羊をめぐる冒険」が山積みされていた。早速買い求め、読み始め、あっという間に読み切ってしまった。そのすぐあとに村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」を読んだ。いわゆる鼠3部作を一週間とかからずに読み切ったことになる。そして多分その1週間の読書生活が、僕の一生を決定付けてしまったのだと思う。これは決して大袈裟な表現ではない。大学生になったばかり、人生における価値観を決定する、一番感受性が柔軟で影響を受けやすい時期に村上春樹の鼠3部作に出会ってしまった20歳の僕は、その世界にどっぷりと頭の先まで使ってしまい、後にはその影響から逃れるためにかなり苦労をする羽目にまで陥ってしまう。

 村上春樹の世界って悪意を持った言い方をすれば、要はそこらの喫茶店のマスターが世間知らずの若者達を手玉にとって、お山の対象になっている、その程度のレベルの世界でしかない言葉だけのちゃらちゃらした世界なのだ。スタイルだけの闘争をゲーム感覚で通過し、途端にころりと転進して体制側に寝返り、それまでの道徳や価値観を自らは安全な位置に身を置きながら、巧妙に貶め破壊して、何も産み出さずただ消費することだけに長けた世代。そして彼らが飲み屋のマスターでいた時に、その店にたまって彼らの偉そうな言葉を有り難いご託宣のように丸呑みにしていった、くだらないバブルの世代が僕の世代だった。実体がない、泡のような手応えのない世代。どうせならもう10年早く生まれたかったと思う。スタイルだけの大学闘争でも、何もないよりはましだった。僕の頃のキャンパスは、ただ清潔なだけで、ブランドを着た金持ち連中が時代の中心にいるような、本当に下らない時代だった。そのくだらない連中に支持された作家が村上春樹に村上龍、大分落ちて田中康夫だったのだ。

 結局僕は本では、開高健、日野啓三といったベトナムの世代の小説に出会うことで、なんとか村上春樹の世界から抜け出ることに成功するのだけれど。単に一番好きな作家、という程度に村上春樹の小説世界と距離を保てるようになるまで、ずいぶんいらない遠回りをする羽目になったものだった。

 なんかいきなり悪口ばかり書いてしまったような気がするけれど、小説自体は本当に好きです。何度読んでもその世界の中にスーっと引き込まれていく。村上春樹の小説の中では今でも一番好きです。冒頭の歯列矯正のような眼鏡をかけた女の子とのやり取り。耳のモデルをしている女の子とのフランス料理店でのシーン。特に北海道に入ってからのシーンの一つ一つが素晴らしい。ストーリーが一点の淀みもなく流れていく。羊男が登場してから鼠と再会するまでの流れはいつ読んでもしんとした気分にさせられます。僕にとっていつまでもベスト3に入る小説であり続けることは間違いないです。

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